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 結局、カリーナ様からすべてを訊き出すのに三時間もかかってしまい、疲労困憊しております。カリーナ様は寝不足の私には強烈すぎました。気力も体力もごっそりと削られてしまいました。

 すぐにお嬢様の元へ戻る予定でしたが、あまりの疲弊具合に、様子を見に来た悪魔から昼休憩をもらいました。悪魔にも慈悲の心があったのだと感謝したすぐあとに「そんな疲れきった顔でアニーのところへ戻ってみろ、心やさしいアニーが心配してしまうだろ。セレナごときがアニーに心配されていいと思ってるのか? アニーの心を煩わせる権利など、お前にはない」と言われました。普段なら憤慨しているところでしょうが、悪魔に腹を立てる元気も私には残されていませんでした。


 それなのに、休憩のはずなのに、なぜこんなことに?


「お疲れ様、セレナ」

「……ありがとうございます、殿下」


 自室に戻ろうとした私をセドリック殿下は昼食に誘ってくださいました。ありがた迷惑ですが、そんなことをもらせば不敬です。


「遠慮しないで食べなさい、殿下のせっかくのお心遣いなのだから」

「……はい、兄様」


 しかもカリーナ様と一緒に王城へ向かわれたカイン様の代わりに、兄様が給仕をしているのです。


「レジナルドも一緒に食べたらいいのに」

「いえ、王太子殿下と一緒に食事など、滅相もないことでございます」


 殿下と兄様の仲はどうなっているのでしょうか。兄様、口調は丁寧なのですが、言葉に何やら棘が見え隠れしていますし、殿下は殿下で、明らかに兄様に向ける表情に含みがあります。


「セレナ、王太子殿下と食事など、一生に一度あるかないかの貴重な機会なのだから、感謝していただくのだよ」

「はい」


 兄様、目が怖いです。


「セレナ、これからもこうやって一緒に食事ができたらいいね」

「……はい」


 殿下も目が怖いです。


「それにしても好きな子と飲食を共にするのは楽しいものだね、レジナルド」

「国民すべてを愛する殿下にとっては誰ととる食事も楽しいものだと愚考いたします」


 二人とも微笑んでいるはずなのに、目が笑っていなくて怖いです。


「さあ、食べながら話そうか」


 殿下が優雅にナイフとフォークを持ち上げます。私も一応カトラリーを持ちましたが、食欲がわきません。黒い微笑みの応酬を見ながらの食事なんて、絶対に消化に悪いです。お願いですから、私に休憩をください。


「殿下、セレナは婚約者のことが心配でしょうから、どうか殿下の口から、ラウルのことを教えてやってください」


 それはもちろん知りたいですが、ここで聞くくらいなら、悪魔から聞いたほうがましなような気すらします。


「もちろんだとも。セレナがほかの男の心配をする姿などこれ以上見たくないからね」


 殿下と兄様が微笑み合っています。殿下と渡り合える兄様の神経が信じられません。本当に私と同じ血が流れているのかと、疑いたくなります。


「セレナのおかげで、アルビン嬢と学園長の供述が取れた。その結果、ラウル・サイクロスの疑いは晴れた。アルビン嬢がサイクロスと会っていたという時間、本物のサイクロスはほかの騎士たちと一緒にギル部屋の中で護衛に当たっていたことがわかった。これで安心したかい?」

「はい」


 安堵が押し寄せます。鼻の奥がつんとして、それを押しとどめるように、グッと水を流しこむと、咳きこんでしまいました。


「ごほっ……ごほごほっんっ……」

「セレナ、慌てて飲まないで、涙目になっているよ」

「……は、い、ごほっ……」

「その涙がサイクロスのためだとしたら、妬けるね」


 殿下がワイングラスを傾けられます。私のように不様に咳きこむようなことはありません。所作の美しさは殿下に染みこんでいるのでしょう。


「殿下、セレナをからかうのはおやめください」


 今日の兄様は何だか少し過保護です。でも私の気持ちを代弁してくれるのでありがたいです。


「ふ、これくらいがからかいに数えられるなら、私は何も話せないね、セレナ」


 私にふらないでくださいませ、殿下。


「まあ、いいよ。真面目な話をしようか」

「はい」


 ぜひお願いいたします。そしてできるだけ早く食事も終えてしまいましょう。この黒い空間から早く脱出したいのです。


「アルビン嬢と学園長の供述をまとめるとこうなる。ドランの刺客は自分の監視についていたサイクロスに変身魔法でなりすました。その姿でアルビン嬢に接触。私がアルビン嬢を妃に召し上げたいが、今すぐというわけにはいかないから、とりあえず今夜は人目を忍んで会いに来てほしいと言っていると、嘘を伝えた」


 カリーナ様は半信半疑でしたが、学園長は簡単に信じてしまわれたそうです。元々娘の美貌が自慢だった学園長にとっては、セドリック殿下の娘を側室にしたいとの所望は予想通りですらあったのでしょう。


「それを学園長に伝えたアルビン嬢は侍女と三人で寮まで来た。寮の外で待ち伏せしていた刺客、もちろんサイクロスに扮していた刺客と三人は会い、刺客と学園長は密談を交わした。刺客は私がアルビン嬢を間違いなく側室に上げるつもりであると、しかしその前に少し味見をしたいのだと学園長に伝え、学園長は了承した。元々色仕掛けで私を落とそうとしていたのだから、渡りに船だったのだろう」


 学園長はなかなかの野心家で、カリーナ様の魅力的な容姿でセドリック殿下を篭絡しようとしていたのです。王太子殿下とのつながりは中流貴族の学園長にとっては喉から手が出るほどほしいものだったのでしょう。


「カリーナ様は王族と婚姻する場合は、既成事実が必要なのだというでたらめを吹きこまれていました」


 カリーナ様の名誉のためにつけ加えます。これを聞いたときは学園長に対して怒りを覚えました。女性の純潔を何だと思っているのでしょうか。一度失えば二度とは戻らない。だからこそ大事にしなければならないのに。


「ああ。私も聞いていたから知ってるよ」


 殿下が苦笑されます。そうでした。殿下も私たちの会話を盗聴器で聞いていらしたのですから、ご存知に決まっています。


「学園長は娘の美貌に絶対の自信があった。だから山ほど来た婚姻の打診に首を縦に振らなかった。出し惜しみしているうちに適齢期をすぎてしまって焦った。それで既成事実が手っ取り早いと思ったのだろうね」


 カリーナ様は大変かわいらしい方だったので、私より幼く感じましたが、二十一歳になられるそうです。カリーナ様ご自身は年齢のことはあまり気にしていらっしゃらないようでしたが、学園長は気にしていたのでしょう。自分のせいで娘の婚期が遅れてしまっているのですから。


「学園長は学園の卒業生であるサイクロスを知っていた。面識のあった人間を騙せるくらいには、刺客の変身魔法は巧みだったことになる。さらに刺客はアルビン嬢と侍女の二人に姿を消す魔法具をつけさせ、寮内の娯楽室へ連れこんだ。このときの目撃者が今のところいない。もしかしたら刺客も魔法具で姿を消していたのかもしれない」


 変身魔法が得意で、姿を消す魔法具を持っている刺客。捕まえるどころか、見つけるのも容易ではないでしょう。


「騒動のあとで娯楽室を利用するものなどいないから無人だった。静かだったからか、疲れていたからか、あるいは睡眠魔法をかけられたのか、そこでアルビン嬢は眠ってしまった」

「カリーナ様が眠られている間に、侍女の方が外へ連れ出され、今度は刺客がその侍女になりすましていたのですね」

「ああ、侍女は寮内の結界が張られる前に、アルビン嬢が宿泊予定だった学園長の部屋へ戻っている。深夜、刺客が変身した侍女に起こされたアルビン嬢はその姿に何の疑いも持たず、ここまで連れてこられ、ドレスを脱がされた。ドレスは刺客が持ち去ったのだろう。残されてはいなかった」


 カリーナ様は侍女に違和感を覚えなかったそうです。明かりの落とされた娯楽室は暗かったため、刺客が侍女にどれほど似ていたのかはわからないとおっしゃていました。服装も覚えていないそうです。


「カリーナ様がネズミ捕りにかかったのを見て、刺客は逃げたのでしょうか?」


 刺客はネズミ捕りの存在に気がついたのでしょうか。もしも気づいていたとしたら、今後、その刺客がネズミ捕りにかかる可能性が格段に下がってしまいます。


「はっきりとはわからないが、アルビン嬢が結界に閉じこめられたのを見た可能性は高いだろう。刺客も罠には大いに警戒していたはずだ」


 だからこそ、カリーナ様に接近して利用したのでしょう。


「まあ、もしもアルビン嬢が私と睦み合い始めたら、突入してくる予定だったのだろうけどね」


 殿下がワイングラスを妖艶に傾けられます。一々仕草が色っぽいです。


「刺客は寮内で朝まで潜んで、結界が解除されたあとで脱出したのだろう。残っていたところで危険のほうが大きいからね。今のところ学園の敷地内で怪しい人物も魔法道具も見つかってはいない」

「カリーナ様はどうなったのですか?」


 カリーナ様はダブルで被害者ですよね? 刺客に騙され、父君に唆された。


「アルビン嬢は厳重注意。学園長は今回の事件の責任を取って、後任が決まり次第、学園長を辞任してもらうことになった。まさにすぎたる欲望は身を滅ぼすだね」


 自業自得ということですね。


「カリーナ様は今後どうなるのでしょう?」


 父君は学園長の職をとかれても伯爵ですから、生活には困りませんよね? 没落した貴族令嬢ほど惨めなものはありません。私のように初めからそれほど裕福でなければ働くことに抵抗もありませんし、探せば職もあります。しかし失礼ながらカリーナ様に労働は不向きでしょう。生まれながらのお姫様なのですから。


「セレナはずいぶんアルビン嬢に肩入れしているようだね」

「いえ」


 ただカリーナ様は悪人ではなく、素直で愛らしい方だと知ってしまったので、不幸になってほしくないのです。


「アルビン嬢にはドランへ留学してもらうよ」

「留学ですか?」


 カリーナ様はすでに適齢期をすぎられ、その上留学など、さらに婚期が遠のきそうな気がします。


「彼女にとっても、この国にいるよりはいいだろう。もちろん本人も納得し希望している」


 留学がカリーナ様のことを思ってだけの処置とは考えにくいです。留学先がドランなわけですし、何か裏があると疑わないほうがおかしいですよね。


「それはただの留学ですか?」

「うーん。内緒」


 一介の子爵子女が聞いていい問題ではないのでしょう。カリーナ様のことは心配ですが、私にしてさしあげられることはありません。


「セレナにはあまり心配をかけたくないからね」


 殿下の瞳が妖しい色を帯びます。私は昨日一日でとても殿下に詳しくなったようです。こういう色を目に浮かべられた殿下は、私にとっては鬼門です。


「セレナ、そろそろアン様のところへ戻りなさい」


 怪しい空気を察したのでしょう、兄様が声をかけてくれます。食欲もさほどありませんし、一応料理に手はつけました。殿下もワインを三杯も呑まれましたし、そろそろ頃合いでしょう。


「じゃあ、名残り惜しいけどそろそろ解散かな」


 殿下がウインクされましたが、無視させていただきます。


「はい。ご馳走様でした」


 でもお礼はにこやかにしますよ。


「では失礼します」


 私が立ち上がると同時に立ち上がろうとされた殿下の肩を、兄様が力づくで抑えていたことに、私は気がつかなかったことにさせていただきます。


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