003『砂漠の魔人』
「―― おい、生きているか? 死んでいるなら、このまま埋めるが、どっちだ?」
バラム砂漠のど真ん中で、意識も朦朧に、横たわる少年。頭上からの呼びかけに、わずかに口を開く。
「み、水を……」
◇
倒れていた少年は、旅商人のナディームと名乗った。
隊商の一員であったが、砂漠を横断中に、二匹のサンドワームの襲撃に遭い、隊は壊滅。自身は命からがら逃げ延びたが、仲間たちの安否は不明だという。
ナディームを助けた男は、奇妙な姿をしていた。
身体の左半分を入れ墨のような文様が覆い、また砂漠のど真ん中であるにも関わらず、ほぼ手ぶらの軽装であった。
男は、水魔法によってナディームに水分を与え、腰にぶら下げていた小さな袋から、仙丹のようなものもひとつ与えた。
「……ところで貴方様は、いったい何者にございますか? ただならぬ、お力と叡智の結晶をお持ちの方のようですが……」
急速に体力を取り戻し、意識がはっきりとしたナディームが、男に問うた。
「我が名はナイラム。お前たち人族のいうところの魔人である」
「ま、魔人!……魔人の方が、なにゆえ人助けを? い、いったい何が目的にございましょうか……いまの私には何の手持ちもございませぬがっ……」
「ふっ、この砂漠のど真ん中で、ひとり倒れていた者がいたゆえ、声をかけたに過ぎぬ。まだ生きていたので必要なものを与えた。ただそれだけのことだ」
ナイラムという魔人を名乗る男。
彼の顔の左半分を覆う文様が、言葉と共に鈍く光って見えた。
「こ、この御恩は、必ずお返し致します! で、ですが、このまま一人でこの砂漠を抜けることも今の私には叶いませぬ。厚顔であることは重々承知でありますが、もし可能であれば、この私の砂漠からの脱出にも、ご助力いただけましたら、すべての財を投げ打ってでも、貴方様の御恩に報いましょう」
ナディームは、必死であった。
魔人の気まぐれにより、繋いだ生命であったが、それはまだ風前の灯火でもあった。ここで置き去りとなれば、またすぐに死神の鎌首が、自らの首にかけられることが、容易に想像できたからである。
「……して、お前をどこまで連れていけばよいのだ?」
ナイラムが、半ば呆れた顔で、ナディームに問うた。
「ナヴァルサまでお連れいただければ、商会の支店があります。そこまでたどり着けば、必ずや商会の名に賭けて、ナイラム様の御恩に報いるよう ―― 」
「待て待て、御恩などはどうでもいい。先に述べた通り、お前が倒れていたから声をかけた。生きていたから手助けをする。ただ、それだけのことだ。それよりもナヴァルサは、これから私が向かう予定の地とは少しばかり方角が違う。だいぶと寄り道をしてから、ナヴァルサに向かうこととなるが、それでも構わぬのなら、お前をナヴァルサまで送り届けてやってもよいが、どうする?」
「そ、それで全く構いませぬが、ナイラム様の御用というのは、いったい……あ、いえっ、出過ぎたことを申しました!今の言葉はお忘れください。すべてはナイラム様にお委ね致しますゆえ、何卒ご寛恕のほどを……」
「やれやれ、お前たち人族の魔人に対する偏見は、今なお健在のようであるな。ナディームよ、お前は魔人の成り立ちをちゃんと理解しておるのか? 魔人とて、元は人族であるのだぞ。話の通じぬ魔物か何かと勘違いしておるのではあるまいな?」
ナイラムの意外な言葉に驚き、目を見開くナディームであった。
◇
馬車ほどの速度で、低く宙を飛ぶ赤い絨毯。
その上でナディームは胡坐をかき、ナイラムは寝そべりながら、会話を続けた。
ナイラムは、多くの精霊を使役する魔法使いであり、この絨毯もまた、風の精霊シルフの力を借りて、宙を飛んでいるとナディームは告げられた。
「―― するってぇと、あれですか? 魔族とも呼ばれる魔人は、悪魔に魂を売って不滅の時を得た厄災などではないということですか?」
ナイラムの話は、初耳のものばかりで、ナディームを興奮させた。
「ああ、誠にふざけた話だ。魔人の歴史の始まりは、古の帝国、カルディアの暴君ダリウスが、偉大なる賢者ザルハドの力と名声を恐れ、彼の弟子とその一族の抹殺を企てたことに端を発する。それにお怒りになられたザルハドが、帝都セリオンを一夜にして壊滅させたため、カルディアの血族は彼を魔王と呼び、その子孫を魔人と呼ぶようになったのが事の真相だ」
ザルハドの名は、ナディームも知っていた。
原初の魔王として知られる存在だが、元はカルディアの宰相のひとりであったという話は、ナディームにとって衝撃的であり、またナイラムに対する興味がさらに増した瞬間でもあった。
ナイラムは、魔人の隠れ里で軽い罪を犯した。
そして、その罰として、当代の里長(=魔王)から、砂漠に六つのオアシスを新たなに造ることを命じられていた。ナディームの目には見えなかったが、ナイラムもまた複数の精霊を使役しているという。地下に水脈が見つかれば、地上に水龍として吹き上げさせ、豊饒の種と土の精霊を使い、オアシスを瞬く間に創造するとも、ナイラムは言った。
ナディームは、夢物語の登場人物とも思える魔人との出逢いに、完全に童心に戻り、目を輝かせ続けた。
Google Geminiによるイメージ
【本作における魔人の定義】
常人を超えた魔力を持ち、その力によって、複数の属性の精霊をも使役する存在。魔力循環の秘法により、寿命も長く、魔力をほとんど持たない人族からすれば、人知を超えた存在とも捉えられている。
原初の魔王とされるザルハドは、非常に温厚な性格であったが、弟子の中には帝国を憎み、反帝国組織を指揮する者もいた。それゆえ、帝国史観において、彼らは悪魔と契約した存在と解釈され、この時代における魔族という概念の誕生の礎ともなっていた。




