51
「この間、王家の魔力のことを話したのを覚えているか?」
「はい」
王家の特殊な魔力を受けると、私のような魔力の少ない人間は酔ってしまい、気持ちよくなってしまうと聞きました。実際に私はセドリック殿下の魔力に酔ったとき、恋に落ちてしまったかのように錯覚してしまいました。
「俺から聞くまでは知らなかったろう?」
「はい」
刺客の話に何の関係があるのでしょうか。
「王家は六百年以上も続いてきた」
「兄様、王家の話と今回のことと、何か関係があるのですか?」
「刺客のことというより、セドリック殿下に関係のある話だ」
「はあ」
兄様の意図がわかりませんが、とりあえず頷きます。
「王家が存続してきたのは特殊な魔力を持ち、特別な魔法を使うことができ、さらにはそれを隠して生きてきたからだ」
舞踏会のときに、セドリック殿下が自分の身を守るため、王族は魔力を隠蔽して生きているのだとおっしゃっていたことを思い出します。
「王家の特殊な魔力の全貌も、特別な魔法の全容も俺にはわからない。ただ一部を知っているのみだ。だが俺のように、ほんの少しを知っているものも極めて少ない」
「兄様、これは私が聞いてよい話なのでしょうか?」
どう考えても私が聞くには重すぎると思うのです。王家の秘密など、知らずに生きていくほうが楽に決まっています。
「セレナ。セレナは知らなくてはいけないんだ。そしてそれを胸の奥にしまって生きていかなければならない。セドリック殿下が命の危険を冒してまで、セレナの命をつないでくれたのだから」
セドリック殿下の命の危険。殿下の命は私の命と天秤にかけてよいものではありません。王太子殿下が健やかでいらっしゃることが、そのまま国の安寧につながっているのですから。
「わ、私は、セドリック殿下から、治癒魔法を受けただけではないのですか?」
心の揺れが声まで揺らしてしまいます。痛いくらいに騒ぐ心臓は手で押さえても静まってはくれません。
「順を追って話そう」
兄様は私の混乱を困ったように見つめて言いました。私が頷くと、兄様は語り始めます。
「刺客が消えたあと、レオポルドはセレナとアン様を両腕に抱えて、寮の三階へ走った。幻影魔法で二人の姿は消していたから、見ていたものはレオポルドが急いでいるようにしか見えなかっただろう。そしてアン様の部屋のとなりの空き部屋へ入り、アン様をソファへ、セレナをベッドへ寝かせた」
悪魔を走らせるほど、私の状態は悪かったのでしょう。
「そしてついてきたギルバート殿下だけ中に入れ、護衛騎士たちは廊下で待機させた。その日当番だった二人の護衛騎士が自分の判断で口を閉ざせる人物だったのは幸運だった。レオポルドもギルバート殿下もこの時点では護衛騎士たちに口止めしていなかったのだが、上官のレオポルドの制裁を恐れてか、ギルバート殿下の人徳のおかげか、二人はほかの騎士たちにも余計なことは一切言わなかった」
悪魔が厳選した部下たちは口が災いの元であることをよく知っているのでしょう。
「レオポルドはギルバート殿下に癒しの魔法歌を歌わせ、セドリック殿下を通信で呼び出した」
兄様がそこで話を区切って、カップに手を伸ばしました。私も緊張で渇いていた喉を潤します。
「レオポルドもセドリック殿下も魔法省の記念式典の最中に、誰にも何も告げずに寮まで来た」
「え?」
兄様の言葉に驚かずにはいられませんでした。悪魔はまだわかります。お嬢様が自分を呼ぶ叫び声を聞いた瞬間に転移したのでしょう。しかし殿下には護衛騎士たちが常時ついています。誰にも見つからずに寮まで来られるはずがありません。
「殿下も転移ができるのだよ」
「えっ!!」
さらなる驚きに思わず大声を上げてしまいました。となりの部屋でお嬢様が就寝中だというのに。でも殿下が転移魔法を使えるなど、聞いたことがなかったので衝撃が大きかったのです。
「それも殿下が隠されている魔法の一つだ」
以前セドリック殿下が悪魔ほどではないけれど、色々な魔法を習得しているとおっしゃっていましたが、その中に転移が含まれているとは考えてもいませんでした。転移魔法は魔力消費量が多い上に、習得の難しい魔法です。魔法騎士の中でも転移を使える方は一握りだと聞いています。
「レオポルドが魔力でセレナの右腕の機能保存をしている間に、セドリック殿下がセレナの腕の血管を一本一本結び、丁寧に皮膚をつなげた。それは繊細な作業で強い精神力と高い魔力を必要とする」
無意識のうちに、血が通ってあたたかい右手を左手で確認していました。殿下のおかげで、私の右腕が、そしてその先に続く指が動いているのでしょう。殿下が駆けつけてくださっていなければ、私は肉体の一部を永遠に失い、その損失に苦しみつづけることになっていたかもしれません。
私はなんて自分本位な人間なのでしょうか。今の今まで、私の腕を治癒してくださった殿下と悪魔への感謝の気持ちが薄かったのです。どれほど感謝しても足りないくらいだというのに。
「セドリック殿下は治癒の途中で何度も気を失われた。しかしその都度、レオポルドが魔力で起こし、治癒を続けられた。セレナの腕がつながるまでそれはくり返された。その結果は言わなくてもわかるだろう?」
魔力の枯渇。
「セレナにできる限りの治癒を施されたセドリック殿下は一時的に昏睡状態に陥られた。レオポルドの魔力にもギルバート殿下の魔力にも反応されなくなったのだ」
魔力を持つ人間が魔力をすべて失ったとき、そのすぐ先にあるのは死です。
「結果的に殿下は意識を取り戻されたが、王太子殿下が自分の命よりも他人の命を優先した事実は重い。カイン様の到着が遅れていたら、殿下のお命は本当に消えていたかもしれないのだ」
命が消える。その言葉が心を冷やします。
「カイン様が優れた治癒師でなければ、この国は混乱に陥っていただろう」
兄様の深いため息が事態の深刻さを思わせます。
「それなのに……意識を取り戻されたばかりだというのに、殿下はカイン様の反対を押しきって、再び、目を覚まさないセレナの治癒を始められた。強制的にレオポルドが眠らせていなければ、殿下は本当に死んでいたかもしれない」
セドリック殿下の慈悲深さに、命を救っていただいた大恩に、私はどう報いればよいのでしょうか。
「レオポルドとセドリック殿下の魔力を注がれつづけた結果、セレナの魔力は今、変質してしまっている。レオポルドの見立てではあと一週間もすれば、王家の魔力は抜けるらしい。それまでは自分以外に魔力を使ってはいけない。いいね?」
「……はい、兄様」
私の魔力でも人を酔わせてしまうということでしょうか。
「王家の魔力は人を酔わせるだけではないのだ」
兄様には私の考えなどお見通しなのですね。
「では、通信具もだめですか?」
「近くに人がいなければ使ってもかまわない。それと、これは無理な話かもしれないが、できるだけ感情を制御しろ。セレナが感情を昂らせるたびに、魔力がもれ出している。俺もずいぶんと影響を受けたが、魔力の弱いアン様やマーサさんには、もっと影響が出るだろう」
「影響ですか?」
「ああ。セレナの感情に引きずられるのだ」
思い返すと、今日の兄様は感情の起伏がいつもより激しかった気がします。
「王家の魔力は……いや、そこまでは知る必要がない……セレナはとにかくレオポルドの許可が出るまで他人に魔力を使わず、自分の魔力の変質を他人に悟られないようにしなさい」
「はい」
兄様の中に葛藤が見えます。できるだけ私の心の重荷を減らしてくれようとしている気がします。
「魔力の枯渇で倒れていることになっているのだから、あと一週間くらい部屋に籠っていても不自然ではないどころか、アン様への嘘が真実味を増すな」
「はい」
「最後に今回の件について、レオポルドとセドリック殿下の二人の言い訳だ」
「言い訳ですか?」
「ああ。セレナのために式典から姿を消したとは言えないだろう? 相次いで消えた二人に、式典会場は大混乱だったのだ」
ご自身の護衛騎士にも行く先を告げずに転移してきてくださったセドリック殿下は、転移の事実も理由も言うことができないのでしょう。
「俺がいくら通信具を揺らしても二人とも応答がなかった。それでギルバート殿下の通信具を揺らして、やっと二人の居場所と状況がわかった。それで俺はマクロス様へ相談した」
悪魔の祖父君のマクロス様は、魔法騎士団の特別名誉顧問をしていらっしゃるので、魔法省の記念式典にも参列していたのでしょう。
「マクロス様は陛下と話し合われ、レオポルドの性格と並外れた魔力の才能を利用した嘘を思いつかれた」
「どんな嘘ですか?」
「レオポルドは他人を転移させる魔法の構築に成功した。それでセドリック殿下を学園の寮へ転移させ、学園の寮からギルバート殿下を式典会場へ転移させ、式典に参加している人々を驚かせようとした」
悪魔にならできそうな魔法であり、悪魔の性格ならやりそうなことでもあります。さすがマクロス様、孫の性質を熟知さなっています。
「しかしセドリック殿下が転移に耐えられずに、寮内で意識を失われた。そういうことになっている」
「しかし、それではレオポルド様の立場が……」
いくら悪魔でもそんな失態を犯しては、イタズラでしたでは済まされないでしょう。
「レオポルドには厳重注意と減給が言い渡された。もっと重い処分をと望む声も上がったが、魔法省を辞められると困るということで、軽い処分に決定した。同時に他人を転移させる魔法は危険だとして、使用禁止ということになった。また、セドリック殿下も陛下から叱責を受けられた」
私のせいで、二人に多大な迷惑をかけてしまったことが申し訳なくて、どうしていいのかわかりません。
「気にするな。二人とも自分の意志でしたことだ」
それは無理です、兄様。
「謝罪よりも感謝を伝えなさい。朝が来れば二人にも会える」
話を終えて、ソファへ横になられた兄様はすぐに寝息を立て始めました。その規則正しい息遣いを心地よく感じながら、私はベッドの中で自分の気持ちを見つめつづけています。
早起きの鳥たちの声が聞こえ始め、長い夜が明けようとしていることに私は気がつきました。




