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 深呼吸しながら自室を一周して、刺繍したハンカチを持って応接室に戻りました。兄様のとなりにはマーサさんも座っていて、各自の前には紅茶の入ったカップも並んでいます。


「セレナ、早く座れ」

「はい、すみません」


 お嬢様の手を握っている悪魔をじとりと見ながら、ソファに腰を下ろします。


「セレナの復帰を祝っての茶会だ。遠慮せずに飲み食いしろ」


 悪魔の言葉でお茶会は始まりました。


「さあ、アニーも食べなさい」


 そう言って、やっと悪魔がお嬢様の手を離したので、心おきなくお茶ができます。

 紅茶は香り高く、パウンドケーキはしっとりとしていて、中のレーズンもやわらかくておいしいです。


「食べながら聞いてほしい」


 紅茶のカップをおいた悪魔がお嬢様の目を見つめて話し始めました。


「アニーが体臭を嗅ぎ分けられる件についてだ。セレナが妄想たくましく魔力を嗅げるのではないかなどと言ったそうだが、魔力に匂いなどあるわけがない。セレナはアニーを無駄に混乱させたことを謝ったのか?」


 悪魔の目が謝れと言っています。

 でもお嬢様が魔力を嗅げるらしいと私に言ったのは悪魔ではないですか。お嬢様に秘密とは言われませんでしたし、どうして私が悪魔に責められているのでしょう。


「セレナ」


 悪魔の笑顔が、早く謝れと催促しています。


「……申し訳ありません、お嬢様」

「いいのよ、セレナ。そんなはずないってわかっていたもの」


 お嬢様がにっこりと笑って言われます。


「すみません、私も魔力に匂いがあるかもしれないと言うセレナさんの言葉に同意してしまいました」


 マーサさんが頭を下げられます。そういえばお嬢様が魔力を嗅げるかもしれないと話していたとき、マーサさんも一緒にいましたね。


「マーサは謝らなくていい。セレナの妄想の暴走をとめられなかったマーサに罪はない」


 まるで私が罪人かのような言い方を悪魔はします。


「でも……」


 何か言いかけたマーサさんでしたが、悪魔に微笑みを向けられると、ほんのり頬を赤くして口を閉じてしまいました。美形に弱いマーサさんは悪魔の微笑に抗えないのでしょう。


「レオ様」


 マーサさんに微笑む悪魔の腕をお嬢様が引かれます。口をとんがらせていらっしゃいますが、まさかやきもちなどではありませんよね、お嬢様。


「何だい? アニー」

「別に何でもありませんわ。ただ……」


 不満顔のお嬢様を見て、悪魔は満足そうに笑います。お嬢様の嫉妬の気配を悪魔が見逃すはずがありません。


「ただ?」

「ただ……レオ様に、こっちを見ていただきたかっただけですわ」


 真っ赤になってしまわれたお嬢様の髪を悪魔が愛おしげに撫でます。


「アニー」


 悪魔がまた甘い声でお嬢様を呼びました。こうなったら、もうとめられません。


「私だって、アニーだけを見ていたいのだよ。そしてアニーだけに見られたい」


 ああ。見たいと言いながら、悪魔はどうしてお嬢様を抱きしめてしまうのですか。それではお嬢様の顔は見えませんよね。そしてどうして私にどや顔を向けるのですか。そんなに余裕があるのなら、私に睡眠魔法をかけてください。悪魔とお嬢様の抱擁など見ていたくないのです。




「セレナ、それ以上食べると夕食が入らなくなるよ」


 兄様にとめられて、四切れめのパウンドケーキに手を伸ばしていたことに気がつきました。悪魔の腕の中にいるお嬢様を見ていられなくて、現実逃避していたらしいです。


「アニー」


 私がパウンドケーキに逃げている間に、悪魔はお嬢様を解放していたようです。


「魔力に匂いはないけれど、魔力を見ることはできるのだよ」

「レオ様のような魔力の強い方は見ることができるのでしょう?」

「アニーも見てみたいかい?」

「ええ。それは見られるなら見たいですが」

「そのアニーの願いを叶えよう。さあ、これに魔力を流してごらん」


 悪魔がポケットからリンゴくらいの大きさの水晶玉を取り出して、お嬢様の手に乗せました。


「こうですか?」


 お嬢様が魔力を流されたのでしょう。水晶が淡く光りました。黄色とうすい桃色の二色の光が交差して見えます。


「そう。もういいよ、アニー」


 水晶からすーっと光が消えていきます。とても神秘的で不思議な光景です。


「これはね、色と光の強さで、どんな魔法が使え、どれくらいの魔力があるのかがわかる魔法道具なのだよ」

「まあ」


 お嬢様の瞳がキラキラと輝きます。魔法があまり得意ではないお嬢様は魔法道具が大好きなのです。


「赤が火、青が氷、緑が風、金色が光。アニーは火と光の魔法が少し使えるということだ」

「まあ。そうなのですね」


 お嬢様は爪の先ほどの火を出すことができますが、それ以外の魔法にはまだ成功したことがありません。今後の訓練次第で治癒魔法なども使えるようになるかもしれないということでしょうか。


「さあ、次はマーサやってみてくれ」


 マーサさんの手に水晶が渡されます。


「淡い黄色と赤だわ」


 お嬢様が水晶を見て声を上げられます。


「マーサは簡単な光魔法と、それなりの火の魔法が使えるということだ。そうだね、マーサ?」

「はい、伯爵。私は浅い切り傷を治す程度の治癒魔法と、簡単な火の生活魔法と攻撃魔法が一応使えます。ただ私は攻撃魔法を放っただけで倒れてしまうくらいに魔力量が少ないので、もう二十年以上、攻撃魔法は使っていません。」


 マーサさんは火の魔法が得意なのですね。知りませんでした。


「次はセレナだ」

「はい」


 マーサさんから受け取って、水晶に魔力を流します。


「えっ」


 水晶の変化につい声を出してしまいました。ピンク色、黄色、緑色、水色の四色の光が水晶の中で交差して、あまりにもきれいなのです。


「セレナは全部の魔法が使えるということだ。生活魔法レベルだがな」


 魔力を流すのをやめると、水晶の中の光もなくなります。とても不思議で、そして美しい魔法道具です。


「アニーは匂いで使える魔法がわかるとマーサに言ったらしいね?」

「はい」

「でもそれは勘違いなのだよ。魔法は基本的に四つにしか分けられない。そしてたいていは複数の魔法を使える。つまり当てずっぽうがかなりの確率で当たるということだ」

「まあ。そうだったのですね。今まで勘違いしていましたわ」


 悪魔の説明をお嬢様は簡単に信じられました。使える魔法を当てられるのはただの確率の問題だったのだと。


「この魔法道具は国の役に立つ。金色に光る魔力を持つものは高度な治癒魔法が使える可能性が高い。それがどういう意味がわかるかい?」


 悪魔の問いにお嬢様が答えられます。


「……治癒師、あるいは治癒師になれる可能性のある人を簡単に探せるようになるということですね」

「ああ。つまりこれで教会の万年治癒師不足が解消できるかもしれないのだよ」

「素晴らしい発明ですわ」


 悪魔がどうしてこの美しい魔法道具を作ったのかがわかりました。すべてはいつものようにお嬢様のためだったのですね。

 お嬢様が匂いで魔力を嗅ぎ分けられる特殊能力をお持ちだったとしても、この魔法道具があれば、誰もお嬢様の能力に注目しないでしょう。教会も魔法騎士団もこの魔法道具で新人を発掘できるようになるのですから。




 窓の外が暗くなり、新しい魔法道具の話で盛り上がったお茶会もお開きの時間になりましたので、刺繍をしたハンカチを渡すことにします。


「ご迷惑とご心配をかけた上に、こうして気遣っていただいてありがとうございます。これは私からの心ばかりのお礼です」


 まずはお嬢様へ、それから悪魔、マーサさん、兄様と渡していきます。


「まあ、何かしら。ありがとうセレナ」

「何だかすみませんね、セレナさん」

「セレナ、ありがとう」


 悪魔だけは無言です。


「開けていい?」

「もちろんです」


 お嬢様がリボンをときます。そして目を見開かれています。驚くほど上出来でも不出来でもないはずなのですが、どうされたのでしょう。


「……斬新ね」


 幸せの青い鳥は刺繍の定番ですよ、お嬢様。


「……本当ですね」


 マーサさんまでどうしたのですか? 小鳥の刺繍はよくあるではありませんか。


「ねえ、マーサのも見せて」


 マーサさんの刺繍の子犬は力作ですよ。瞳はマーサさんの旦那様のアンバーにしたので、喜んでもらえるはずです。


「……ありがとう、セレナさん」


 マーサさんの顔色が冴えません。もしかしてマーサさんは犬が嫌いだったのでしょうか。


「時間だ。各自仕事に戻れ」


 悪魔の一声で解散になりましたので、マーサさんが犬嫌いなのかどうか聞くことができませんでした。

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