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57.5

 馬車に乗るなり、セドリックは大きなため息を吐いた。


「セレナは残酷だ」


 セドリックの小さなつぶやきを聞いているものはいない。


 セドリックは自分の恋愛感情のせいで、セレナが傷ついたことの責任を取ろうと決めていた。刺客を捕まえ、ドランとのことに決着をつける。そしてセレナをすっぱりと諦めると、決心していたのだ。


 セレナにはもう会わない。セドリックはそう決めたはずだったのに、セレナが目を覚ましたという報告を受けると、セレナが起きている姿をどうしても自分の目で確認したくなった。そして眠れない夜をすごして、寮の結界が解除される時間には学園の前に着いていた。早朝にセレナの部屋を訪ねるわけにも行かず、レジナルドの部屋で時間を潰した。そのときにセレナが一番喜ぶ見舞いの品を思いついた。それをセレナに渡すことで、自分の気持ちにもケリがつくような気が、セドリックはしていたのだ。


 セレナを見た瞬間に、自分の感情が沸騰していき、魔力が暴走していくのをどこか人ごとのように、セドリックは感じていた。セドリックは疲れていたのだ。すべてから逃げ出してしまいたいと、セドリックが本気で思ったのは今回が初めてのことだった。


 馬車の扉がノックされ、カインの声が聞こえる。


「開けてもよろしいですか?」

「ああ」


 カインが乗りこむと、すぐに馬車は走り出した。


「見舞いの品は無事に届けてまいりました」

「セレナは喜んでいたかい?」

「そこまでは確認せずに戻ってきてしまいました」


 セドリックはカインのついた嘘に気がついたが、気づかないふりをした。


「そう。きっとセレナは喜んでいるよ」


 カインは答えなかった。


「ねえ、カイン」

「はい、殿下」

「私は自惚れていたよ」


 セドリックが窓の外を見ながら言った。あるいは窓に映る自分に言ったのかもしれない。


「自分が意志の強い人間だと思っていた。一度決めたら、どんなことでも成し遂げる。それが王太子セドリックだと思っていたのだ」

「私の知る殿下は意志の強い、立派な王太子殿下です」


 カインの言葉にセドリックはふっと、自嘲気味に笑う。


「私はセレナを忘れると決めても忘れることができないのだ。セレナの安全のためには、セレナに近づかないことが一番だとわかっているのに、目がセレナを探し、足がセレナに向かい、心がセレナから離れない」

「忘れる必要があるとは思えません」

「セレナに迷惑がかかる」

「殿下、人は人に迷惑をかけながら生きていくものです。それに理性で抑えられない欲望が恋です。それに……」

「それに?」

「殿下はセレナ様に恋をされて、弱さを知られた。これは王になるために必要なことだったと思うのです。王族は強さだけを求められますが、弱さも知らなければ、国民に寄りそうことなどできないでしょう」

「私を慰めようとしているのか、カイン?」

「殿下に元気を出していただきたいと願っているのは、何もセレナ様だけではありません」

「そうか」


 馬車から眺める街並みは美しい。その美しさを守ることが自分の役目だと、小さな頃からセドリックは思っていた。そのために自分を犠牲にするしかないと諦めたのは、いつだっただろうかとセドリックは思う。




 もうすぐ王宮という辺りで、セドリックが口を開いた。


「私は王太子として国民を守り、同時に自分自身の幸せも求めてもよいのだろうか」

「殿下の幸せが、国民にとっての幸せなのではないでしょうか」


 ゆっくりととまった馬車から降りてきたセドリックの顔は晴れやかだった。






 セドリックの執務室で、レジナルドが待っていた。


「お帰りなさいませ、殿下」

「何か用か?」


 執務机に座りながら、セドリックが訊いた。


「レオポルド様からお届けものでございます」


 レジナルドが小さな石のついたピアスを執務机においた。


「魔力が完全に戻られるまで、身につけていただきたいとのことです」

「これには何の魔法が?」

「殿下に異常があったとき、レオポルド様がすぐにわかるようになっています」

「また魔力を暴走させたら、レオが駆けつけてくれるということか」

「それもありますが、しかしその点については、もう心配はいらないようですね。殿下の魔力が安定しているのが私にもわかります」

「セレナがね、私の特効薬なのだ」

「殿下」

「ああ。誤解しないでくれ、レジナルド。深い意味はない」

「そうですか」

「私はセレナのことが好きだ。できることなら妃にしたい。その気持ちに変わりはない。ただ」

「殿下」

「レジナルド、王太子が話している途中で口を挟むのは不敬だよ。それに話は最後まで聞くべきだ」

「申し訳ありません」

「今回のことで、私は自分がセレナをどれだけ愛しているのかを実感させられた。セレナのいない未来ならいらないと本気で思った。自分の命を捨てても、セレナを助けたかった。命の危険を冒してまでセレナを助けたのは、王太子として失格かもしれない。しかし、もしもセレナを永遠に失っていたら、私は生きていけなかっただろう」


 セドリックの本気に、レジナルドは何も言えない。


「だからこそ、セレナを愛しているからこそ、私はセレナに誰よりも幸せになってほしい。セレナがサイクロスとの未来を望むなら、私は邪魔しない」

「ではセレナのことはもう」


 レジナルドがセドリックの真意を探るように視線を鋭くする。


「いや、レジナルド。私はセレナがこちらを向くのを気長に待つことにしただけだ。セレナがサイクロスではなく、私を選んだとき、私は全力でセレナに愛を伝えよう。そしてそのときはどんな手を使ってでもセレナを王妃にする」


 レジナルドのわざとらしいため息が執務室に響いて、セドリックは苦笑する。


「まあ、とにかく、殿下が元気になられたようでよかったです。このピアスは一応つけてください。今の殿下では自分の身も守りきれないのですから」

「私には優秀な専属護衛騎士がついているが」

「その優秀な騎士たちをおいて出かけられるのはどこのどなたでしょうね。殿下の護衛騎士隊隊長のシーンハルク様が嘆いていらっしゃいましたよ。今朝もまた、連絡もなしに殿下が王宮から消えたと」

「今朝はぼーっとしていて連絡するのを忘れただけだ」

「部屋の前に常駐している騎士の目を盗んで窓から抜け出す人が、ぼーっとしていたなどと誰も信じませんよ」

「ふう。レジナルドは口うるさいね」

「申し訳ありません。もう退散しますので、お許しを」


 レジナルドがドアに手をかけたところに、セドリックが声をかける。


「レオにありがとうと、それからレジナルド、お前にもいつも感謝しているよ」

「もったいないお言葉です」


 レジナルドが見えなくなってから、セドリックが言った。


「レジナルドが義理の兄になったら、今以上にうるさくなるかもしれないね。でもそれはそれで楽しそうだ」

「捕らぬ狸の皮算用など、している暇はありませんよ」


 カインが机の上に積み上げた書類の厚さを見て、セドリックは盛大にため息を吐いた。



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