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 何もしなくてよいと言われると、一日が驚くほどに長く感じます。それで刺繍をしてみることにしました。得意なわけではなく、どちらかといえば苦手なほうです。学園の必須科目でしたので、いくつか縫い上げたことはありますが、成績は下の上でした。

 それでもやってみようかなという気になったのは、今回の騒動でお世話になっている方々に、何かお礼をしたいと思ったからです。いくら不器用な私でも一週間もあればそれなりのものが縫えるでしょう。


 刺繍をするのは無難にハンカチに決めました。贈るのはお嬢様、悪魔、兄様、マーサさん、それからセドリック殿下、ギルバート殿下、カイン様、そしてラウルです。

 今回のことでは悪魔にたくさん迷惑をかけたことですし、悪魔のものはお嬢様とお揃いにしてあげます。幸せの青い小鳥で、目の色を悪魔のほうはお嬢様の目の緑、お嬢様のほうを悪魔の目の色の紫、そして嘴にはピンクのチューリップをくわえさせることにしました。ほかの方の分の図案も考えて、通信で兄様に必要なものの買い出しを頼みました。




 夕方、買い物をしてきてくれた兄様と一緒に悪魔も部屋に来ました。傷跡が消えるまで、毎日二回治癒をかけてくれるそうです。


「レジナルドは今日、最高級のハンカチを買ってきた」


 腕に治癒魔法をあてながら悪魔が言います。 


「レジナルドは気が利くから、美しい包装紙とリボンも買ってきた」


 さすが兄様です。まだ見ていませんが、間違いなく趣味のよいものを買ってきてくれているでしょう。


「お前はハンカチをきれいに包み、リボンをかけるだけでいい」

「どういう意味ですか?」

「セレナ、お前に刺繍の才能はない。お前が針を刺すことによって、最高級のハンカチの価値は著しく低下する」

「は?」


 私の腕から手を離した悪魔が大きなため息を吐いて、やれやれと頭を振りました。


「忠告はしたからな」


 悪魔が憎たらしい顔で部屋を出ていきました。


「兄様」


 包帯を巻きなおしてくれている兄様はいつもの微笑みです。


「大丈夫だよ。練習用に安い布も買ってきたし、失敗してもいいように予備のハンカチも買ってあるから」


 兄様、それって私の腕を信用していないということですか?


「さあ、できた。別に一週間で仕上げることもないのだから、ゆっくりやりなさい」


 一人になって裁縫道具を出します。兄様が買ってきてくれた練習用の布に、とりあえずはイニシャルでもとラウルのRを刺繍し始めて思い出しました。刺繍は痛みとの闘いなのだと。




 夜になって、結界を張る前の点検に来た悪魔が私の指を見て顔をしかめます。


「防御魔法は外部からの攻撃にしか作動しない」

「……はい」


 わかっています。


「つまり自傷は防げないということだ」

「……はい」


 もちろんわかっています。


「わかっているなら気をつけろ」

「すみません」


 それから悪魔は無言で私の指に治癒魔法をかけ、さらに練習用の血染めの布を魔法で白く戻してくれました。最近の悪魔は何だか親切です。


 悪魔が治癒してくれた指をすぐに傷だらけにするのは申し訳ない気がして、裁縫道具をしまってお茶をすることにしました。悪魔が昨日買ってきてくれたハーブティーの中からカモミールティーを選んで淹れて、窓辺に移動します。


 満月に少し足りない月をラウルも見ているでしょうか。


 ラウルと初めてキスした日のことを思い出します。学園二年のときの夏季休暇でした。私たちはエリーゼ様に誘われて、サターニー公爵家のカントリーハウスへ遊びに行っていました。


「散歩しない?」


 夕食後にラウルに誘われて、公爵家の広い庭に出ました。


「月がきれいだ」


 ラウルがそう言ったので見上げると、まんまるに少しだけ足りない月は雲に隠れることもなく、じっとこちらを見ていました。


「きれい」


 しばらく立ちどまって月を見て、それからまた歩きました。あの日のラウルは口数が少なくて、私ばかりが話していた気がします。


「そろそろ戻らない?」


 切り出した私をラウルが後ろから抱きしめました。


「やだ」


 耳元でささやかれて、私は顔が熱を持っていくのをとめられませんでした。


「セレナ」


 ラウルが後ろから私の顎を掴み、横を向かせました。


「ずっとこうしたかった」


 ただふれるだけのキス。


「セレナ」


 それからラウルの腕で私は半回転させられ、正面から二度目のキスを受けました。初めのキスより少しだけ長く重なった唇が離れると、ラウルは私の唇をペロッと舐めて言いました。


「緊張しすぎ」


 たしかに私は緊張でかちこちでした。目も口もギュっと閉じ、ラウルを受け入れる余裕などありませんでした。でもラウルだって緊張していたと思うのです。だって夏なのにラウルの唇は少し冷たかったのですから。


 ラウルが恋しくなって、魔力ノートを開きます。


『今夜は月がきれいだ。セレナも見ているだろうか』


 短い書きこみでしたが、ラウルも月を見ていることがわかって、それだけで満たされた気分になりました。

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