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 お嬢様と悪魔の長い抱擁を見せつけられるという地獄の時間をすごして、今はお嬢様の応接室のテーブルに山と積まれた紙袋の前に立たされています。


「すごいでしょう、セレナ。これ全部、レオ様からセレナへのお見舞いなのですって」


 なぜ悪魔が私にお見舞いの品を? なぜこんなにたくさん? 何よりなぜお嬢様のお部屋に? 


「遠慮せずに受け取れ。私とセレナの仲なのだから」


 私と悪魔の仲って何ですか?


「セレナ、びっくりしすぎてお礼を言うのを忘れているよ」


 兄様がものすごくニヤニヤされています。きっとこの大量の紙袋の理由をご存知なのでしょう。


「……ありがとう、ございます」

「もう、セレナったら、驚きすぎて、顔が固まっているわよ」

「……すみません」

「アニーは中身が気になっているのだ。早く開けろ」


 悪魔の言葉にげんなりします。この大量の紙袋を私が全部開けなくてはならないのですか?


「レオポルド様、セレナはまだ右腕に力が入りづらいので、私が代わりに開けさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ」


 兄様がやさしいです。私を兄様の妹に産んでくれた母様、ありがとうございます。


「では、失礼」


 兄様が一つ目の紙袋を開けます。中から包装紙に包まれた箱が出てきます。


「何かしら」


 お嬢様が楽しそうに見つめていらっしゃいます。それを見て悪魔がいくら美形でも鼻の下を伸ばすと台無しになるということを実証しています。


「まあ、セレナの好きなシュークリームよ」


 お嬢様の大好きなシュークリームでございますね。ピンク色が覗いているものがありますから、お嬢様のお気に入りのイチゴクリームのものもあるみたいですね。


「まあ、チョコクロワッサンよ。いい香りだわ」


 お嬢様の好物でございますね。まあ、私も好きですけれど。


「まあ、なんてかわいい缶なのかしら。こんなにたくさん。中身は何ですの?」

「フルーツティーとハーブティーだよ、アニー」

「まあ、セレナの体のことを思って選ばれたのですね。さすがレオ様だわ」


 どう考えてもお嬢様好みのかわいい缶を見て選びましたよね? しかも私の目には缶が二十以上見えているのですが、全種類買ってきたわけではありませんよね?


「まあ、これはクラッカーの詰め合わせね。この間マーガレット様がおっしゃっていた最近人気のお店のものだわ。一度食べてみたいと思っていたのよ。レオ様はお菓子の流行にも詳しいのですね」


 悪魔が詳しいのは流行ではなくお嬢様ですよ。きっとキャサリン様の姿で、お嬢様と一緒に話を聞いていたのでしょう。


「すごいわね、セレナ」

「はい」


 兄様の開封速度がすごいです。

 焼き菓子の詰め合わせ、クッキーの詰め合わせ、キャンディーの缶、ゼリービーンズの瓶、兄様の手によって次々と正体を暴かれていきます。すべてお嬢様のお好きなものばかりです。


「これで全部ですね。こんなにたくさん、セレナのためにありがとうございます」

「いや、人として当然のことをしたまでだ」


 悪魔も人の自覚があったのですね。知りませんでした。


「レオ様は本当におやさしいのですね」

「そんなことはないけれど、これだけ買い揃えるのは大変だったのだよ。アニーが癒してくれないかい?」


 そう言ってお嬢様に手を伸ばそうとした悪魔をノックの音がとめます。


「夕食をお持ちいたしました」


 マーサさん、ナイスタイミングです。空気が変わって悪魔がしぶしぶ手を下ろします。


「さあ、レオポルド様とアン様は夕食のお時間ですよ。セレナ、あとで部屋に運んであげるから、もう戻りなさい」

「はい、兄様」


 不完全燃焼な顔をした悪魔へ笑顔で頭を下げて部屋へ戻りました。


 


 三十分後、兄様が夕食のトレイと紙袋を持ってきてくれたので訊いてみます。


「ところでレオポルド様はこんなに買ってきて何かしたかったのですか?」


 純粋なお見舞いのはずありませんよね、兄様。


「気にせずもらっておきなさい。セドリック殿下に踊らされただけなのだから」

「え?」

「じゃあ、戻るから」

「ええ。ありがとうございます、兄様」


 よくわかりませんが、当分はおやつに困ることはなさそうです。




 デザートにシュークリームを二つも食べてしまいました。お腹がいっぱいすぎて動けません。カスタードとイチゴクリームのどちらかを選ぶことができなかったことが敗因です。

 だらしなくソファに寝そべって、考えても仕方のないことをずっと頭の中で追いつづけています。ラウルが私に言いかけてやめたこと、ラウルの涙の意味、ラウルが見せなかった本心、ラウルが唇にキスしなかった理由。お嬢様だけが感じられる匂いのこと、お嬢様を狙う顔の見えない刺客、お嬢様が飲んでいたかもしれない異物入りの紅茶、お嬢様にとって私が必要なのかどうか。答えを見つけられる日は来るのでしょうか。


「セレナ、入るぞ」


 ドアの向こうから悪魔の声がして、慌てて体を起こします。


「どうぞ」


 乱れている髪を手櫛で直しているところへ悪魔が入ってきます。どうやら結界を張る時間が来たようです。悪魔が部屋のすみずみまで目を光らせて、それからかすかに頷きました。


「異常ないな」

「あの、レオポルド様」


 出ていこうとする悪魔に声をかけたのは否定の言葉がほしかったからかもしれません。


「私はお嬢様の侍女でいてよいのでしょうか」


 悪魔が振り返ります。


「どういう意味だ」

「私ではいざというときにお嬢様を守りきれないかもしれません。護衛のできる侍女を探すべきではないでしょうか」


 悪魔がふっと笑いました。


「セレナ、護衛術をマスターした女性も魔法が巧みな女性も探せばたくさんいるだろうが、アニーを心から愛してくれる女性はそうそう見つからない。それにアニーを守るのは私の役目だ。離れていてもアニーに傷一つつけない自信がある。お前はただアニーのそばで一緒に私に守られていればいい」


 悪魔がやさしい言葉をかけてくれるなんて、これは夢なのでしょうか。


「それからセレナ」

「はい」

「ラウルの気持ちの整理がつくまで待ってやれ」

「え?」

「訓練場に戻ったラウルと面会してきた。ラウルは今、つらい状況にある。精神的に追いつめることが再訓練の目的だと考える馬鹿もいるのだ。ラウルはそういう馬鹿の相手を一か月近くもして、その上お前がセドリックと、その、大人の、だな、その、関係を持ったなどと聞かされていた」


 やはりそうなのだと、心が急速に冷えていきます。


「嘘だということはラウルだってわかっている。それでも心と頭は違うのだ。頭でわかっていても心がついていかない」


 悪魔がベッドの辺りを凝視して、急に笑顔になりました。お嬢様に向けるような温度の高い笑顔です。


「ラウルはラウルだな」

「え?」

「もう心の整理をつけたらしい」

「は?」

「あれを読め」


 そう言って黒い魔力ノートを指さして、悪魔は部屋から出ていきました。



 魔力ノートをめくる手が不安で震えます。悪魔の笑顔を信じてもよいのでしょうか。


『今日は初めて外出許可が出た。婚約者であり、最愛のセレナが怪我をし、その見舞いに行くことになったのだ。久しぶりに会うセレナは少しやつれていたが、ひどい目に遭ったというのに気丈だった。俺はそんなセレナに甘えてしまった。不安に駆られて、つまらない嫉妬に囚われて、セレナを元気づけるどころか、セレナに気を使わせてしまった。時間を戻して、セレナとの再会をやりなおしたい。今日の情けない俺をセレナの記憶から消し去りたい。ここを出たら、真っ先にセレナに会いに行こうと思う。セレナを思いきり甘やかしてやりたい。セレナの行きたいところへ一緒に行って、セレナのやりたいことを一緒にやって、セレナの好きなものを一緒に食べて、セレナのほしいものを全部買ってやりたい。セレナの笑顔が見たい。セレナの笑い声が聞きたい。セレナの心を満たしたい。セレナを愛していると、それだけを一日中ささやきたい。セレナに会える日が今から待ち遠しくて仕方がない。セレナ、愛してる』


 ラウルからのラブレターを抱きしめて、私はベッドにダイブしました。うれしすぎて今夜は眠れそうにありません。


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