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悪魔がセドリック殿下にかけた睡眠魔法がとけたのは、それから間もなくのことでした。
「カイン」
「はい、殿下」
横についていらしたカイン様が殿下の背中に腕を回して、殿下がベッドの上に上半身を起こされます。
私と目が合うと、殿下の表情が一気に曇りました。
殿下が大きく息を吐かれて、それからゆっくりとベッドを下りてこられました。
「セレナ、大丈夫か?」
「殿下、私は大丈夫です」
カイン様に促されて、殿下がソファに腰を下ろされます。
「見舞いに来た私が迷惑をかけてしまって申し訳ない」
「迷惑など」
「こんな年になってまで魔力の暴走を起こすとは思ってもみなかった」
「殿下の魔力はまだかなり不足した状態です。魔力の暴走もそれほど大きな被害を出しませんでした」
「そうか」
カイン様の言葉に殿下が頷かれます。
「被害はどれくらいだ?」
カイン様が私にしたのと同じ説明を殿下にされながら、殿下と私に紅茶を淹れてくださいました。
「セレナ」
殿下の声に滲む罪悪感がわかるのは、私の体内に殿下の魔力が残っているからでしょうか。
「殿下、お願いがあります」
殿下の動きが一瞬とまって、それから殿下らしくない微笑みを浮かべられます。
「セレナのお願いか、聞くのが怖いな」
弱弱しい殿下など見たくなくて、しかもそうさせているのが私かもしれないと思うと切なくて、目をそらしたくなってしまいます。でも目を見てしっかり言わなくてはと、殿下の青い瞳をまっすぐ見つめます。
「私には謝らないでください」
殿下の瞳が揺らいで、それを隠すかのように、殿下が目を閉じられました。
「まだ謝ってもいないのに」
殿下のつぶやきは私の耳まで届きました。
「セレナ」
私の名前をそんなに切なげに呼ばないでください。殿下にそんなふうに呼ばれると、胸が痛むのです。
「殿下は私の命の恩人です」
目を見開かれた殿下の瞳の揺らぎが、私の心も揺らそうとします。しかし揺れてはならないのです。
「殿下が私の怪我をご自分のせいだと思われているとうかがいました。でもそんなふうに思わないでほしいのです」
「しかし、事実、私のせいだ」
「殿下」
殿下のせいではないと、どう言ったらわかってくださいますか?
「私に刺客をさし向けたのは殿下ですか? 殿下は私の腕を切りつけましたか? 殿下は私を殺そうとなさいましたか?」
殿下、なぜ違うと言ってくださらないのですか?
「殿下は刺客を捕らえようとしていらっしゃった。殿下は私の切り落とされた腕をつないでくださった。殿下は私の命を結んでくださった」
「セレナが狙われたのは私の行いのせいなのだから、当たり前のことだ」
殿下は頑固なのですね。
「ではお嬢様が帝国にお命を狙われているのはレオポルド様のせいですか?」
「……レオのせいではない」
もう認めてください、殿下。今回のことは殿下のせいではないと、悪いのは刺客なのだと、自分を責める必要などないのだと。
「刺客が私のことを殿下の恋人だと勘違いしたことで今回のことが起こりました。勘違いの原因を作ったのは私です。私があの舞踏会会場で泣き崩れず、自分の足で寮まで戻ってきていたらこんなことにはならなかったでしょう。では私が刺客に襲われたのは自業自得ですか?」
「自業自得など、セレナは何も悪いことをしていない」
「それとも私を寮に連れてきたレオポルド様が悪いのでしょうか? 姿を盗まれたラウルに責任がありますか?」
「レオもサイクロスも関係ない」
「ですよね? 私も刺客に襲われたことを自分のせいだとも、レオポルド様のせいだとも、ラウルのせいだとも、殿下のせいだとも思いたくないのです。私は親しい誰かに傷つけられたと思いたくありません。悪いのは刺客で、刺客を放った黒幕で、私も殿下も悪くない。そう思うのは間違っていますか?」
殿下が苦笑しながら、首を横に振ってくれました。
「私はこんなにきれいに腕を治してくださった殿下に感謝しています。魔力の枯渇を起こされるほど、大変な魔法を使っていただいたことに感謝しています。そしてまだ魔力の戻りきらない殿下を心配しています。殿下に早く元気になっていただきたい。早く元気になって、いつもの自信満々の殿下に戻ってください」
伏せられた殿下の瞳に、早くいつもの輝きを取り戻していただきたいのです。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「……セレナこそ、生きていてくれてありがとう。謝罪は駄目でもお礼はいいだろう?」
顔を上げられた殿下は、いつものイタズラな微笑みを浮かべられていました。
「生きているだけでお礼を言われるなんて、変な気がします」
「王国民が健やかでいることが、王太子の私にとっては喜びなのだよ」
「王太子殿下が健やかでいらっしゃることは、王国民にとって明るい未来と同義です」
殿下の瞳が力を取り戻したことで、安心しているのは私だけではないでしょう。カイン様を始めとした殿下の側近の方々や、陛下や王妃陛下も殿下のことを心配していらっしゃるはずですから。
「見舞いに来たのに、私が元気づけられてしまったな」
殿下が紅茶を啜られ、それからクッキーを口に運ばれました。
「王宮で作らせたのだ。セレナも食べなさい」
サクサクと食感の楽しいクッキーと、口に入れた瞬間にとろけてしまうチョコレートは、私と殿下を笑顔にしてくれました。
「おいしいですね」
「ああ。おいしい」
私たちがお菓子に舌つづみを打っている間に、カイン様が部屋のすみに移動されました。そして通信具に向かって何か小声で話され、それから殿下へ向かっておっしゃいました。
「見舞いの品が届いたようですので、行ってまいります」
カイン様が足早に部屋を出ていかれました。
「見舞いの品を朝一番でカインに取りに行かせたのだが、すぐには渡せないと言われて、今になったのだよ」
殿下が説明してくださいますが、見舞いの品が何なのかは教えてくれませんでした。
「では、私はそろそろ戻ることにするよ。仕事がたまっているのだ」
殿下が立ち上がられたので、私も立ち上がります。
「今日はセレナの笑顔が見られてよかった」
「私も殿下の笑顔を見ることができてよかったです」
殿下がいつもの明るい笑顔で部屋を出ていかれたのを見送った私の心が、奇妙な動きをしていることからは目をそらして、窓の外へ目を向けます。
高いところまで昇った太陽がまぶしくて、気がつくと目を閉じていました。




