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63.5

 レジナルドは忙しい。


 まだ外が暗いうちに起き出し、コーヒーを飲みながら机に向かうのがレジナルドの日課だ。主のレオポルドが魔法省と魔法騎士団に所属し、さらに両方で役づきであるため、処理しなければならない書類が多いのだ。

 一時間後、レジナルドはレオポルドの部屋にいた。昨夜きれいに片づけたはずの部屋が散らかっているのを横目に見ながら、急ぎの書類をコーヒーと一緒にレオポルドへ渡し、それからスケジュールの確認をする。

 さらに一時間後、レジナルドはレオポルドとアンの朝食の準備と給仕をし、学園へ向かうレオポルドを見送り、主のいなくなった部屋を片づける。

 部屋の片づけが終わると、レジナルドは再び机に向かう。騎士たちの勤怠管理と勤務評定、魔法道具の申請書類のチェック、レオポルドの財産管理など、レジナルドがやらなければならないことは多種多様だ。


 昼食の時間になり、レジナルドは疲れた目をこすりながら一階の食堂室へ急ぐ。しかし最近はすんなりと食堂室に着くことができない。途中で騎士たちに声をかけられるのだ。今日もレジナルドが通りかかるのを待っていたかのように、若い騎士に呼びとめられる。


「レジナルドさん、少しよろしいですか?」


 あのレオポルドの侍従なので、たいていの騎士はレジナルドに敬語を使う。


「はい。何でしょうか」


 レジナルドも丁寧な対応を心掛けている。余計な摩擦は時間の無駄につながるからだ。レジナルドは常に時間に追われている。


「休日の申請をしたいのですが」

「では申請書の提出をお願いします」

「実は急用ができまして、明日休みがほしいのです」


 休日申請は三日前までにと決まっている。しかしレジナルドに頼めば何とかしてもらえると騎士たちはみな知っているのだ。


「では、こちらに記入してください。食堂室で昼食を受け取ったら戻ってきますので、それまでに書いていただければ何とかできると思います」


 レジナルドは胸ポケットから休日申請の用紙を渡して微笑む。こういうことが多いので、最近のレジナルドは各種申請用紙を胸ポケットに入れているのだ。


「ありがとうございます。すぐ書きます」


 騎士が笑顔になったのを見て、レジナルドは再び歩き出す。


 レジナルドが食堂室でランチを受け取って、部屋へ戻ろうと階段に足をかけたところで声がかかる。


「レジナルドさん」


 レジナルドが振り返ると、マーサが小さく手招きしている。


「マーサさん、何かありましたか?」


 レジナルドは階段を上がるのを諦めてマーサに歩み寄る。


「少し相談がありまして」

「何でしょう」


 マーサがランチののったトレイを見て躊躇しているのに気がついたレジナルドはやさしく微笑む。


「まだ空腹ではないので、大丈夫ですよ」

「そうですか?」

「ええ」

「……あの、私、セレナさんに嫌われているのでしょうか?」


 マーサの意外な質問にレジナルドは驚いたが顔には出さずに訊き返した。


「なぜそう思われたのですか?」

「昨日いただいたハンカチのことで……」


 レジナルドはマーサの言いたいことがわかったが、あえて気がつかないふりをして訊ねた。


「もしかしてマーサさんは犬がお嫌いでしたか?」

「え、犬?」

「ええ。マーサさんのハンカチの刺繍は子犬だったでしょう?」

「……すみません。私の勘違いだったみたいです。失礼しました」


 足早に立ち去ったマーサを見送ったレジナルドは、事前にセレナの刺繍の腕前をマーサに伝えておかなかったことを後悔しながら階段を上った。


 途中で騎士から休日申請の書類を受け取って自室に戻ったレジナルドが、サンドイッチを食べようとしたところで通信が入る。


「レジナルドです」

「今すぐ部屋に来い」


 レジナルドは手にしていたサンドイッチを皿に戻し、レオポルドの部屋へ向かった。


「レジナルド、あれがないのだ」


 午前中に整理したばかりの机の上がめちゃくちゃになっているのを見て、ため息をつきながらレジナルドは訊く。


「ふう。あれとは何でしょう?」

「あれだ。魔力測定の魔法具の説明書だ。昨日書き終わったはずなのに、どこにもないのだ」

「それなら私の部屋にございます」


 レジナルドの返事にレオポルドが眉根を寄せる。


「なぜ、お前の部屋にあるのだ」

「午後に魔法省へ届けに行ってこいと、レオポルド様に言われたからですが」


 レジナルドの答えを聞いた途端に、レオポルドは間の抜けた顔になる。レオポルドがレジナルドの前でだけ見せる素の表情だ。


「そう、だったか」

「はい」

「予定が変わった。夕方、私も王城へ行くから、そのとき一緒に持っていく」

「かしこまりました」

「その、悪かったな」


 レオポルドが転移で消えると、レジナルドは手早く机の上を片づけてから部屋に戻り、ぱさつくサンドイッチをコーヒーで流しこんで再び机に向かった。




 夕方、レジナルドはセドリックの執務室にいた。セレナにハンカチを届けてほしいと頼まれていたのだ。


「殿下、セレナからです」


 包みを受け取ったセドリックはついていたカードを開いて喜色を浮かべた。


「セレナは字もきれいなのだな」


 セドリックのつぶやきを無視して、レジナルドはカインにも包みをさし出した。


「カイン様にも預かってまいりました」

「私にもですか?」

「ええ。セレナは今回のことで世話になった全員にお礼の品を用意したのです。さあ、開けてみてください」


 ハンカチを広げて動きをとめたセドリックのとなりで、カインも包装をとく。


「イニシャルの刺繍ですね。ありがとうございます」


 カインは歪なKの刺繍を見ても表情一つ変えずに言った。

 

「殿下?」


 レジナルドの声にセドリックが顔を上げた。


「殿下のイメージらしいですよ」

「私の、イメージ……」


 セドリックの手の中のハンカチを見て、カインの眉毛がぴくりと動いた。


「ええ。セレナの目には殿下が高貴な金色のバラに映っているのでしょう」

「…………」

「では私はこれで」

「ああ。セレナに礼を伝えてくれ」

「はい。では失礼いたします」


 レジナルドがドアの外に消えると、入れ替わるようにレオポルドが現れた。レオポルドは珍しく上機嫌で笑っている。


「ははは……さすがセレナだな。王太子に黄金のう〇この刺繍入りハンカチを贈るとは古今東西探してもセレナしかいないだろう」

「いや、これはバラだそうだ」


 セドリックが刺繍の部分をレオポルドに見えるように広げて言った。


「セドリック、お前の目にはこれがバラに見えるのか?」

「…………」

「ちなみに私とアニーにはピンクのミミズをくわえた気持ち悪い青い魚の刺繍、マーサには口から血を流した不気味な魔獣の刺繍だ」

「…………」

「ああ。安心しろ。ギルバートはお前と色違いの赤いう〇こだったぞ」


 そう言うと、レオポルドは消えた。執務室に取り残されたセドリックはカインに向かって言った。


「これはどうしたらいいと思う?」

「とりあえずしまって、お礼状を書きましょう。セレナ様との接点は大事にされたほうがよいかと」


 セドリックは無言で机の引き出しにハンカチをしまった。




 帰りの馬車の中で、レジナルドはセレナの通信具を揺らす。


「今、殿下に渡してきたよ」

「ありがとうございます、兄様」

「殿下がきれいだと褒めてくださったよ」

「まあ」

「今戻っているところだから、レオポルド様たちの夕食の準備は頼んだよ」

「はい、兄様」


 馬車の中に転移してきたレオポルドがレジナルドに向かって鼻を鳴らす。


「ふん。何が褒めてくださっただ、この嘘つきめ」

「褒めてくださいましたよ、セレナは字もきれいだと」


 レジナルドはすました顔で言う。


「それに何がセドリックのイメージだ。お前がセレナにバラの刺繍をさせたのだろう?」

「私はただ、セレナが何を刺繍しようか迷っていたので、高貴な方には高貴なバラがいいのではないかと言っただけですよ」

「まあ、セドリックの面白い顔が見られたからいいがな」


 レオポルドがにやりと笑ったのを見て、レジナルドが眉をひそめる。


「もしかしてそのために予定変更を?」

「さあな」


 レジナルドは呆れ顔で窓の外を見る。もう夜はすぐそこまで来ている。


「なあ、レジナルド」

「はい」

「セレナが心変わりする可能性があると思うか?」

「さあ。それはわかりませんが、心は変わっていくものですよ」

「お前の心もか?」

「どういう意味でしょう」

「セレナの婚約者はラウルだ」

「わかっていますよ、もちろん」

「ならいいが」


 レオポルドに言われるまでもなく、レジナルドは自分の心の変化に気づいていた。


「セレナの心は自由です。セレナが選んだ未来を私は応援するだけです」


 将来、セレナのとなりにいるのがセドリックでもいいと、レジナルドは思い始めている。だからこそ、セレナの欠点を知ってもセドリックの気持ちが変わらないのか試したのだし、これからも試していくつもりなのだ。


「夕食のあとで新しい魔法道具を作るから、それまでにこれを用意しておけ」


 レオポルドに渡された長いメモを見て、レジナルドは目をつむった。夜に備えて少しでも目を休めようと思ったのだ。


 レジナルドの一日はまだまだ終わりそうにない。


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