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一限目が終わったあとの休憩時間でした。
「さっきはサンキュ」
勇者ラウルが悪魔に話しかけました。
「お前は私の話を聞いていたのか? 気安く話しかけるな」
返答したことで、悪魔がラウルを嫌っていないことが私にはわかりました。当時の悪魔はお嬢様と身内以外は無視、気に入らない相手は威圧、そして気に障った相手は魔力で攻撃でしたから。今では悪魔も少しだけ丸くなって、職場の同僚ともそれなりには会話しているようです。威圧と攻撃癖は相変わらずですけれど。
「俺、愚か者でもいいから、お前と友だちになりたいわ」
今度は悪魔が目を丸くする番でした。
「俺さ、ほとんど魔法使えないから、お前みたいな魔法使いと友だちになりたい」
ラウルは馬鹿なのかもしれない。私はとなりの席でこっそりと思っていました。
「誰に向かって、お前などと言っている」
悪魔がラウルを睨みつけました。
「んじゃ、レオポルドな。俺のこともラウルでいいから」
悪魔が再び魔力の風を起こしましたが、ラウルは楽しそうに目を細めました。
「すげえな。自由自在に風起こせるとか、洗濯物もあっという間に乾かせるし、果実の受粉とかにも役に立ちそうだし、もしかして荷物とかも運べちゃう?」
十四歳まで平民としてすごしたラウルの思考は変わっていて、それが悪魔には面白く感じられたようでした。悪魔がよく私に向ける憎たらしい表情をラウルにも向けたのです。その人を小馬鹿にしたような表情は、悪魔が自分の身内と認めているものにしか向けることがないのです。ラウルが悪魔の懐に入った瞬間でした。
「私の学友として認められたいのなら、まずその口調を直せ。貴族としての最低限のマナーを覚えろ」
そう言って悪魔は不穏な風を治めました。
「オッケー。レオポルド、よろしくな」
悪魔と友情を結んだラウルは私のほうへ振り向きました。
「ねえ、セレナちゃん?」
「……はい」
いきなりの名前呼び、ちゃんづけに驚きましたが、伯爵家のラウルを無視するわけにもいかなかったので返事をしました。
「婚約者いないって言ってたけど、レオポルドとはどういう関係なの?」
「……レオポルド様とは幼なじみです」
「それだけ?」
「はい」
私の答えにラウルはニパっと笑いました。そのとき私の胸はドキッと反応しましたが、それは恋のときめきではなく、ハラハラドキドキのドキでした。
当時のラウルは感情がつかめなくて、行動が読めなくて、心臓に悪い存在でした。そんなラウルだから好きになったのかもしれません。わからないから知りたくて、危なっかしいから目が離せなくて、気がついたらラウルは私の特別でした。ちなみにラウルを好きになったのはもっとずっとあとのことです。
「じゃあさ、俺なんてどう?」
「どうとは?」
「婚約者候補に」
「えっ?」
あまりにも唐突で軽い発言に、私は訊き返しました。
「俺、これでも伯爵家の跡取りなんだけど」
「はあ」
「さっきも言ったけど、俺、魔法全然ダメだから、魔法の使える子と結婚したいわけ」
「はあ」
「セレナちゃん、さっき俺のこと乾かしてくれようとして、風起こしたよね、魔法で」
「はい」
「だからどう?」
「…………」
返答のしようがありませんでした。ラウルは伯爵家の跡取りで見目もよい優良物件でしたが、私は高望みしない主義でしたし、特別魔法が得意なわけでもない私はラウルの望む結婚相手ではないと思っていたのです。
「ラウル」
悪魔がラウルの名前を呼びました。
「何、何?」
「セレナはたいして魔法を使えない。それにお前はそれなりに魔力を持っている」
「えー!! マジ?」
ラウルが椅子の上で飛び跳ねて喜びました。あの頃のラウルは本当に子供っぽくて無邪気でした。
「ああ。セレナがミミズ並みの魔力だとしたら、お前はモグラくらいの魔力がある」
悪魔はどんなときでも私を貶めることを忘れません。
「それって全然すごい感じしないんだけど、ちなみにレオポルドはどれくらいあんの?」
「私の魔力は計測不能だ。強いていえば海。あるいは空。でなければ世界」
悪魔は昔から謙遜とは無縁でした。
「マジでー? じゃあさ、じゃあさ、ほかのやつってどんくらいなの?」
「ん? ここにいるやつらのことか?」
「あー。まあ、それでいいや」
「ほとんどがハエレベルからモグラレベルだな。数人例外がいるが、それでもニワトリくらいだな」
「マジか。でもさ、俺、家庭教師に習ってたんだけど、全然魔法使えないぜ。せいぜいロウソクに火つけるくらいしかできない」
「魔力量と魔法力は比例しない。お前は魔力の持ち腐れの可能性がある。しかし多少なりとも火炎魔法が使えるということは訓練次第では火炎攻撃が放てるようになるかもしれない。その家庭教師からどれくらいの期間習った?」
「うーん。多分、半年くらいで、もう伸びしろなしって言われて、それでも一年くらいは習ったかな」
「家庭教師が無能だったのか、お前に魔法の才がないのかはわからないが、その魔力量なら魔法科にも進めるだろう。どうするかはお前次第だ」
ラウルは求婚したはずの私のことなど忘れて、悪魔と魔力談議に花を咲かせました。
求婚の最中に放置された私は、聞き耳を立てていた周囲の女子たちから憐れみの目を向けられていました。私はその視線には気がつかないふりをして、残りの休み時間をやりすごしたのでした。




