58 ノアと三年後6
アウリスは悲しそうな表情で、ライラを見つめる。さほど驚いてもいない義兄は、まるでこうなることを予想していたように見える。
先ほどから様子がおかしいアウリスに、何を知っているのか尋ねようとしたライラの後ろから、シーグヴァルドが声をかけてきた。
「そういえば、ライラも公爵令嬢だったよね」
「えぇ、そうですわ……」
「もしよければ、俺と結婚してくれない? ライラとは気が合うし良い関係を築けると思うんだ」
表情に乏しい彼だけれど、ライラにだけは微かに微笑んでくれる。
お祭りで会っただけのシーグヴァルドにそう求婚されたなら、少しは嬉しかったかもしれない。
けれど今の彼は、何を考えているのかわからなくて恐ろしく感じてしまう。
言葉が出ずにいると、アウリスがライラの代わりに口を開く。
「先ほども申し上げましたが、ライラはもう人とは違う存在です」
「神と同じだけの命を与えられたんだよね。にわかには信じられなかったけれど、ライラが成長していないから本当なんだろうね」
「他国からの妃がずっと帝国の権力を握るのは、帝国にとっても不都合ではありませんか」
「ライラに何千年も皇后を続けろなんて言わない。俺が生きている間だけで良いよ。そうだな、五十年間だけ俺と結婚して」
「それとも、他に結婚を約束している相手でもいるの?」とシーグヴァルドは付け加える。
シーグヴァルドは、それなりにライラの情報を得ているようだ。
この国では、皇太子の妃として相応しい相手がライラしかいないことも知っての上で、国王に願い出たのかもしれない。
「他にお相手がいた場合は、諦めてくださいますの?」
なんとか回避する手立てはないだろうかと思いながらライラがそう尋ねると、シーグヴァルドはうなずく。
「先ほども言ったけれど、無理強いはしない。けれど理由もなく断られるほど、俺はライラに嫌われていないとも思っているよ」
理由次第では大人しく引き下がらないとも取れるような言い方に、会場には緊張が走る。
帝国ならば、それを口実に戦争を仕掛けてくることだってありえるのだから。
ライラは公爵家の娘として生まれたので、貴族の義務ならば他国に嫁ぐ覚悟もある。けれど今はノアの従者だ。
国王もライラを嫁がせるべきではないと判断しているからそこそ、困った表情をライラに向けているのだろう。
せめてシーグヴァルドが帰国するまでの間だけでも、考える時間をもらおうと思ったライラ。
「精霊神様とご相談する時間を――」と、言いかけたところで向かいのテーブルに着いていたマキラ公爵が突然立ち上がった。
「恐れながら、皇太子殿下に申し上げたいことがございます」
「なに?」
シーグヴァルドの冷たくも見える無表情にもたじろぐことなく、マキラ公爵はじっと彼を見据えている。
彼はこの提案を回避する策でもあるのだろうか。
誰もが公爵の発言を待ち構えていると、公爵はライラに『任せろ』とでも言いたげな笑みを浮かべてからシーグヴァルドに視線を戻す。
「誠に申し上げにくいのですが私の次男とライラ様は、貴族中が噂するほどの恋仲でございます」
「まっ……!?」
思わず叫びそうになったライラは、何とか口を噤んだ。
(マキラ公爵! 何をおっしゃいますの!?)
会場からは「やはりそうでしたのね」「噂がずっと消えませんでしたもの」と囁き声が聞こえてくる。未だに噂が消えていないというのは、本当のことだったようだ。
断る口実としては良いのかもしれないけれど、マキラ公爵が公言してしまえば皆が事実だと思ってしまう。
その後はどうしてくれるのだと、ライラは公爵を恨めしく思いながら見つめた。けれど公爵は周りの貴族から祝福の言葉をかけられてご満悦の表情。
「お義兄様、どうしましょう……」
「マキラ公爵も抜け目ないね。まさかここでオリヴェルとの結婚を推し進めるとは。今なら国を救う手段として対立派閥からも非難されないだろうね」
「冷静に分析しないでくださいませ……」
「俺だって冷静ではいられないよ。今は俺がライラをこの手に抱いているのに、誰も俺達が結婚できるという事実に気がつかないとは……。どうやら義兄という立ち位置を浸透させすぎたようだ」
おかしな発言をしているアウリスは、確かに本人の言う通り冷静ではないようだ。
ライラが再びノアに助けを求めたくなっていると、シーグヴァルドから声がかかる。
「公爵の発言は本当なの? ライラ」
「あの……、秘密ですわ……」
ライラが曖昧に答えると、シーグヴァルドは見透かしたように小さく笑ってから、マキラ公爵へと向き直る。
「それで、公爵は次男とライラを結婚させるつもり?」
「皇太子殿下は先ほど、ライラ様のご意志を尊重してくださるとおっしゃいました。ライラ様に対しまして、お気持ちを整理する時間をいただきたく存じます」
マキラ公爵の発言を受けたシーグヴァルドは、帰国するまでに返事をすれば良いと猶予を与えてくれた。
ライラとしては、友人のように接してくれているシーグヴァルドならば、このような大ごとにせずとも時間をくれたのではと思えてならなかった。





