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「お待たせいたしました」


 カリーナ様が目元のタオルを外して振り向かれます。短時間でしたが、顔色が一段明るくなったようです。

 カリーナ様はお腹も空かれていたのでしょう。ドリンクと一緒に用意されていたクッキーを真っ先に頬張られました。それからオレンジジュースを勢いよく飲まれます。カリーナ様はまるで子供のような方です。


「カリーナ様」

「……ん、何?」

「失礼いたしますね」


 顔全体に薄くクリームを伸ばして、軽くマッサージしながら質問します。


「先ほどのお話ですが」

「さっきの? あのカインって人の話?」

「……いえ」


 先ほどのカイン様の顔を思い出して笑いそうになってしまいます。


「殿下が部屋で待っていると言われたというお話のほうでございます」

「ああ、そっち」

「はい。あの、その、昨夜、どうしてこちらへいらっしゃったのか、教えていただけませんか?」


 どうやら私は尋問の才能はないらしいです。


「いいわよ」


 でもカリーナ様とは相性がいいのかもしれません。カイン様よりは、と注釈がつきますけれど。


「あれがあって」


 ぽろりですね。


「恥ずかしくって、走って外へ出たの」


 すごい脚力でいらしたと、殿下からうかがいました。外見からはとても想像できません。


「めちゃくちゃに走ったら迷子になっちゃってね」

「まあ」

「そしたらね、騎士が助けてくれたの」

「騎士ですか?」

「そう。殿下の近衛騎士だって言ってたわ。そのときは暗くてよく見えなかったんだけど、そのあとここで会ったときはしっかり見えたわ。騎士服だったの。それにすごくかっこいい人だったわ」


 胸がどきりと嫌な音を立てます。騎士服だったということは内通者が騎士レックス以外にまだいたということではないでしょうか。寮に自由に出入りしている騎士はギルバート殿下の専属護衛騎士しかいません。ただ昨夜に限っていえば、王城勤務の騎士も寮内にいたかもしれませんが。


「その騎士がね、殿下が私を探してるって教えてくれたの。でも殿下は殿下だから、人目のあるところでは会えないからって。それで寮の前で待ってるから、あとで来てほしいって言われたの」

「あとでとは?」

「遅くても九時半にはって言われたわ」


 寮の結界が張られる前ということですね。


「その騎士の名前や特徴はおわかりになりますか?」


 悪魔が厳選した騎士の中に内通者がいるかもしれない。その恐怖が指先を冷やします。


「名前は聞いてないけど、目元に色気のあるかっこいい人よ。黒髪でね、青っぽい灰色の目をしていて、背は少し高めだったわ」


 特徴がラウルと一致したのは偶然ですよね。心臓が痛いです。ラウルが内通者であるはずがありません。でもギルバート殿下の専属護衛騎士の中に、ラウル以外で黒髪にブルーグレーの瞳の方がいるでしょうか。


「ねえ、もう目開けてもいいの?」

「……はい」


 マッサージの手がとまっていたようです。カリーナ様が目を開けられて、ドリンクに手を伸ばされます。私は不自然に見えないように、メイク道具へ手を伸ばします。この精神状態で上手にメイクできる自信がありません。心臓がばくばくしているのです。


「次はメイクになります」


 声が震えてしまわないように、慎重に発声します。不安が喉を震わすのをどうにか押しとどめます。

 通信具が震えて、私はびくりと体を震わせてしまいましたが、カリーナ様はクッキーに夢中で気づかれませんでした。


「あの、手を洗ってきます」


 カリーナ様が頷かれましたので、私は洗面所に向かいます。走り出したい気持ちを抑えて、ゆっくりと、そしてカリーナ様に聞こえないように、水を流しながら小声で応答します。


「セレナです」

「わかってる」


 悪魔でした。


「ラウルなわけないだろ。お前が信じなくてどうする」


 悪魔の言葉が胸に刺さります。本当にそうです。ラウルのことをほんの少しでも疑ってしまったなんて、私はどうかしています。


「そこのネズミが会ったのは多分昨日取り逃がした刺客だ。その刺客に昨夜ラウルをつけていた。ラウルはまんまとまかれた上に、姿まで盗まれたんだな」

「姿を盗まれた?」

「セレナ、少しは頭を使え。ラウルでない以上、変身魔法か幻影魔法しかないだろう」


 悪魔に指摘されても頭が回りません。


「多分変身魔法だろうが、まだ確定はできない。変身だとしたら、昨夜、刺客はラウルの姿で寮内に侵入していたということになる。どの程度似ていたかわからないが、もしも騎士仲間を騙せるほどだったとしたら厄介だ。お前は引き続き、ネズミに詳しく話を訊くんだ」

「……はい」

「しっかりしろ」

「はい」

「ネズミの証言で、ラウルはすでに王城へ連れていかれた」


 涙がせり上がってきますが、唇を噛みしめて耐えます。泣いてしまったら、カリーナ様に不審に思われてしまうでしょう。そのせいでカリーナ様の口が重くなってしまったら、ラウルのためになりません。


「大丈夫だ。誰もラウルが本当に内通者だなどとは思っていない。しかしラウルに似ている騎士に誘導されたと話に上がった以上は疑う必要がある。それはわかるな?」

「はい」


 悪魔はラウルの友人である前に、ギルバート殿下の専属護衛騎士隊の隊長です。ラウルを特別扱いすることなどできないことはわかっています。


「お前がネズミから訊き出した情報がそのままラウルの疑いを晴らすことにつながる。しっかりと詳細を訊き出すんだ」

「はい」


 カリーナ様には洗いざらい話していただかなければなりません。そのためにはまず冷静にならないと、と洗面台の鏡に映った自分にそう言い聞かせます。




 私はゆっくりと手を洗ってからカリーナ様の元へ戻りました。私がしっかりしなければと、背筋を伸ばして気合いを入れます。


「あの、先ほどの騎士の話の続きを訊いてもよろしいですか?」


 カリーナ様の肌へ白粉を乗せながらうかがいます。


「別にいいけど、あなたには無理だと思うわよ」

「と、いいますと?」

「だから、その騎士は顔が良すぎるから、あなたが興味を持ったところで、見こみなしってこと」

「……はあ」


 何だか肩の力が抜けてしまいました。カリーナ様は思考が恋愛ごとに直結していらっしゃるようです。おかげで緊張が抜けて、落ちついて話が聞けそうです。


「えっと、そうではなくてですね、ただお話をうかがいたいのです」

「そう。まあいいけど、あなた時間ないって言ってなかった?」

「午前中の予定がキャンセルになりまして、時間ができたのです」


 嘘がすらすら出ていきました。悪魔の嘘つきがうつってしまったのでしょうか。


「騎士が言ってたこと、そのまま信じたわけじゃないのよ。私だって馬鹿じゃないもの。でも本当に殿下の伝言だったら無視したらだめでしょ? だからね、そのときは微笑むだけにしたわ。お母様に困ったときは笑いなさいって言われてたから」


 最初からすべてを信じられていたわけではなかったカリーナ様が、殿下の伝言が本物だと、信じる何かがあったということなのでしょうか。


「とりあえず笑って、それからその騎士に学園長室のそばまで送ってもらったの。お父様がここの学園長なのよ。あなた知ってる?」

「はい」

「お父様はね、私のことをすごく心配していてね、あの私のドレスを踏んだ学生に責任を取らせてやるって怒っていてね」

「まあ」


 それはあまりにも横暴ではないでしょうか。あれは不幸な事故なのですから。


「でもね、殿下の話をしたら、そういうことかって言って、急に機嫌がよくなったの。それから急いでエリーに、私をお風呂に入れるように言ったわ」

「エリ―様とは?」

「エリ―は私の侍女よ。エリーはね、すっごく気が利くけど、心配性なの。昨日だって、私にあんなことがあったばかりなのに、殿下の元へ行くなんてお嬢様は平気なのですかって心配してたわ。騎士に騙されているんじゃないかって。あっ!!」

「!!」


 急にカリーナ様が大声を上げられたので、びっくりしてしまいました。カリーナ様は声のボリュームが少々、いえ、かなりおかしいです。


「……もしかして、私、騎士に騙されたのかもしれないわ」


 驚愕の表情をなさっていますけれど、今の今までその可能性を思われなかったカリーナ様に私が驚いてしまいます。


「どう思う?」

「……その可能性が高いのでは?」

「そう。やっぱりお母様の言う通りだったわ」

「……何がでしょうか?」

「顔のいい男は女を騙す詐欺師だって、お母様の口癖なの。お母様はお父様と学園で出会ったんだけど、お父様は整った顔なのに真面目でね、それでアルビン伯爵家に婿に入ってもらったんだけど、結婚してからお父様の女癖の悪さがわかって…………」


 カリーナ様が思いきり横道にそれてしまわれました。

 通信具が揺れています。きっと悪魔でしょう。悪魔の言いたいことは想像がつきます。けれどカリーナ様は普通のお嬢様ではないのです。この暴走をとめるのは容易ではないのです。かといって通信を無視するわけにもいきません。気が遠くなります。

 私の気持ちが折れそうなことを話に夢中なカリーナ様はお気づきにはなりません。



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