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もうすぐお嬢様が学園から戻られるという時間に、悪魔から通信が入りました。
「アニーを王城へ連れていく。アニーにはドレス。セレナもそれなりの恰好をしろ。用事が終わったらそのままアニーのうちへ送っていくから、帰宅の準備もしておけ」
お嬢様の帰宅の準備はすでに終わっておりますので、自分の着替えをすませ、お嬢様のお着替えを用意します。ピンク色のドレスに白い靴、髪はふんわりと結い上げてパールのついたピンクのリボンを結びましょう。想像の中のお嬢様はとっても愛らしく仕上がりました。
「ただいま、セレナ」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
現実のお嬢様は少々野暮ったい制服姿でも大変愛らしいです。最近思うのですが、眼福という言葉はお嬢様のために作られたのではないでしょうか。
「どうしたの、セレナ?」
「いえ」
お嬢様の美しさを崇めることに夢中になってしまいました。圧倒的な美というのは人の思考を停止させてしまうものなのかもしれません。それとも思考力を奪ってしまうのでしょうか。
ピンクのドレス姿のお嬢様を見て、悪魔が絶句しています。
「レオ様?」
「…………」
悪魔の気持ちが今日はよくわかります。今日のお嬢様は愛らしさのかたまりですもの。
「アン様、レオポルド様は少しお疲れでして」
兄様がすかさずフォローします。
「まあ、大丈夫なのですか?」
お嬢様は人を疑うことを知りませんので、すぐに信じてしまわれます。こんなお嬢様もいつか疑心を持つようになられるのでしょうか。それは少しさびしい気がします。
「ああ。すまない、アニー。少しぼーっとしてしまったよ。最近、寝不足なものだから」
「まあ、心配ですわ」
お嬢様、真っ赤な嘘ですから心配する必要はありませんよ。悪魔はその計り知れない魔力のおかげで、ほとんど寝なくても平気なのですから。
「馬車の中で少し休ませてもらうね、アニー」
ピン。私のアンテナが反応しました。悪魔が何かを企んでいます。阻止しなければなりません。
「アニーの膝を」
「レオポルド様! 馬車で仮眠を取りやすいように、私がクッションをお持ちしますので」
最後まで言わせませんよ。お嬢様に膝枕してもらおうなど、百万年早いのです。
「いい考えね、セレナ」
悪魔がものすごく睨んでいますが、お嬢様はまったく気づかれずに笑顔で同意してくださいます。
「居間にある、あの花柄のクッションがやわらかくていいと思うわ」
「かしこまりました、お嬢様」
花柄のクッションに肘をついた悪魔が気だるげにこちらを見ています。
「レオポルド様、眠れなくても目を閉じられると、体が休まりますよ」
こっちを見ないでくださいませ。
「眠るよりもこうしてアニーを見ているほうが、疲れが取れるのだ」
「まあ、レオ様ったら」
「それにしてもアニーはピンクが似合うね」
それには激しく同意いたします。お嬢様ほどピンク色の似合う女性を私は知りません。
「そんなにかわいい恰好のアニーを誰にも見せたくないな」
「まあ、レオ様ったら」
そこで急に悪魔が兄様をじろりと見ました。
「レジナルド、アニーを見るな」
「もう、レオ様は冗談がお好きなのだから」
お嬢様、悪魔は本気です。お嬢様と同じ馬車に乗っているというだけで、兄様のことが許せなくなったのでしょう。悪魔の心の狭さはこの国で一番なのですから。
「ところでお城で何があるのですか?」
訊くのをすっかり忘れていました。
「内緒よ」
お嬢様が口の前に人差し指を立てられて、いたずらっぽく微笑まれます。それを見ていた悪魔がクッションに顔をうずめて悶えています。
「レオ様?」
悪魔が顔を上げません。きっと胸が苦しいのでしょう。
「眠ってしまったようですね」
「レオ様は本当にお疲れなのね」
兄様の言葉にお嬢様が心配そうに眉を寄せられ、それから小声で私に言われました。
「セレナ、レオ様を起こしてしまわないように、私たちも静かにしましょう」
お嬢様の気遣いに悪魔はクッションから顔を上げられなくなった模様です。
馬車がとまるとすぐ、お嬢様が立ち上がられます。
「レオ様。起きてくださいませ」
「ん?」
悪魔が目をこすって、それからお嬢様を自分の膝の上に乗せてしまいました。
「なんていい夢なんだ。アニーが出てきてくれるなんて」
真っ赤になったお嬢様が悪魔の腕をポンポンと叩いて、夢ではないと主張されますが、悪魔は演技をやめません。
「アニー、これからも毎晩夢に出てくるんだよ」
悪魔がお嬢様を抱きしめて、額に唇を押しつけたところで、兄様がお嬢様の救出に乗り出しました。
「アン様、お立ちください。レオポルド様は非常にお疲れのようですので、このまま馬車で寝ていただいて、私たちだけで先にまいりましょう。殿下をお待たせするわけにはいきませんので」
兄様の流れるようなセリフに合わせて、私がお嬢様の腕を引き、立ち上がっていただきます。悪魔のこめかみがピクピクしていますが、無視ですよ、無視。
「ん? アニー?」
悪魔の目覚めの演技につき合う義理はありませんので、聞かなかったことにして馬車を降ります。すると悪魔も転移で馬車から降りてきました。そして何食わぬ顔で、まだ顔の赤いお嬢様をエスコートして歩いていきます。お嬢様、悪魔の言動が不自然なことにお気づきくださいませ。
「さあ、セレナ。今日はエスコートするよ」
悪魔にエスコートされるお嬢様をじとっと見ていた私に、兄様が腕を出してくれます。
「ありがとうございます」
「今日はね、私たちも招待客なのだよ」
「え?」
「まあ、正装も必要ない気楽な会だけどね」
兄様が朗らかに笑います。
「今日は何の集まりなのですか? さっき殿下をお待たせできないと言っていましたよね?」
いいかげん教えてくださいませ、兄様。
「セドリック殿下がセレナの刺繍のお礼に音楽会を開いてくださるのだよ」
「まあ」
「と言っても私たちと殿下方だけの小さな会だよ。マーサさんも来られたらよかったんだけど、先約があるらしくて」
「それは残念ですね」
「ああ。それと音楽会の前に例の実験もするよ」
「実験ですか?」
「そう。アン様が魔力を嗅げるのかどうか」
「あっ!!」
悪魔がお嬢様の頭にキスしました。最近の悪魔はスキンシップ過多すぎます。
「かわいそうにね」
兄様がバルコニーを見上げてつぶやきました。
「あ、ギルバート殿下」
「ああ。確信犯だろうね」
ギルバート殿下が泣きそうな顔をしていることに、お嬢様はお気づきにはなりません。




