004『エイダンの最期』
―― エイダンが千年ぶりに帰って来る。
その報は、里に住むエルフと小人族たちを大いに驚かせた。
エイダンといえば、伝説の存在である。
長命のエルフをしても、彼を直接知る者はいない。
ましてや、三十年ほどしか生きることの出来ない小人族にとっては、夢物語の中の登場人物でしかなかった。
幾重にも張られた迷いの結界を抜け、あっさりとエイダンは帰って来た。まだ壮年にも見える相貌で、背筋もまっすぐに伸びていた。だが、それと同時に彼が持つオーラは、里の者全員に畏敬の念を抱かせた。里には、百名を超えるエルフと千にも届く小人たちがいた。
小人族は、エルフの手のひらに乗るほどのサイズの元妖精であった。単体では非常に弱く、空も飛べない。ゆえに数多の敵を避けながら、流浪の生活をするのが常であった。しかし、千年前にエイダンに保護され、エルフの隠れ里の中に、また小さな里を作ることを許された。天敵のいない里で、小人たちは初めての繁栄を味わった。保護された時には、雌雄六名しかいなかった小人であったが、この始まりの六名が、里の全小人族の祖となった。
里は、連日の祭りとなった。
皆が、伝説のエルフとの挨拶を求め、列をなした。
里には、六名のエルフの妊婦がいた。
長命で、生殖にもあまり興味を示さないエルフの世界においては、異常な数ともいえた。これはエイダンが里に帰って来る千年後に合わせ、次代の子供を用意せよ、という伝承に合わせた計画的なものであった。
エルフたちは、あまり口伝の意味を深くは考えていなかった。
しかし、エイダンによる名付けの儀式が行われるという話は、六名の妊婦とその伴侶は、大いに歓喜した。
「―― うむ、この子は女の子だ。名はニエリスとしよう」
妊婦の腹に手を当て、胎児の性別を告げ、名を与えるエイダン。この名付けには、名付け親からの力の分配の意味があった。妊婦は、名付けと同時に自分の腹の内にとてつもない力が流れ込んでくることを体感し、エイダンに感謝した。
名付けをひとり行うたびに、少しずつ、見た目にも老いていくエイダン。そして六人目にようやく彼は見つけた。
「おお、お前こそが次なるエイダンとなる器だ。私の残りの力のすべてを受け継ぐがよい」
妊婦は、これまでの妊婦たちとは違い、喜びよりも恐怖した。流れ込んでくる力の奔流に、ほどなく妊婦は意識を失った。妊婦の伴侶は、理解が追いつかなかったが、とりあえずエイダンに頭を下げ、妊婦を抱きかかえ、静かに脇へと下がった。
最後の名付けの後、エイダンはすっかりと見た目も老エルフとなっていた。今にも朽ち果てんとするエルフの晩年の姿であった。
皆が見守る中、エイダンは立ちあがり、広場の真ん中へと向かった。里の民たちを下がらせ、風の精霊に、ある者の招待を頼んだ。精霊たちも震える名であったが、エイダンの最期の願いに応えるべく、彼らは天空へと消え去った。
ほどなく、里を分厚い黒雲が覆った。
まだ日中のことであった。だが、月の出ない夜のような深い闇に支配された広場に、一体の影が降り立った。
広場にいた者のすべてが、その不可視の影に死を見た。
恐れのあまりに震えだす者が続出し、小人たちの多くは、気を失った。影は、死そのものであった。
「……それではまた逢おう、皆の衆」
エイダンは、小さく呟いた。
しかし、その声は意識のある者すべてに届き、再び皆がエイダンを見つめた。
闇がエイダンを抱きしめ、口付けをした。
エイダンは、一瞬で老木のような姿になり、やがて砂のように崩れ始め、強風に巻きあげられて、天へと昇って行った。
その昇天は、黒雲を貫き、また青い空が戻って来た。
Google Geminiによる昇天のイメージ
【小人族】本来、霊の次元に魂を置く存在である妖精からの派生。その強い願望によって、受肉した妖精たちの子孫。だが、肉体を得たことにより、薄氷よりも薄く、脆かった羽根は砕け散り、地を這う住人となった。
【エルフと小人族との共生】ある日、エイダンが里に連れ帰った小人たち。彼らの日々の営みは、里の外にあまり出ることのないエルフたちにとって、ミニチュアのドラマを見守るような娯楽に、すぐになった。
放っておけば、木の実ばかりを食べて暮らすエルフたちが、小人たちのために、結界の外への狩りにも積極的になった。また小人族が作りだす精密な細工の数々は、エルフたちを魅了するにとどまらず、里に財をもたらす、主たる輸出品ともなっている。
里と外界との貿易は、ハーフやクォーターのエルフの商人とによって成されている。エイダンが築き上げた結界を超え、里に侵入するためには、エイダンに許された者か、エルフの血が不可欠であり、純人族の商人たちは、苦虫を噛み潰している。
エイダンの里は、ミレ=ブレン王国の東にある大森林のど真ん中に存在するとされている。




