009 『始まりの魔女』
狩りの季節が来た。
また村の人々のために、山に籠らねばならぬ。
荷物を担ぎ、重い足取りで、山小屋の前まで辿り着いた猟師のアレンは、小屋の中に気配を感じ、背に掛けていた弓を構えた。
小屋の扉が開く。
中からは、異国の顔立ちの女が出て来て、女も驚いた顔で、手に持っていた籠を落とした。
「ここで何をしている? 言葉は分かるか?」
アレンの問いかけに頷き、女が答えた。
女は、遠い異国で戦禍に遭い、奴隷狩りから逃げ延びてきた異教徒であると。女は薬師をしており、無人であったこの山小屋に数週間まえから滞在していると言った。
名はミアといい、瘦せ細ってはいたが、磨けば美しいことが、女をまだ知らぬアレンにでも、見て取れた。
◇
狩りの期間、ふたりの共同生活が始まった。
ミアは、小屋の付近で食べられる木の実や薬草などを集め、アレンは狩猟に励んだ。
アレンはミアに肉を与え、ミアはアレンにその身体を差し出した。
狩猟期が終わりに近づく頃には、アレンはすっかりミアのことを愛していた。ミアに村でいっしょに暮らすことを提案したが、ミアはそれを拒み、ニェレの森の中に居続けることを選択した。
「おーい、アレン。今年の猟の成果はどうだ?」
秋の終わり、若い男の村人たちが小屋を訪れた。
アレンが狩った獣の肉を村まで、共に運ぶためであった。
「なんだ、今年はこれだけか?」
アレンが予め用意していた肉の少なさに、落胆の声が漏れた。アレンは、ミアが小屋で冬を越せるように、ミアの分の肉を保存用に別の場所に隠していた。そして、ミアもまた、小屋の外で息を殺し、村人たちから隠れていた。
「足りなければ、また冬の間もここに来て、俺が狩るから心配するな」
アレンの言葉に多くの男が感動したが、幼馴染のオーウェンだけが、小屋の違和感に気づいていた。小屋はアレンが暮らしていたにしては、綺麗に整理され過ぎていた。そして、アレンもまたおかしなほどに身綺麗にしていることに。
◇
冬の厚い雪が溶け、春が訪れた。
アレンは勇み、山小屋へと向かった。
アレンは、小屋の付近の風景に言葉を失った。
まだ、初春であるにも関わらず、草花が咲き誇り、そこだけ常春の情景を作り出していた。
ミアの境遇を憐れに思った異教の神が、彼女にわずかな加護を与えていた。加護はニェレの森の妖精たちをミアの元に集め、彼女の生活の手助けをした。
冬を超えたばかりであった。
だが、ミアは以前よりもふっくらとし、その美貌には磨きがかかっていた。アレンは、さらにのぼせ上った。しかし、彼女を助けていたのは、異国の神や妖精、アレンばかりではなかった。
◇
数年の時が経ち、森の山小屋は、村の若い男たちの憩いの場となっていた。
この頃にもなると、村の女たちも、男たちが狩猟に熱心になり過ぎていることに疑問を持つようになった。事あるごとに狩りに出かける割には、持ち帰る成果が少ない。中には、手ぶらで戻る者もおり、訝しんだ女たちは、集団で森の奥へと入った。そして、ミアの山小屋を見つけた。
「す、すべての元凶はお前だったのね!」
美しく咲き誇る草花とミアの姿は、村の女たちの羨望を超え、憎悪を呼ぶのに相応しいものであった。女たちは奇声を上げて、庭を荒らし始め、ミアは悲鳴を上げた。
「やめろ、お前たち!お前たちには、この庭に咲く草花の価値が分からぬのか!」
小屋から出てきた男は、オーウェンであった。
その姿は、上半身が裸のままであった。
オーウェンは、言った。
猟に出た男たちが大した怪我も負わずに村に帰ってこれるのは、ミアの薬草のおかげであると。またミアには癒しの力があり、多少の負傷であれば、たちどころに回復させてくれるとも、彼女たちに告げた。
自分の上半身が裸なのも、癒しの施術の途中であったためだとも、話に混ぜ込み、あとは大声で女たちを追い払った。
◇
ある時、村を疫病が襲った。
多くの者が高熱に倒れ、村の終末を思わせた。
この時、アレンを伴い、初めてミアが村にまでやってきた。薬草を処方し、村人たちを救うためであった。
女たちは悪魔を見る目で、ミアを睨みつけ、罵声を浴びせた。だが、ミアの処置は的確で、軽い症状の者は、すぐに快方へと向かった。そして、重篤な症状の者には、妖精の力も借り、奇跡を垣間見せもした。
村の奇跡の話は、すぐに領主ジェイムズ・ヴェルモールの耳にも入った。
領主の息子アーサーもまた、同じ症状で死と添い寝をしている最中であった。
ミアを屋敷に呼び寄せ、奇跡を目の当たりにしたジェイムズは、ミアを聖女と呼んだ。そして、救われた息子アーサーとの婚姻を命じた。
この頃、ミアは若き美貌を保っていたが、すでに四十の齢を超えてもいた。アーサーはまだ十三を超えたばかりの青年にもなり切らぬ少年であった。「私はすでに世継ぎを望めぬ年齢の身体にございます」とミアは、何度もジェイムズに告げたが、ジェイムズはそれを偽りであると信じた。そして、アーサーもまたミアの美貌にのぼせ上っていた。
ミアが、ニェレの森に帰ると告げると、ヴェルモールの親子は先回りすることにした。ミアの小屋と畑を焼き払い、消し炭へと変えることを家臣のひとりに指示した。
森に帰り、廃墟となった小屋を目の当たりにし、ミアは戦慄き、声を上げ、地に伏した。あまりにも悲劇的なその光景に、この国の名もなき神も、心を動かされた。
「帰るべき場所がないのであれば、我が家に来ればよい」
どこからともなく、姿を現したアーサーが、無邪気にミアに微笑んで見せた。だが、頭を上げたミアの目を見て、身体を竦めた。
「焼き殺すのであれば、我が力を貸そう」―― 名もなき神が、ミアの耳元で囁いた。
ミアは顔の高さにまで、自らの右手を天に向け上げた。
すると、その手のひらには、炎の塊が浮かび上がった。
後退りを始めるアーサーとその家臣を前に、ミアは悲しい笑顔を見せ、自らの顔の半分を燃やしはじめた。
◇
その日から、アーサーは毎夜、自らの顔を焼くミアの壮絶な姿を夢で見るようになった。食事もまともにとれず、会話も覚束なくなっていくアーサーの姿に、ジェイムズはミアの呪いを疑った。
この時、すでにミアはこの地を離れていた。
村の三名の少女を伴って。
少女は三名とも、疫病の初期に両親を失い、孤児となっていた。まだ愛らしい少女たちも、このまま育てば、いずれは村の男たちの共有財産とされてしまう。少女たちの身を案じ、ミアは彼女たちを連れ行くことにした。自らと同じ道を歩まぬよう、祈りにも近い願いを胸に刻みながら。
ミアの戻らぬ森は、やがて瘴気が満ち、魔獣たちが住み着くようになった。瘴気は、この国の名もなき神の怒りによるものであったが、領主と村人たちは、ニェレを魔の森と呼ぶようになり、アーサーを狂死させたミアを魔女と呼ぶようになった。
Google Geminiによるイメージ
【最初の魔女となったミアと三名の弟子】森に流れ着く前のミアは、この時代の女性にそぐわぬ、高等教育を受けていたものと考えられる。薬師としての専門知識とその教養の高さからは、彼女の出自の良さが伺い知れる。
人生の悲運に落胆しながらも、人としての優しさは捨てず、また男たちに身体を開くことによってしか生き延びられないミアの境遇。それは本来、人の営みには干渉しない異教の神の心をも動かすものであった。
異教の神は、彼女にわずかな加護と癒しの力を与え、この国の名もなき神もまた、彼女に復讐のための力を与えた。しかし、彼女は復讐の力を相手には使わず、自らを焼き、自らの魂の完全性を証明して見せた。
清らかな魂を持つ聖女が、魔女と呼ばれるようになったのは、いったい何の因果であるのか。また、彼女が連れ去った三名の少女たちが、弟子として、この後どう生きたかは、また別の機会の話とする。




