あの味まで、もう少し。
夏──梅雨が明けて、もくもくと立派に湧き立つ入道雲を目にする頃になると、それとは反比例するように私の食欲はしゅるしゅると萎んでしまう。それは、年を重ねる毎に重症になりつつあった。
食べたくない……食べる、という事への気力が湧いてこない。仕方なく、飲むタイプの『ハイカロリー栄養補助食品』でエネルギーを補給するような事もある。それでも家族のために、何かしら作らなければいけない。元々苦手な料理作りは、夏には苦行でしかない。まぁ、そのお陰で完全には干からびずに生き長らえているとも言えるのだが。
そんな私に転機が訪れたのは3年前、スーパーでの買い物の際だった。懐かしい物を目にした。丸い透明なパックに入れられたそれは『山形の「だし」』だった。そう「だし」だ。
目にした瞬間、迷わずカゴに入れた。すっかり忘れていた郷土料理、懐かしの夏の味。大げさでも何でもなく、その味を思い出した瞬間から食欲が湧き上がってきた。「だし」とは、味噌汁や煮物で使われる所謂「お出汁」とは違う。お祭りには欠かせない「山車」でもない。
茄子やキュウリ、みょうがや大葉等の夏野菜を細かく刻み、とろみの出る細切りの昆布と、砂糖、醤油、お酢等の調味料を加えて混ぜ合わせた漬け物的な食べ物である。
気付けば、山形にある実家を離れてからすでに、実家で過ごした年数よりも離れて過ごした年数の方が上回っていた。
「だし」との再会を果たしたその日は、帰宅して早々、食事の時間を待たずにそれをつまみ食いしたと記憶している。そして“あーー!!うまいっ!!”キッチンの片隅で叫んだ。(多分)叫びだす位の衝撃は、あった。(はず)
何故これを忘れてしまっていたのだろうかと自分の愚かさを嘆かずにはいられなかった。ずっと、ずっと覚えていたのなら、夏の食欲減退に苦しむ事はなかっただろうに……!!
とはいえスーパーで買ってきた「だし」は、微妙に違う。我が家の味とは微妙とは言え決定的に違う、何か。何かが足りない。若しくは過分、なのか。
私は我が家の味を求めて、自分で作る事にした。
そう言えば不思議な事に、苦手なみょうがは「だし」の中にあれば食べられる。むしろ、みょうががなければ完全に足りないものになる。
ほんのり感じるみょうが独特の苦味と香り、鼻に抜ける大葉の爽やかさ。キュウリと茄子の食感、全てをまとめてくれる粘り気のあるガゴメ昆布。お酢の酸味も重要なポイントとなるが、これを、文字だけ見ていては、決して「ご飯に合うおかず」とは到底思えないだろう。だが、私はこれをご飯にかけて食べる。絶品である。ご飯だけではなく、豆腐に乗せるのもいい。納豆やオクラを加えて、ネバネバ増し増しも……うん。美味しい。
もちろんそのままでも美味しいが、そのままだと飲み物の如くするすると飲み込んでしまう。飲む漬け物となってしまう。
しかし困った事に、我が家の味・私が記憶している味というのは「おばあちゃんの味」なのだ。仕事で忙しかった両親に代わり、祖母が食事を作る事が多かった。特に、メインではなく付け合わせ的な、副菜のようなおかずの殆どは祖母が作っていた。私も手伝ってはいたものの、モヤシのひげ根取りや、ゴマをすり鉢ですったり、大根をおろす、なんて事位だった。
明治生まれの祖母は、もう、居ない。本当に今更だが、もっと祖母に教えてもらうんだった……。せめて、一緒に作る、位の事はすべきだった。
母に我が家で食べていた「だし」の材料、調味料を聞いたところで“ほだなごど、わがらねっちゃ~”で、終わりである。
私は自分の記憶と味覚だけを頼りに、材料や調味料を足したり引いたりしながら、また今年も作り続ける。もしかしたら、私の味覚が変わってしまっているのかもしれない。何度作っても“あともう少し……”なのかもしれない。
それでも。
一生辿り着けないかもしれない味を追い求める事で、私は夏を乗り切っていく。
何時でも食べられると思っていた。実際、似たようなものならいくらでも作れるし食べられる。だけどどうしても『あの味』が忘れられない。子供の頃は、決して好んで食べていたわけではない。そこにあるから食べる。ただそれだけの事。梅干しや、白菜の漬け物、それらと同等若しくはそれ以下位であったものが、年を取った今になって、必要不可欠なものとなった。
私の夏には、決して欠かせない。やっぱり夏は「だし」でしょ!!である。




