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臨時休校の一日で学園内の安全が確認でき、本日はお嬢様の授業が始まる記念すべき日でございます。
「ねえ、セレナ」
「はい、お嬢様」
お嬢様の鏡越しの憂い顔の美しさが、私の憂鬱を滅していきます。災難続きでしたので、今日も何かあったらどうしようと気が重かったのです。
「私にも友だちができるかしら」
「もちろんでございます。ただ、学園の生徒間に爵位を持ちこまないというルールは、実際はあまり順守されていませんので、お嬢様のほうからお友だちになりたい方に声をかけられるとよいかと思います」
「それが難しいのよね」
お嬢様はため息までもが甘美でございます。
「あまり気負われずに、近くの席に座られた方や、目が合ったご令嬢に挨拶をするところから始められたらいかがでしょうか」
「そうね……」
お嬢様は主に悪魔のせいで、あまりご友人に恵まれていらっしゃらないので、とても不安げでございます。でもお嬢様、その不安はすぐに解消されるはずでございます。悪魔がお嬢様の友人まで手配しているのですから。あれを手配と言ってよいのかには疑問が残りますが。
「さあ、そろそろレオポルド様がお見えになる時間でございます。居間に移動しましょう」
「ええ、レオ様をお待たせするわけにはいかないものね」
悪魔など永遠に待ちぼうけをくらわせてやりたいところですが、食事は大切ですのでまいりましょう。
「おはようございます。レオ様」
もう席についていた悪魔にお嬢様が駆け寄ります。ポニーテールとそれを結わえた白いリボンが揺れて、大変愛らしいです。
「おはよう、アニー。今日はしっぽがかわいいね」
「まあ!」
悪魔がお嬢様の御髪に手を伸ばし、そしてクルクルしています。やめてください。せっかくの爽やかな髪型が台無しになります。お嬢様も悪魔の好きにさせておかずに距離をお取りくださいませ。
「こんなかわいいアニーを年頃の男たちに見せなくてはならないなんて」
私は悪魔に一番見せたくありませんけど。それから真っ白なレースのリボンが穢れてしまいそうですから、早くその手を離してください。
「アニーのことを一人で学園に通わせるのが心配だよ。その胸ポケットに納まるサイズに変身できたら、アニーと一緒に登校できるのに」
「まあ、レオ様ったら」
悪魔が本気を出したら、それくらいできそうな気がして怖いです。そして胸ポケットに入りたいとか、下心が隠しきれていませんよ。
それより何より、毎日一緒に登校する予定ですよね? それをご存知ないのはお嬢様だけですよね?
「アニー」
悪魔が立ち上がって、お嬢様の瞳をじっと覗きこみます。ゆっくりとお嬢様の頬に手を伸ばします。そして愛おしげにお嬢様の清らかな頬を撫でました。私に治癒魔法が使えたら、今すぐお嬢様の頬を消毒できますのに。
悪魔がお嬢様にふれたままで動きません。視線も外しません。二人はじっと見つめ合っています。ああ、朝から最悪でございます。
兄様のアドバイスのせいで、悪魔の辞書から遠慮の二文字が消えてしまったではないですか、と悪魔のそばに立っている兄様を睨みましたが、微笑みを送られてしまいました。
兄様は悪魔の恋を応援しているのです。その点では兄様も私の敵なのです。しかもある意味、悪魔より強敵です。
「私以外の男をそうやって見つめてはいけないよ」
「はい、レオ様」
お嬢様、悪魔のこともそんなふうに見つめてはいけません。悪魔が調子に乗ります。そして私が悲しみます。
「男は勘違いしやすい生き物なのだからね」
「はい」
お嬢様は従順でいらっしゃいます。悪魔の言うことなど聞き流してくださればよいのに。
「でもアニー」
悪魔が声に砂糖を大量投入しました。危険です。
「はい、レオ様」
お嬢様は悪魔の砂糖が大好物でございます。お嬢様の麗しい瞳にハートの幻が見えるのは悪魔の幻影魔法ですよね? 誰かそうだと言ってください。
「私のこの気持ちは勘違いなどではないよ」
「……レオ、様」
「アニーのことが世界一好きだ」
「!!!」
お嬢様が悪魔に抱きついてしまわれました。口惜しいことに悪魔は満面の笑みです。一昨日まで甘い言葉の一つも囁けなかったくせに、赤面しなくなったら、今度は甘い言葉しか吐けない病にかかってしまったようです。悪魔のこの病気に治癒魔法は効きますか?
「レオ様」
「ん?」
抱き合ったままで見つめ合うとか、危険すぎます。もう放ってはおけません。
「お嬢様、そしてレオポルド様。お二人とも遅刻してしまいますので、そろそろ朝食を」
悪魔に睨まれましたが、私は間違ったことなど申しておりませんよ。フン。
「じゃあ、食べようか、アニー」
やっと二人がテーブルに着いてくださいました。兄様が料理を取り分け、私が紅茶を淹れます。
お嬢様の好物ばかりが並んでいるのは、もちろん偶然などではありません。悪魔が事細かに厨房へ指示しているのです。味、見た目、栄養、三拍子揃った完璧な朝食でございます。
「レオ様」
「何だいアニー?」
「何だか私たち……」
「ん?」
「新婚みたいですわね」
「!!!」
自分の言葉に照れたお嬢様がうつむいてしまわれました。そんな恥ずかしがり屋のお嬢様もかわいらしいです。
そして悪魔が悶絶しています。魔法のおかげで赤面はしていませんが、驚愕からの破顔、そこからの取り繕った真顔、しかしすぐにデレ顔とか、一人百面相チャレンジですか?
「予行演習でございますね、アン様」
悪魔の異変にお嬢様が気づかれないように、兄様が話しかけます。
「うふふ」
お嬢様がはにかまれると、女の私でさえ、鼻の下がだらしなく伸びてしまいそうになります。悪魔はもうすっかり伸びています。
自分の何げない言動が周囲の顔面を崩壊させていることに、お嬢様はお気づきにはなりません。




