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 上機嫌丸出しの悪魔と、夢のせいで恥ずかしくて悪魔を直視できないご様子のお嬢様の地獄の朝食が終わりました。もちろん私にとっての地獄という意味です。悪魔にとっては天国だったでしょう。


「じゃあ、私は仕事へ行ってくるからね」


 悪魔は毎朝魔法省へ出勤しているふりをしています。


「ええ、今日もお仕事頑張ってきてくださいね、レオ様」

「ああ」


 悪魔はお嬢様の髪の先に口づけを落とします。お嬢様の頬が赤く色づいたのは悪魔の魔法ですよね? そう思わないとやっていられません。まるで新婚のようなこのやり取りをこれから毎日見なくてはならないのかと思うと、気が遠くなります。


「セレナ、侍女が朝から不機嫌な顔をするのはよくないね」


 いつの間にかそばにいた兄様に耳打ちされます。


「すみません」


 悪魔の幸せそうな顔が憎たらしかったのです。


「アン様が学園に向かわれたら、通信を鳴らすように」

「はい」


 兄様と私のひそひそ話に気づかれることもなく、お嬢様は悪魔との別れを惜しんでいらっしゃいます。一時間もしないうちにまた会えますよ、お嬢様。そのときの悪魔はキャサリン様になっていますけれど。


「じゃあ、行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 悪魔が部屋を出て、兄様もそのあとに続きます。閉められたドアを名残惜しそうに見つめるお嬢様の背を押して寝室へ向かいます。朝食を終えたお嬢様には制服に着替えていただかなくてはなりません。それに髪を結いなおす前に魔法で洗浄しなくてはなりませんね。私が今日のお嬢様の髪型をお団子に決めたのは悪魔対策ではありませんよ。勉強の邪魔にならないようにですからね。




 お嬢様のお見送りのあと、兄様の部屋へ来ています。マーサさんも一緒です。


「二人ともかけてください」


 兄様が淹れてくれたのは最近流行しているグリーンティーです。私は少し苦手なので、砂糖を入れていただきます。


「朝の忙しい時間にすみません」

「いえ」


 兄様のやわらかな謝罪をマーサさんが緊張気味に受けとめます。


「昨日、アン様がヘリング辺境伯子息から贈られた茶葉の中から、異物が見つかりました」


 心臓が大きく跳ね上がり、それから血の気が引いていきます。

 悪魔は嫉妬心や独占欲から茶葉を入れ替えたわけではなかったのですね。お嬢様が命を狙われた直後なのに、警戒心が薄かった自分が恥ずかしいです。


「……そんな」


 マーサさんのつぶやきに兄様が応えます。


「心配はいりません。昨日みなさんが召し上がった紅茶はさし替えてありましたので、今、アン様のお部屋にある茶葉には何の問題もありません」

「……はい」


 返事をしたマーサさんも不安に襲われているのでしょう。顔が真っ青です。


「茶葉に含まれていた異物に関しては調査中です」

「あ、あのレオポルド様にもわからなかったのですか?」


 毒にも薬にも魔法にも精通しているのが悪魔です。


「毒でも魔法薬でもないことはわかりましたが、何であるかは不明です」


 悪魔にも未知の異物とは何なのでしょう。足元から恐ろしさが這い上がってきますが、恐怖に囚われている場合ではありません。お嬢様の安全のためにまずは私が冷静にならなくてはと、兄様の声に集中します。


「茶葉の鑑定は薬学研究所、植物研究所など、複数の機関、専門家へ依頼済みです。結果がわかり次第またお知らせします」


 悪魔が権力をフル活用して、様々な場所へ茶葉を送ったのでしょう。解明へ向ける悪魔の本気がうかがえます。


「辺境伯子息が故意に異物を混入したのか、それとも知らずにアン様へ渡してしまったのか、アン様が受け取ったあとで誰かが入れ替えたのか、そこもわかっていません。現段階では辺境伯子息を問いつめることも憚られますので、身辺調査のみ行うことになっています」


 ジョシュア様がお嬢様を害そうとなさるとは私には思えません。しかし学園内でお嬢様の持ち物をさし替えることもまた困難に感じます。


「今回のことも踏まえて、アン様への外部からの届け物、贈り物は食品以外も一度レオポルド様が確認してからお渡しすることになりました」

「お嬢様が直接受け取られた場合はどうするのですか?」


 学園でたくさんの方と接触されるのですから、その可能性は高いと思います。


「基本的にはキャサリン様が横で目を光らせている」

「なぜ、キャサリン様がそんなことを?」


 私に向けた兄様の言葉に、マーサさんが疑問を持たれたのは当然のことでしょう。キャサリン様の正体を知らないのですから。


「実はここだけの話にしてほしいのですが」

「はい」


 兄様の言葉に、マーサさんは慎重に頷かれました。


「キャサリン様にはアン様の警護をお願いしているのです」

「えっ」


 つい声を上げてしまったのは私です。


「セレナも驚いただろう?」


 兄様の目が黙っていなさいと言っています。どうやらマーサさんにはキャサリン様が悪魔であることを今後も伏せるようです。


「キャサリン様は攻撃魔法と防御魔法が得意なのです。その魔法力の高さは魔法騎士並み。そのことを知っていらしたレオポルド様が、キャサリン様にアン様の護衛を依頼したのです」

「まあ、では……」


 マーサさんが驚きと言葉を呑みこまれました。


「そうなのです。キャサリン様とアン様の出会いは計画的なものだったのです。それをアン様にお伝えすることができないのはわかりますよね?」


 兄様がマーサさんをじっと見つめ、数秒後、その視線が私に移動してきます。


「はい。お嬢様ご自身が命を狙われていることに気づくことがないように、ですよね」

「そう。キャサリン様には登校日の登下校と学園内での護衛を頼んでいます。ただキャサリン様は虚弱体質らしく、学園を休まれたり、早退されたりすることが頻繁にあるかもしれません」


 キャサリン様の病弱設定ですね。


「その場合、事前にキャサリン様か、キャサリン様の侍女から私に連絡が来ることになっていますので、そのときはマーサさんかセレナが学園までの送り迎えをしてください。学園の敷地内といえども油断はできませんので」

「「はい」」


 贈り物も安全でないことがわかったお嬢様に、一人で登下校していただくのは危険すぎます。




 お嬢様が学園から贈り物を持ち帰られた場合の対応を、兄様とマーサさんと話し合いましたが、必要なかったかもしれません。学園内での贈り物と、お菓子を持ち寄ってのお茶会が禁止になったと、下校されてすぐにお嬢様が教えてくださいました。きっと悪魔が学園に圧力をかけたのでしょう。


 制服からピンクのワンピースドレスに着替えられたお嬢様に合わせて、お団子に結ぶリボンをピンク色のレースにしている最中に、訊きたいことを思い出しました。


「お嬢様、レオポルド様とキャサリン様の香りが似ているというのは本当ですか?」


 悪魔がなかったことにしたので訊くタイミングを逃しておりましたが、ずっと気になっていたのです。


「ええ。二人ともつけてらっしゃる香水は違うのだけれど、元々の香りが似ているの」

「体臭ということですか?」


 悪魔の体臭など、今まで一度も嗅いだ記憶がないので不思議です。


「そうね。ほら、誰にでも体臭ってあるでしょう?」

「……まあ」

「それがすごーく似ているの」

「まあ」


 特別嗅覚に優れていらっしゃるわけではないお嬢様が、どうして悪魔の体臭には敏感なのでしょうか。

 今朝、悪魔はいつものサイプレスの香水をつけていましたが、キャサリン様の姿になった悪魔からは柑橘の香りしかしませんでした。悪魔も匂いには気をつけていたはずなのです。


「キャサリン様といると安心するのは、レオ様に香りが似ているからかもしれないわね」

「…………」


 香りのことなど訊かなければよかったと私が後悔していることに、お嬢様はお気づきにはなりません。


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