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お嬢様と悪魔を見送ったあと、兄様の私室に初めてお邪魔しています。
「さあ、座って」
私の部屋と同じような作りですが、兄様のお部屋は圧倒的に物が少ないので広く感じます。
「エリーゼ様からいただいた茶葉だから、おいしいと思うよ」
兄様が慣れた手つきで紅茶を淹れてくれます。香り高い一杯です。赤みが強いので、輸入品かもしれません。
「おいしいです」
「よかった」
一度微笑んだあと、兄様が表情を引き締めます。大切な話が始まるのだと、私も兄様の目を真剣に見つめます。
「刺客騒動の余波で大々的な配置換えが行われることになった」
騎士レックスと親しくしていた騎士たちや借財のある騎士たちが、殿下方の護衛から外れることになったと、昨日マーサさんから聞きました。マーサさんの情報源は騎士の旦那様です。
その措置は刺客につけ入られる隙を与えないためのものだそうです。弱みを隠す人間は悪に魅入られやすいのですから、当然のことかもしれません。
「ラウルもギルバート殿下の近衛から外すべきだとの声が上がった」
予想していなかったといえば嘘になりますが、ラウルと近くで生活できることを楽しみにしていたので落胆が大きいです。
「しかしレオポルドがラウルの転属に反対して、保留になった」
悪魔の権力がこういうときは頼もしいです。
「ラウルは今回の件で処分対象に上がったほかの数人の騎士たちと一緒に再教育訓練を受けることになった」
「再教育訓練とは、通常の訓練とは違うのですか?」
「ああ。初期訓練に近い内容になるらしいが、きっとそれよりも過酷なものになるだろう」
騎士というのは大変な職業です。常に訓練を怠らず、規律を守り、人を守り、国を守る。
そんな正騎士になるためには二通りの方法があり、見習い騎士として正騎士の下で二年間働くか、騎士科を卒業するかです。貴族の子息はほとんどが騎士科をへて騎士になり、平民の場合は見習い騎士として騎士生活をスタートさせます。そしてどちらも騎士の第一歩が初期訓練なのです。この初期訓練の厳しさは有名で、訓練に耐えられずに騎士を諦める方が多いと聞きます。
ラウルも卒業前の三か月間、この訓練を受け、肉体的にも精神的にも追いつめられていました。同時期に特例で初期訓練に参加していた悪魔でさえ、時おり疲れた顔を見せていたものです。
「初期訓練よりも大変な訓練を受けなければならないなんて、ラウルはただ刺客に姿を模倣されただけではありませんか」
つい感情的になってしまった私を、兄様はなだめるように、諭すように話します。
「セレナ、それは違う。ラウルは監視を任されていたのにもかかわらず、刺客を見失い、姿を盗まれた。それだけでも十分に左遷対象なのだ。もしも騎士服まで盗まれていたら、レオポルドでもかばいきれなかっただろう」
「騎士服がどこから盗まれたのかは判明したのですか?」
変身魔法で変化するのは通常肉体だけです。そのことから刺客がどこから騎士服を入手したのかが問題になっていたのです。
「ああ、騎士団の宿舎から盗んだとレックスが白状した。刺客に騎士服の提供を依頼されたレックスは自分の関与が疑われないように、魔法騎士団の制服ではなく、騎士団の制服を渡したらしい」
「そうなのですね」
騎士レックスはもしも殿下の暗殺に成功していたら、どうするつもりだったのでしょう。一億の借金よりも、主君を害した罪のほうが重いことに気がついて後悔したのでしょうか。
「ラウルのことだが」
「はい」
そうでした。騎士レックスのことなど考えている場合ではありませんでした。
「訓練期間は一か月間だけだ。何も問題がなければここに戻ってこられるだろう」
「一か月?」
「ああ。その間は外部との接触を一切禁止されることになっている。通信具も身につけることは許されないと思う」
「そう、ですか」
「これは俺の予想だが、ラウルには監視がつくだろう。本当に刺客とつながっていないか、疑心を捨てきれないものもいるのだ。それでもレオポルドのおかげで、ラウルの処分はかなり軽いと言える。何のコネもなければ砦に飛ばされてもおかしくない。まあ、ラウルは伯爵家の跡取りだから、そんな辞令が出たら、騎士自体を辞めるだろうが」
複数の感情がわき上がり、自分の気持ちをつかみきれません。はっきりと形になっているのは、ラウルに会いたいという思いだけです。あの騒動からまだ一度もラウルに会えていないのです。たった一日半のことですが、ずいぶん長い間会っていないような気がします。ラウルの屈託のない笑顔が恋しいです。
「ラウルは今日の昼、荷物を取りに戻ってくる」
今はどこで寝泊まりしているのでしょう。再教育訓練はどこで行われるのでしょう。ラウルは元気なのでしょうか。落ちこんでいないでしょうか。いくつもの疑問が、そして不安が浮かんできます。
「会いたいだろう?」
「はい」
もちろんです。会って、ふれて、ラウルの存在を確かめたい。自己主張の激しい願望が私の内側で騒いでいます。
「レオポルドがラウルとセレナが会えるようにしてくれた」
「……レオポルド様が?」
「ああ。学園の昼休憩のあと、レオポルドは一旦寮に戻り、ラウルと自室で会うことになっている。そこでセレナもラウルと会うことができる。長時間は無理だが、十分程度なら話もできるだろう」
「ありがとうございます」
「セレナ、礼はレオポルドに直接言え。あれでもセレナやラウルのことを大切に思っているのだから」
「……はい」
頭にクエスチョンマークがいくつも浮かびましたが、とりあえず返事をしておきました。ラウルのことはともかく、私のことを大切に思っているとはとても思えませんが、少なくとも悪魔のおかげでラウルに会えるのですから、あとでお礼はします。
「それから」
兄様が言いにくそうに口元を歪めます。
「それから?」
兄様がごまかすように微笑みました。
「学園の昼休憩終了の鐘が鳴ったら、セレナはレオポルドの部屋に飲み物と軽食を運んでくるように」
「はい」
兄様が何を隠されているのか、気になりましたが、訊くことはできませんでした。微笑みでごまかしたときに、兄様が切なげに眉を寄せていたことに気がついたからです。




