52 ノアがいない場所4
「アウリス、この関係がノア様の恩情によって成り立っていることを忘れるな」
「わかっているよ。俺はライラに『公爵令嬢』として戻ってきてほしいんだ。それ以外の感情はないよ」
どうやらアウリスは、公爵家の娘としてライラに女主人の役目を任せたいようだ。
公爵家の規模だと女主人がいなければ邸内が回らないのは、ライラも良く知っている。
けれど今は、母の補佐をしていた親戚の夫人が代役を引き受けてくれているはず。
「女主人の役目は夫人にお任せしていたはずではありませんこと?」
「それが夫人とはオルガの出産までの約束だったから、ずっとは困ると言われてね。公爵家だから誰でもってわけにもいかないし、ライラならできるだろう?」
確かに母から一通りの役割は指導されてきたし、娘であるライラがいるのに遠い親戚に任せるのは不適切だろう。
「わたくしが適任なのは理解できますが、わたくしはノア様の従者ですもの。公爵家よりノア様を優先しなければなりませんわ」
「精霊神様もご一緒に、ということならどうかな? 公爵邸の一部を精霊神様のお住まいとして立ち入り禁止にして、離宮に仕える聖職者でお世話したら良いよ」
アウリスの提案を聞いて、ライラとオリヴェルは顔を見合わせた。
ノアさえ承諾してくれたら、反対する理由もないように思える。
「ノア様にご提案してみますわ」
ひとまずノアに話をするため、ライラとオリヴェルは離宮へと戻ることにした。
「ほんとあいつは、自分の思い通りに事を運ぶのが上手いよな」
王宮の廊下を歩きながらオリヴェルは呆れたように口を開く。
「けれどオルガお義姉様もいない今、公爵邸の女主人はわたくしが果たすべき役目ですわ」
「ライラちゃんは真面目だね。命まで狙われたんだから、もう公爵家には関わらないと突っぱねたって良いんだよ?」
「そうですけれど、わたくしにとっては大切な生家でもありますもの」
叔母に命を狙われる前は何不自由なく過ごし、大好きな両親がいた家だ。使用人達とも信頼関係があったし、今のアルメーラ家の状況をライラがどうにかできるのならしてあげたいと思ってしまう。
「それより、離宮の皆様は賛成なさるかしら?」
「今まで離宮の者達は、ノア様をお世話する機会に恵まれていなかったんだ。大喜びすると思うよ」
そういえば神殿は、人間に世話をされるのが面倒で結界を張ったとノアは話していた。
離宮はノアをもてなすために建てられたと伝えられているけれど、同様にノアは面倒で利用していなかったのかもしれない。
神殿は設備が乏しいので、ライラは未だに離宮で食事やその他もろもろをお世話になっているけれど、ノアが毎日のように離宮を訪れるのは異例だったようだ。
そうなると残るはノアの意思だけ。
これまでのノアは、ライラの人間としての役割を尊重してくれていたので、反対はしない気がするとライラが思っていると。
ふと、廊下の隅にいる使用人達と目があった。
使用人達はライラに会釈をすると、逃げるようにその場を去っていく。
「ライラちゃんどうしたの?」
「あの……、最近よく視線を感じると思いまして」
ライラは近頃、今のように使用人や貴族女性達から視線を感じるような気がしていたのだ。
それを聞いたオリヴェルは「あぁ……」と気まずそうな顔で眉間にシワを寄せる。
「最近、俺達二人で移動することが多いから噂になっているみたいなんだ」
「どのような噂ですの?」
「ライラちゃんも今は聖職者扱いだし、職業的にも家柄的にもライラちゃんの結婚相手に見合うのって俺しかいないだろう?」
オリヴェルの言う通り、ノアに直接仕えている聖職者は守秘義務の関係上、結婚するなら相手は同じ立場の聖職者でなければならない。
そして公爵令嬢であるライラに相応しい相手となると、同じ公爵家か王族。現在、ライラと結婚できる年齢で婚約者がいない男性はオリヴェルだけだ。
精霊神聖堂に仕える聖職者の女性達にも似たようなことを聞かれたけれど、まさか王宮内で噂されているとは思いもしていなかった。
動揺したライラは、思わず顔を両手で覆う。
「ライラちゃん大丈夫? 顔が真っ赤だよ」
「わたくし、どなたかと噂になるなんて初めてですのよ……、恥ずかしくてもう王宮内を歩けませんわ」
「可愛いなぁ。まさか俺のことで、ライラちゃんが頬を染めてくれる日が来るとは思わなかったよ」
「からかわないでくださいませオリヴェル様……」
「ごめん、ごめん。とりあえず王宮を出ようか。これじゃ、俺がライラちゃんを口説いているように見えるし」
「くどっ……!?」
慌ててライラが辺りを見回すと、ライラ同様に顔を赤くしてこちらの様子を伺っているご令嬢方と目があう。
恥ずかしさの限界点に達したライラは、オリヴェルの手を取り走り出した。
「ちょっとライラちゃん! これはこれで誤解を生むよ?」
「もう、どうしたら良いのかわかりませんわぁ~!」
一刻も早く王宮から立ち去りたかったライラ。
しかしライラの低速の走りでは、人目を避けて外へ出るなど不可能な話。結局多くの者の目に触れ、噂はさらに広まるのだった。





