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 ノックの音で、私たちは時間の経過を知りました。


「入るぞ」


 悪魔の声は通ります。


「待て!!」


 ラウルが声を張り上げました。


「は? もう三十分だ」


 意外なことに、悪魔はラウルの制止を聞いて入ってきませんでした。


「あと三分」

「だめだ」

「覗きの趣味があるなら入ってこい。でなかったら三分後にもう一回、戸を叩け」


 悪魔の返事はありませんでしたが、悪魔がドアから離れたのは気配でわかりました。


「セレナ、腕貸して」


 ラウルはゆっくりと膝の上から私を下ろして、袖をめくり上げてしまいました。


「何?」

「キスマークつけさして」

「キスマーク?」

「そっ、俺んだって印」


 ラウルはそう言うと、私の手首の十センチほど下に熱いキスをしました。


「ラウル。不安にさせてごめん」


 やっと謝ることができました。

 ラウルのおかげで、自分の気持ちに折り合いがつけられたのです。セドリック殿下とのことは事故だった、ずるい私はそう結論づけました。

 私はずるくても、卑怯でも、ラウルのそばにいたいのです。


「さあ、セレナも」


 ラウルが騎士服の胸元をはだけて、私にキスを催促します。

 訓練以外で初めて見るラウルの肌に、戸惑いも緊張もありますが、それ以上にラウルへの愛しさが強くて、私は勇気を出してラウルの鎖骨の下に唇を押しつけます。


「ははっ。セレナ、それじゃ、つかない。吸うんだよ」


 ラウルの言葉に、唇をうすく開けて、花の蜜を吸うように、ラウルの肌を吸い上げました。


「もういっかな」


 そう言われて口を離すと、ラウルの肌が微かに濡れて、私の口づけの分だけうっすらと赤く色づいたことがわかって、急激に恥ずかしさに襲われます。


「セレナ、もう一回」


 ゆで上がっている最中に唇をついばまれて、羞恥でラウルをキッと睨むと、ラウルはクッと笑って、唇を割って侵入してきます。

 唇を合わせているだけなのに、全身が熱を持って、官能が身体中を駆け巡ります。ラウルのキスは私を清め、同時にはしたなくもしてしまうのです。


「三分だ! 入るぞ」


 悪魔の声が響き、私とラウルの唇が離れた瞬間にドアが開けられます。


「お前たち、食事もとらずに何してたんだ!!」


 入ってくるなり怒鳴った悪魔は真っ赤な顔をしています。お嬢様がいらっしゃらないので、変身魔法を使っていなかったのでしょうね。


「何してって決まってんでしょ。若い男女が密室ですることだよ」


 ラウルの軽口が悪魔の怒りに油を注いだようです。悪魔の風がラウルを空中に浮かせます。となりにいる私の髪も風に逆立ち、頬は魔力に粟立ちます。


「レオポルド様、そこまでにしてください。時間がありません」


 悪魔のあとに入室した兄様の言葉に、悪魔が魔力を治めます。ラウルがポスンとソファに落ちてきました。もちろんといいますか、やっぱりといいますか、ラウルは楽しそうに笑っています。ラウルは未だに魔法が大好きなのです。たとえそれが自分に向けられた攻撃魔法だとしても。


「ラウルもあんまりレオポルド様をからかうなよ」

「はい、すみません」


 ラウルが兄様にぺこぺこ頭を下げている間に、悪魔が私たちの向かいのソファに腰を下ろしました。


「それからセレナ」

「はい、兄様」


 私にも何か?


「妹の艶めかしい顔とか、あんまり見たくないな」

「!!」


 反射的に顔を両手で覆ってうつむきます。私はどんな顔をしているのでしょうか。赤く熟れている自覚はあるのですが、涙の跡も残っているのでしょうか。


「レジナルドさんこそ、セレナのことからかわないでくださいよ」

「ふふ。相手がいないものとしては、ちょっと意地悪くらいは言いたくなるものだ」


 兄様、実の妹にひどいです。ちょっとはかわいいはずですよね?


「セレナの顔の話など、どうでもいい。本当に時間がないのだぞ。何で食事しなかった?」

「レオポルド、もしアンちゃんとキスしまくれるなら、一食ぐらい余裕で抜くだろ?」

「!!」


 悪魔が衝撃を受けたのが見ていないのにわかりました。もわっと、あたたかい魔力を感じたのです。きっとこれが兄様の言っていたお嬢様に対して悪魔が放つ聖の魔力なのでしょう。


「そういうわけで食事抜きも覚悟してたんだけど、お前が赤くなっているうちに食っちゃうわ」


 顔を上げると、サンドイッチを頬張るラウルと目が合います。するとラウルはニカっと笑って、ゴキュッと咀嚼します。ワイルドなラウルも素敵です。


「どうぞ」


 兄様がラウルにコーヒーを淹れてくれました。いつもながら気が利きます。兄様は侍従の鏡です。


「サンキュっす」


 ラウルはコーヒーを飲みながら、あっという間にサンドイッチとポテトフライを平らげてしまいました。


「時間がないからもう行くぞ」


 悪魔が立ち上がったので、私も立ち上がります。


「帰りは転移だから見送りはいい。レジナルドはあれの使い方をラウルに教えてから、ラウルを下まで送っていけ」

「はい」

「それからラウル」

「うん?」

「一か月、死ぬ気で励め。体調に留意しろ。お前の処分の軽さが気に入らないやつらに、隙を見せるなよ」

「オッケ」


 ラウルの体の心配をしてくれるなんて、悪魔もかわいいところがありますね。


「お前が失態なぞ犯したら、お前の処分を見送った私まで責任を問われる。ラウルごときのやったことで、私が他人に文句を言われるようなことになったら、たまらないからな」

「はい、はい。素直に心配してるって言ってくれてもいいんだぜ」

「なにゅっ」


 悪魔が謎の言葉を残して転移していきました。


「では本当に時間ないから、一回で聞くように」


 兄様が悪魔の座っていたソファに腰を下ろしたので、私も座りなおしたのですが、異変に目を見開いてしまいました。テーブルの上が知らない間に片づけられていたのです。ラウルと私の前にカップだけ残して。


「さあ、セレナもしっかり聞くんだよ」

「はい」


 わかっています。ラウルが食事を終えたので兄様が片づけてくれたのでしょう。でも早すぎます。兄様が有能すぎて、自分の侍女としての力量が不安になります。


「通信具が訓練所には持ちこめないということで、レオポルド様がこれをラウルに」


 兄様がテーブルの上にノートを二冊並べておきました。ブラックのほうはいいですが、レモンイエローの表紙はラウルにはかわいすぎる気がします。


「ノート?」

「そう。もちろんただのノートじゃなくて、レオポルド様の発明品だよ」

「へえ」


 ラウルがノートに手を伸ばしたので、私も横から覗きこんで見ましたが、何の変哲もない普通のノートです。


「なんかかわいくない?」

「ああ。元々アン様のために開発したものだからね」


 悪魔の発明はお嬢様に向けた愛情と執着です。


「で?」

「その黄色いノートに文字を書くと、黒いノートにも文字が写る」

「は?」

「わからない? こちらのノートに何かを書くと、同時にこちらのノートにも同じ何かが書かれる。もちろん魔法でね」

「マジでー? レオポルドってやっぱ天才だな」


 ラウルの口にした天才が、脳内で天災に変換されました。悪魔はお嬢様の日記を盗み見るためだけに、この魔法のノートを開発したのでしょう。


「セレナ、そんな顔するな。レオポルド様の下心が役に立つこともある」

「…………」


 何だか兄様って、悪魔に甘くありませんか?


「黄色いノートをラウルが持っていき、そこに日記のようなことを書くんだ。そうすると、セレナにラウルの無事がわかる。安心だろ?」


 それには頷くしかありません。


「レジナルドさん」

「ん?」

「これって、もう一組ないの? 俺もセレナからのラブレター欲しいんだけど」


 私もラウルにメッセージを贈りたいと、兄様をじっと見つめます。


「ラウル。お前は多分、訓練所で監視され、荷物は抜き打ちでチェックされる。そこへセレナの文字が浮かぶノートを持っていくのは危険だ。あらぬ疑いをかけられる」

「ああ、そうゆうことね。俺が日記を書く分には問題ないけど、俺宛てに何かが届くのは大問題ってことか」


 外部との連絡が禁止なのに、ラウルのノートに、ラウル以外の字が綴られていくのに気づいた監視者は、刺客との接触を真っ先に疑うことでしょう。


「そういうことだ。さあ、理解したなら、そのノートを持って立て、そろそろ行かないと」

「はい。了解っす」


 兄様とラウルが立ち上がったので、私も慌てて立ち上がります。


「すぐに戻るから、セレナはここで待っていなさい」

「はい」


 下まで見送りに行きたいのですが、それはできないのです。懲罰対象のラウルが、荷物を取りに来ただけのはずの学園内で、婚約者の私と会っていたとなれば、厳しい目が向けられることになるのはわかりきっています。


「じゃあな、セレナ。俺がいないからって、ふらふらすんなよ」

「うん。わかってる」


 冗談めかして言ったラウルの目が本気だったことに、私が気づかないはずがありません。


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