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※残酷な描写があります。


「この三日間でわかったことがいくつかある」


 兄様はゆっくりと紅茶を一杯飲みきって、そう切り出しました。


「刺客は日常的に変身魔法を使っている可能性がある。本当の姿は未だに見えてこない。ただ、刺客がセレナのことを知った経緯はだいたいわかった」


 刺客が私を知った経緯。心臓が内側から叩く音がうるさくて、耳を塞ぎたくなってしまいます。


「騎士たちの行きつけのとある酒場に、二十日ほど前から毎日のように顔を出していた男と女がいた。男は平凡な顔で、女は飛びきりの美人。二人はほぼ毎日、その酒場へ来ていたにもかかわらず、同じ時間に現れたことはない。そして二人ともこの三日は姿を見せていない」


 刺客が男女二人の姿で情報収集していたということなのでしょうか。


「男は気前がよく、一緒になった騎士たちに酒をおごり、女は逆に騎士たちに酒をおごらせ、酒と女に酔って口のゆるんだ騎士たちから言葉巧みに情報を訊き出していた。店主によると、どちらもドラン訛りの共通言語を話し、女は顔に似合わぬ低い声をしていたそうだ。確認を取るすべがないが、この二人が同一人物で刺客だと思われる」


 我が国を含め、近隣の十数か国で採用されている共通言語ですが、国によって多少の違いがあり、ドラン国はイントネーションが独特だと授業で習った覚えがあります。


「酒が入ると、下世話な話に花が咲く。ラウルと殿下とセレナ、三人の関係は騎士たちに面白おかしく脚色されていた」


 兄様が眉をひそめますが、こればかりは仕方のないことでしょう。男女間の噂の足の速さは私も知っています。


「殿下がセレナとの逢瀬を楽しむために、ラウルを再教育訓練へ送ったと、騎士たちが盛り上がっていたと店主が証言している。殿下が噂の火消しに奔走されたのも逆効果になったようだ。騎士団の宿舎や王宮などでは殿下の噂は下火になったが、その分、外で燃え上がっていたのだ。そして、その噂を聞いた刺客がセレナについて調べて歩いた形跡がある」


 刺客は私を殿下の思い人だと勘違いしたのでしょう。そうでなければ私を狙うはずがありません。


「刺客自身があの舞踏会の日、セレナを抱いて運ぶ殿下の姿を見ていた可能性もある」


 もしも見ていたとしたら、私と殿下が恋仲だと勘違いしても仕方がないかもしれません。王太子殿下が自らの手で侍女を運ぶなど、本来ありえないことですから。あのとき殿下にすがりついてしまった私の弱さが、今回の事件の引き金になったのかもしれません。


「刺客の目的はセレナを誘拐することだったと思われる」

「誘拐ですか?」

「ああ。セレナを人質にして、殿下を誘い出そうとしたか、殿下へ何らかの要求を呑ませようとしたのだとでも考えなければ、刺客の行動の辻褄が合わない。セレナを傷つけるだけでは刺客にあまりに益がない」


 たしかにそうでしょう。私がただ死んだだけでは、刺客にメリットなどないでしょう。


「あの日を決行日に選んだのは、もちろん私とレオポルドがいない日だったからだ」


 魔法省の記念式典で二人がいないすきに、狙われたのですね。


「もしかして、通信具の故障も刺客が?」


 刺客の魔の手がお嬢様にまで迫っていたのでしょうか。


「いや、あとで話すがあれはたんなる故障だった。もう直っているから、セレナの耳にも戻してある」

「はい」


 先ほど鏡で見ましたが、もう一度手でさわって確認します。温度などないはずのイヤーカフがあたたかく感じるのは、私の体温がうつったからでしょうか、それとも安心感でしょうか。


「刺客がセレナに向かって声を発しなかったのは、声までは模写できないからだろう。それほど親しくない人間ならまだしも、地声で婚約者を騙せるとは刺客も思わなかったのだと推測される」


 あのとき、ラウルが話さないことに不審を抱いていたのに、私は警戒心がなさすぎました。


「セレナが刺客に腕を掴まれる少し前に、アン様はラウルが偽物だと気がついたらしい」

「お嬢様はどこで……」


 お嬢様は偽物のラウルを見抜けたのに、私は見抜けなかった。そのことが胸を塞ぎます。


「匂いだそうだ」

「匂い?」


 また匂いなのですね。


「ああ。そのこともあとで詳しく話す。とりあえずは刺客だ。刺客はレオポルドの転移で、自分の計画の破綻を感じたのだろう。それでセレナを連れ去ることは諦め、腕だけでも持ち帰ろうとしたのだと思う」


 ラウルではないと気がついて、振りほどこうとした右腕に、光の剣が振り下ろされたのです。痛みより熱さが、そして欠損の恐怖が鮮明に思い出されます。

 刺客に攻撃を受けた直後に気を失ったことは、私にとって救いだったのだと思います。自分自身の命の危険をあのまま見つめつづけていたら、心が壊れてしまっていたかもしれません。それほどに衝撃的だったのです。


「セレナの腕を掴んでいた刺客の腕に、レオポルドが攻撃魔法を打ちこんだ。刺客はレオポルドに反撃することなく、セレナの腕を離して逃げた」

「レオポルド様から逃げることができたのですか?」

「ああ。刺客は転移まで使えたのだ。レオポルドは大怪我したセレナと、命よりも大事なアン様をおいて、追跡するわけには行かなかったのだろう。護衛騎士たちに追わせたが、発見できなかった」


 ああ、なぜ今まで思い至らなかったのでしょう。お嬢様の目の前でくり広げられた凄惨な場面。お嬢様が平気でいられたはずがありません。


「お嬢様は大丈夫なのですか? 怖いものを見てしまったのではありませんか? 私のせいでお嬢様の心に傷がついてしまったら……私、どうしたら、どうやって償えば、教えてください、兄様っ!!」


 私が感じた恐怖をお嬢様も感じられたかと思うと、どうしようもなく苦しくて、恐ろしい。


「セレナ、落ちついて。アン様は何も見ていない。アン様は大丈夫だ」   


 あれほど我慢していたというのに、安堵で涙があふれてしまいました。


「少し落ちつきなさい」


 兄様が注いでくれたおかわりの紅茶をゆっくり飲んで、不安定な感情をなだめます。




 私の涙がとまったのを見て、兄様が話を再開します。


「転移直後にレオポルドがマントをアン様にかぶせ、睡眠魔法をかけ、結界を張った。そしてセレナの容態が落ちつくまでは起こさなかった。アン様は自分が気絶したと思っている」


 さすがは悪魔です。お嬢様の心身をしっかりと守った上で私を助けてくれたのですね。瞬時に状況を把握し、お嬢様へ魔法をかけ、攻撃魔法を放つなど、悪魔にしかできないでしょう。今回の件では悪魔に感謝しかありません。


「セレナの腕を見て、自分の手には負えないと判断したレオポルドはセドリック殿下を呼んだ」

「セドリック殿下を?」

「ああ。セドリック殿下とレオポルドが二人がかりで、セレナの腕をつないだ。きれいにつながったが、セレナの体にはかなりの負担になった。セレナは血を失いすぎたせいか、他人の魔力を一気に体内に入れすぎたせいか、意識が戻らなかった」


 眠っている間に見た夢が思い出されます。あのとき泣いていた魔力はセドリック殿下のものだったのではないでしょうか。殿下を狙う刺客に私が襲われたことで、殿下は苦しんでいらっしゃるのかもしれません。そう思うと、胸が痛みます。


「まだ力は入りづらいだろうが傷口はきれいに塞がっている。痛みもそれほど強くはないはずだ。ただつないだ部分に若干赤みが残っている。それは治癒魔法を受けつづけることで薄まっていくだろう」

「はい」


 傷のことを考える勇気がまだわきません。腕の傷のことだけは先送りにすることを自分に許します。


「ここまではわかったか?」

「はい」

「今回のことで、いくつか口裏合わせの必要がある」 

「はい」


 学園に刺客がもぐりこんでいたなど、公にはできないことでしょう。


「まだ聞けるか? 体はつらくないか?」

「大丈夫です、兄様」


 しきりに目頭や眉頭を揉んだり、首や肩をまわしたりと、疲労困憊の様子の兄様には申し訳ありませんが、早くすべてを聞いて、朝までに気持ちの整理をしたいのです。



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