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何よりも難しいこと


『ヴァージャ様、本当によろしいのですか?』

『構わない、もうこの場に戻ることはないだろう。このまま空に在っても、今の状態ではいつ墜落するかもわからん』

『……やはり、森羅万象を解き放つ時が来ているのでは。こうしている間にもヴァージャ様のお力が……』

『まだ数千年ほどは保つさ、それに……滅びるのならそれでいい、また一から見守るのにも疲れた。お前のことまで巻き込んでしまうが……』

『わたくしは構いません、このブリュンヒルデはヴァージャ様の眷属。どこまでもお供致します』



 ――……。


 こうして執務室で過ごしていると、数千年前の記憶が脳裏を過ぎる。ブリュンヒルデと共にあの洞窟の奥深くにヴァールハイトを沈めた時、二度とこの場に戻ることはないと思っていたのだが。人を見守ることに疲れる一方で、それでも心の奥底では諦めきれなかった。我ながら身勝手だと思う。


 平和な世界作りは神の力を以てしても難しいものだが、それ以上に困難を極めるのは「平和な世界の維持」だ。


 人間というものは争いばかりの世では平和を求めるのに、いざ平和になれば退屈を覚えて身近な者に牙を剥き始める。それが新たな争いの火種となり、波紋のように広がっていく。


 そうして、世界全体が争いにまみれた時、自分たちではどうしようもなくなって天を仰ぐのだ。平和がほしい、助けてくれ、と。


 人間はなぜ学ばないのだろう、なぜ自分たちで平和を破壊するのだろうか。


 野生動物が突然変異を起こし魔物化する現象に見舞われたこともあるが、共通の敵を持つことで結託するかと思った人間たちは――最初は良くとも次第に争いや差別が生まれるようになった。


 魔物を倒した者は称賛を受け、戦う力を持たない者は中傷を受ける。今の世で「無能」と呼ばれる者たちのように。


 人間は敵と争いを創る天才だ。あらゆる状況で優劣をつけ、誰かを(なじ)らなければ気が済まない。自分よりも「下」がいて初めて安堵するのだ。平和な世界にとっての一番の敵こそ、人間という生き物なのだろう。



「う~ん……」



 間近から聞こえる唸るような声に思考が止まる。依然として、リーヴェがしがみついたまま気持ちよさそうに眠っているようだった。……このような不安定な体勢でよく眠れるものだ、それほど疲れているのか。


 ……人間が、誰しもお前のようであればいいのに。

 リーヴェとて、理不尽な目に遭えば憤りを覚えたりもするだろうが、この男には誰かを傷つけてやろうという刃物のような感情がまったくない。


 だから人の長所にばかり目が行くし、短所を上げ連ねて貶めることをしない。そのせいで他人を信じすぎるだとか、病的なまでの自己肯定感の低さだとかは考えものだが、競争意識の激しい人間よりもずっと好ましい。


 ……裏と表の顔を使い分けるリスティとは、やはり違う。あの状況で、よく私を信じてくれたものだ。



「(二千年、か……)」



 ヴァールハイトを地に沈めてから約二千年。

 その間に人間を見直せるようなことがあれば――希望を見出せるようなことがあれば、もう一度信じてみようと思った。最後の最後でリーヴェと出会えたのは、幸運か否か。……幸運だと思いたいが、結論を出すには早すぎる。


 だが、誰もが平等に生きられるような世界を求めるリーヴェとなら、共に平和な世界を創っていけるような気がする。そうであってくれればいい。


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