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怖い夢を見ていました。お嬢様が私の名前を呼んで、泣きつづけていらっしゃるのです。お嬢様の涙を拭ってさし上げたくて手を伸ばしたはずなのに、私の肘から先がないのです。
「セレナ」
低くかすれた声。手を包むぬくもり。
「目を覚ましてくれ、セレナ」
手から伝わってくる魔力が痛いくらいに切なくて、起きてこの方を慰めなければと思うのに、まぶたが重くて上がりません……。
長い夢を見ていたような気がします。
「セレナ?」
どうして朝から兄様の声がするのでしょう。
「セレナ」
ああ、まだ夢の中だったのですね。兄様の夢を見るなんて、兄妹愛でしょうか。
「セレナ」
あたたかい魔力に起こされました。でも心地よいので、まだ眠っていたい気持ちになります。
「セレナ、早く目を開けて」
魔力も涙を流すのでしょうか。この方の手から感じる魔力があたたかい涙のように感じられます。
「セレナ、早く起きなさい」
お嬢様が私を起こしに来る夢を見ているらしいです。なんて幸せな夢でしょう。
「セレナがいないと困るのよ。私一人では何もできないって、知ってるでしょ」
夢の中でもお嬢様はかわいらしいですね。私の脳が作る夢だからでしょうね。私の脳内にはかわいらしいお嬢様しか住んでいらっしゃいませんから。
「セレナ。私の魔力を全部あげるから、目を開けて」
この声は誰だったでしょうか。あたたかい魔力の持ち主。
「セレナ」
どうしてこの方はいつも泣いていらっしゃるのでしょうか。
「いいかげんに起きろ、馬鹿が」
朝から不愉快な声がします。何の権利があって悪魔は私の部屋に無断で入ってきているのでしょう。
「このままだと、アニーが死んでしまう」
お嬢様が死ぬ? お嬢様の身に何があったのでしょうか。
「早く起きて、アニーを助けろ」
よくわかりませんが、起きたらいいのですね?
「……んお……まう……」
思うように声が出ません。悪魔が私の喉へ魔力を流します。
「お、お、嬢、様に、何か?」
目が合った悪魔が泣き笑いの表情をしています。どうしたのでしょうか。
「何かじゃない、いつまで寝腐っているのだ。アニーを起こすのはお前の仕事だろ」
悪魔の声に力がありません。お嬢様がどうしたのでしょう。心配なのに、またゆっくりとまぶたが下りてきて、意識がゆっくりと遠ざかっていくのです。
ルビー姉様の夢を見ました。六つ上の姉様は私が学園に上がる前にはお嫁に行ってしまわれて、今では年に数回しか会う機会がありませんが、真っ赤な瞳が美しい自慢の姉様です。
その姉様が庭の木から落ちたときの夢を見ました。現実では大怪我をしてしまった姉様ですが、夢の中では大人になった兄様に助けられて、無傷だったのです。夢というのは面白いものですね。
耳を澄ましてみますと、鳥のさえずりがしますし、まぶた越しですが朝の気配もしています。そろそろ起きる時間のようです。
「うわっ!!」
ソファに座っている兄様を見つけて、大声を上げてしまいました。隣室のお嬢様を起こしてしまっていないか心配です。
「セレナ!!」
「兄様?」
私の部屋で何をしているのですか?
「セレナ!!」
兄様がソファから転げるように走ってきました。
「セレナ!!」
ベッドの上で兄様に抱きしめられております。
「兄様、痛いです」
「ごめん、セレナ、つい」
腕をほどいた兄様が、通信具に向かって話されます。
「レジナルドです。セレナが目を覚ましました」
「やっと起きたか、セレナ」
「!!」
転移で悪魔がやってきました。これは何のサプライズですか? 心臓に悪い演出はやめていただきたいです。
「痛いところはないか?」
悪魔がやけに真剣な目で訊いてくるので、わけがわからないまま、自分の体に訊いてみます。
「痛みはないですけど、二人して朝から何をしているのですか? 女性の寝室ですよ」
兄様の目が潤んでいるのは気のせいでしょうか。
「大変だ、レジナルド。セレナの馬鹿が進行した」
はあ?
「レオポルド様。進行はしていませんよ、元々セレナはこれくらい馬鹿でした」
兄様までひどすぎます。
「セレナ、今は夕方だよ。もうすぐ六時になる」
「えっ?」
夕方? 私は昼寝をしていたのでしょうか。しかも寝すぎて悪魔に怒られているのでしょうか。いやいや、鳥のさえずりを聞いて目を覚ましたはずです。
「何度も寝ては起きてをくり返していたのだよ」
そう言って兄様が時計を見せてくれて、悪魔がカーテンを開けて外を見せてくれました。
「夕方、ですね」
窓の外には今にも夜に呑みこまれそうな夕景が見えます。
「セレナ、お前はあれから丸三日も寝ていた」
悪魔が腕を組んでふんぞり返って言います。なぜいつでも偉そうなのでしょう。
「セレナは刺客に襲われたんだよ」
兄様、何を言っているのですか? 私が刺客に襲われるなんてありえません。だって私は貧乏子爵家の次女で、地味な侍女ですよ。暗殺して何の得があるというのですか。
悪魔がため息をつきながら言います。
「覚えていないのか、腕」
腕?
何かを思い出しそうになった途端に、意識が遠のいていきました。




