005『ある教団の壊滅』
「イゼリア教の聖職者たちが、一斉に神の恩寵を失ったぞ」
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イゼリア教は、帝都アルヴェリオンに教皇庁を置く、神聖トラミア帝国の主教である。今から三百年ほど前に、治癒の女神の加護を受けた救命団を母体とし、帝国領内で広まった教団である。
救命団は、当時の帝国貴族の子弟たちによって構成されていた。敵味方の分け隔てなく、治療にあたるという高潔な団体であった。当時まだ、治癒魔法などの神の恩寵を持つ者はいなかったが、必死の医療活動によって、多くの生命を救った。
ある時、帝国領内で疫病が猛威を振るった。極めて高い致死率で、帝国は崩壊の危機に瀕した。救命団員の中からも多くの生命が失われた。それは、この世の終わりの風景にも見えた。
一人の少女看護師が、神に祈った。自らの魂の消滅と引き換えに、この世界から病を無くしてくださいと。魂の消滅は、死後の輪廻の放棄を意味する。彼女にはまだ、その死後にも数回分の別の生が約束されていた。消滅は存在のすべてが無に帰す行為であった。消滅した存在は、すべての人々の記憶からも消えてなくなる、神すら恐れる行為であった。
少女の献身的精神に、多くの神が心を動かされた。そして、名もなき女神がそれに応えた。治癒の女神のひとりであり、ここでの名はイゼリアと名付けられた。
イゼリアは、少女の献身と引き換えに、救命団員たちに治癒の加護を与え、その子孫たちにも受け継がれるよう取り計らった。信仰の度合いによって、効力も変わるが、皆が最低限度の治癒魔法を行使できるように、優秀な眷属と聖力も貸与することにした。
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冒頭に戻る。
三百年の時を経て、イゼリア教の聖職者たちの多くが、突然、この治癒の魔法が使えなくなった。中には効力を落としながらも、まだ権能を行使できる者もわずかにいた。だが、彼らは皆、現場クラスの下位の聖職者ばかりであった。
「腐敗した教皇庁が神の怒りに触れた」と、まことしやかに囁かれ、彼ら自身もそれを恐れた。
―― だが、事実は違った。
イゼリアは、始まりの少女が放棄した、残りの輪廻で得るはずであった人生の期間だけ、その力を彼女の仲間たちに貸し与えたに過ぎなかった。後はその信仰心によって、自らの力とするならよし、そうでなければ、それまで。―― 厚い信仰によって、自前の聖力を得ることが出来れば、加護の力を失っても、治癒の精霊たちは、彼らと共にいることを選択する。約束の時間後は、人間次第というのが、救済の正体であった。
それでも、上位の聖職者たちは諦めなかった。
他人の生命をではなく、自らが座っていた特権的階級を。
彼らは、その信仰心により、まだわずかにでも治癒の魔法が使える現場の聖職者たちの囲い込みを始めた。自らと付き合いのある上流階級の人間のためだけに利用することを目論見、拉致や拘束を指示した。
すべてが大混乱に陥り、イゼリアは涙を流した。
始まりの少女とその仲間たちの高潔さと、その子孫たちの腐敗ぶりとの落差に。
見かねた雷神のひとりが、信仰を失っていた聖職者たちのすべてに、文字通りの雷を落とした。
―― ここにイゼリア教は、壊滅した。
Google Geminiによるイメージ。
【聖力の仕組みの考察】信仰には<神との回路>を生み出す作用があり、加護を失ってからも、一定の聖力を行使できた聖職者たちがいたのは、この回路を使い、イゼリアの力を借り続けていたからと推測される。
回路を築き上げるには、まず神に名を持たせる必要があり、それには神の同意も必要とする。加護とは、この回路を神側から強引に拡張させる恩寵を意味し、また優秀な眷属の貸し出しは、少ない聖力でも最大限の効果を地上に顕現させるための配慮とされる。
各精霊は、神界ほかの別次元上の力を地上に顕現させるための、いわば変換装置のような役割を作中では果たしている。




