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 ラウルの痕跡が微塵も残っていないように注意深く点検して戻った私を見て、お嬢様はいつもの微笑みを浮かべておっしゃいました。


「さっきは変なこと言ってごめんなさいね。私の勘違いだったのでしょう?」

「は、い?」


 お嬢様の横では悪魔が満足げに笑っています。


「ラウル様が昨日から王宮へ出向されていると、レオ様に聞いたところなの」

「……そう、なのです」

「セレナ、淋しい気持ちはわかるけど、元気出してね。一か月でまた戻られるのでしょう? 立派な騎士になるには、色々な所で経験を積むことが必要なのですってよ」

「……はい」


 悪魔の嘘に乗ることしか、私には許されておりません。


「アニー。セレナにばかりかまっていると、私が妬いてしまうよ」


 私に鳥肌を立たせた悪魔の言葉が、お嬢様にはうれしいだなんて、私は信じたくありません。しかし、お嬢様は熱いまなざしを悪魔に向けているのです。ああ、その横で、マーサさんまでうっとりとしているではありませんか。悪魔の魔力は人間から思考力を奪うのでしょうか。


「ごめんなさい。レオ様」

「いいんだよ、アニー。君に謝ってほしいわけじゃない。ただ、アニーの視線を取り戻したかっただけなのだから」


 悪魔がお嬢様の両手を取って、その指先にキスを落とします。ああ、お嬢様、今すぐそこのおしぼりで手を拭いてください。


「アニー」

「レオ様」


 二人は互いの名前にすら感情をこめて会話をします。


「私は案外嫉妬深いのだから、気をつけてほしいな」

「まあ、レオ様」


 案外の意味を悪魔は知っているのでしょうか。悪魔が嫉妬深いのはちっとも意外ではありませんよ。お嬢様以外は全員知っていますから。


「アニーの好きなストロベリーチョコを買ってきたのだよ」


 悪魔がお嬢様の口元へチョコレートを運びます。


「レオ様」


 お嬢様は躊躇するようにチョコレートを見つめ、しかしパクリと悪魔の手からチョコレートを食べてしまわれました。


「おいしいですわ」


 お嬢様の感想に目を細め、悪魔はチョコレートを持っていた指を舐めました。


「ほんと、おいしいね」


 悪魔の表情にいやらしさが滲み出ています。耐えきれなくなった私が声を上げたのは仕方のないことだと思います。


「お嬢様」


 お嬢様より先に悪魔が反応して、不機嫌オーラを出しますが、もちろん黙殺します。


「なあに、セレナ?」


 お嬢様が悪魔の殺気に気づかれないのが不思議でたまりません。


「私に何か話があったのでは?」


 学園でできたご友人のことを話そうとされていましたよ。


「ああ、そうだったわ。セレナだけでなく、レオ様にも聞いてほしいわ」


 お嬢様の言葉に悪魔はにたりと笑いました。


「ではお茶でもしながら、アニーの話をゆっくりと聞くことにしよう。皆も座るといい」


 悪魔の言葉に兄様がマーサさんをエスコートしてソファに座らせ、それから全員分のお茶を淹れ始めます。スマートな兄様にマーサさんが頬を染めました。兄様は罪な男なのかもしれません。


「さあ、アニーの楽しい話を聞かせて」


 お茶が入ったのを見て、悪魔が促します。お嬢様は悪魔に大きく頷いて、それから大きく息を吸われて話し始められました。


「実は友だちができたのです!!」


 お嬢様の歓喜に、悪魔が一瞬だけ鼻の穴を広げたのを私は見逃しませんでした。


「それはよかったね、アニー」

「ええ、レオ様」


 お嬢様の目の中の星がきらめくのを物悲しく感じてしまうのは、その友人の正体を私が知っているからでしょうか。


「どんな方なのですか?」


 兄様が会話を停滞させないように質問を口にします。


「一番仲よくなったのはね」

「「えっ」」


 悪魔と私の驚きが重なってしまいました。つい声を出してしまったのは、お嬢様には一人しか友人ができないと思いこんでいたからです。悪魔も私と同じだったのでしょう。驚愕を何とか微笑みの奥に押しこめているのが丸わかりです。


「えっ? 何かおかしかったかしら?」


 お嬢様が私と悪魔の顔を交互に見つめて、首を傾げられます。


「いえ。ただ、レオポルド様もセレナも学園で友人を作るのに何日もかかったので、アン様が複数人のご友人を授業初日に作られたのを驚いているのです」


 兄様のもっともらしい代弁を信じられたお嬢様は眉根を寄せられます。


「お嬢様、お気になさらず、続きを話してください」


 悪魔が知りたくてうずうずしていますから。


「ええ、わかったわ。まず朝ね、同じ伯爵家のキャサリン様が声をかけてくれたの。キャサリン様はとってもきれいなのよ」


 悪魔がほのかににんまりしました。どうせお嬢様好みの外見に変身していたのでしょう。


「シルバーの髪にピンクの瞳でね、とっても神秘的な美しさなのよ」

「まあ、珍しいお色の組み合わせですね」 


 お嬢様ではなく、悪魔に向かって言います。 


「スラッとしていて大人っぽいの。とても同い年とは思えない落ちつきがあるのよ」

「まあ」


 同じ年ではないのですよ、お嬢様。キャサリン様の中身は悪魔なのですから。


「それにね」


 お嬢様が悪魔を見上げてはにかまれて、何かを言おうとしていらっしゃいます。何だかドキドキします。


「レオ様に似ているのよ」

「!!」


 自分の魔法に絶対の自信を持つ悪魔が絶句しています。表面上、平静を装っていますが、内心バクバクなのがわかります。


「顔立ちが似ているということですか?」


 変身魔法の得意な悪魔がそんな凡ミスを犯すでしょうか。


「うーん。そうね、お顔もどことなく似ているかもしれないわ。ほら、美形の方々って、何となく似ているところがあるでしょう?」

「はあ」


 同じ美形でもお嬢様と悪魔はまったく似ていませんけれど、言いたいことはわかります。


「あのね、匂いが似ているのよ」

「えっ?」


 また匂いです。お嬢様はそんなに鼻がよかったのでしょうか。何より昼休憩のあとに戻った悪魔は普段使っている香水ではなく、柑橘系のものをつけていましたよ。多分、匂いでお嬢様にばれないように工夫していたのだと思います。悪魔の姿に戻った悪魔はいつもの香水を纏っていますし。


「あ、ごめん、アニー。通信が入ったから、一旦、部屋に戻る」


 悪魔が転移で逃げました。


「では私も失礼いたします」


 兄様はもちろん歩いて部屋を出ていきました。


「まあ、レオ様はお忙しいのね」


 お嬢様の驚異的な鼻のよさが、悪魔を退散させたことに、お嬢様は気づかれていません。


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