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明けない夜はないといいますが、まさにその通りでした。
「ねえ、セレナ。今日は学園がお休みになるのですって」
すっきりしたお顔のお嬢様が鏡越しにおっしゃいます。寝不足の私にその微笑みはまぶしすぎます。
「……ええ、うかがいました。何でも昨日の訓練で警備に不備が見つかったそうですね」
騎士がたくさん敷地内にいてもおかしくないように、そういう理由で臨時休校になっているのです。
「そうらしいわね。でも学園ってすごいわね。訓練まであんなに大掛かりなんですもの。私は本当に刺客に襲われたかと思って震えてしまったわ」
「ええ、あれは本格的でしたもの」
今回の刺客騒動を防犯訓練だったのだと説明することに決められたのはセドリック殿下だそうです。ギルバート殿下がご入学なさり、万が一のときに慌てないようにと、告知なしで訓練を行ったことになっています。魔法歌で眠らなかった一部の保護者や学園関係者には箝口令が敷かれています。
「それにしてもギルバート殿下の魔法歌ってすごいのね」
「はい」
「だって窓が割れて、セレナに抱きついて、起きたら朝だったのよ」
「お嬢様は特別に魔法歌が効きやすい体質のようですね」
「そうみたいね」
ちなみに殿下方が会場に戻られたあと、悪魔が割れた窓を状態回復魔法で修復し、舞踏会を再開したそうです。しかもギルバート殿下は不信感を抱かせないように、数曲踊られてから退場されたそうで、本当に王族の方というのは大変なのだなと感心いたしました。
「さあ、でき上がりました。本日も大変かわいらしくていらっしゃいます」
一日寮内ですごされるご予定のお嬢様のために、今日はサイドを編みこんだ一つ結びにしました。髪を後ろで纏めると、お嬢様のお顔の小ささがよくわかります。
「ありがとう、セレナ」
振り返ってにっこりとお嬢様が微笑まれます。
本日も私の天使は健在でございます。
魔法歌が効きすぎて目覚めなかったお嬢様を心配されて旦那様方がお泊りになったことになっておりますので、お嬢様と一緒に階段を下りています。一階の食堂室で待ち合わせなのです。
「アニー」
二階にさしかかったところで、悪魔の登場です。まだ微熱が残っているはずですが、見ただけではまったくわかりません。
「レオ様、おはようございます」
「ああ、おはよう。アニーはよく眠れたかい?」
悪魔が目を細めます。お嬢様がまぶしいのでしょう。
「まあ、レオ様ったら、ご存知のくせに」
お嬢様が頬をふくらませて抗議されます。かわいらしいです。つっつきたいです。悪魔も私と同じ欲望を覚えたのでしょう。ものすごくものほしそうな目でお嬢様を見つめています。絶対にさわらないでくださいね。
「アン嬢、おはよう」
セドリック殿下が廊下の向こうから歩いていらっしゃいます。
兄様の言っていた通りなのかもしれません。今日は殿下が近くにいても心の揺れが小さいです。昨日の私は殿下の魔力に酔っていただけだったのでしょうか。時間が経てば殿下に対する感情も落ちつくのでしょうか。
「殿下、おはようございます」
お嬢様が明るい声でご挨拶なさいますと、それだけで悪魔の眉根に皺が寄ります。悪魔の心の狭さに、殿下が黒い笑みを浮かべられています。こういうときの殿下は悪魔をからかいますよ、絶対。
「眠り姫がいるって聞いたから、王子である私がキスで起こしてあげようと思っていたのに、もう起きてしまったなんて残念だよ」
「まあ、殿下ったら、ご冗談ばっかり」
ほら、やっぱり。
ああ、お嬢様、頬を染められてはいけません。悪魔の不機嫌が急加速しています。
「セドリック、用は何だ?」
悪魔がお嬢様には見えない角度で殿下を睨んでおります。悪魔は器用です。
「セレナもおはよう」
悪魔の言葉を無視して殿下がおっしゃいます。
「おはようございます、殿下」
となりで悪魔が威圧しているのがうざいですが、とりあえず挨拶を返します。王族の挨拶を無視なんてできませんからね。
「おい、セドリック」
悪魔は安定の不敬です。
「レオポルド、ちょっとセレナを借りるよ」
お嬢様と目が合います。お嬢様が顔全体でどうしてとおっしゃっていますね。私にもどういうことだかわかりません。もしかして昨日の件で、お嬢様には聞かせられないお話でもあるのでしょうか。
「だめだ」
悪魔がお嬢様の戸惑いを察して断ります。私もできれば殿下と距離をおきたいので、断ってもらえてよかったです。
「じゃあ、アン嬢でもいいよ」
殿下がにっこりとお嬢様に微笑みかけますと、悪魔がぐいっと私の腕を引っ張って、殿下のほうへ押し出します。
「アニーが朝食の間だけだぞ」
悪魔の電光石火の心変わりです。
「了解。じゃあ、アン嬢、セレナを借りるね」
「……はい」
お嬢様が不安そうです。そうですよね、私も同じです。何のご用でしょうか。
殿下がにこやかに手を振って、お嬢様と悪魔を見送ります。私はまた厄介な腹黒殿下に捕まってしまったようです。
殿下に連れられて入った部屋は、ギルバート殿下のお部屋のとなりです。
「さ、座って」
殿下の正面のソファに腰を下ろします。殿下の後ろには侍従のカイン様が立たれているので恐縮してしまいます。会釈をすると、会釈を返してくださいました。カイン様は黒髪に青い目なので色的にはラウルに似ていますが、ラウルよりも凛々しい男性的な容貌をしていらっしゃいます。ポーカーフェイスを崩されませんので、少し堅い印象です。
「昨日は本当に寝なかったのかい?」
「いえ。兄様と、交代で二時間ほど眠りました」
「そう。レジナルドに何か言われた?」
「…………いえ」
「セレナの場合、嘘をついてもかわいいね」
「もう、からかうのはやめていただけませんか」
昨日考えていたのです。殿下に会ったらお願いしようと。殿下は冗談のつもりでいらしても、私もそれをわかっていても、どうしても心が勘違いしてしまいますから。
「私にからかわれていると?」
「はい」
「そうか、それは私のせいだね。セレナに信じてもらえるように頑張るよ」
「だから、そういうことをおっしゃるのをやめていただきたいんです」
「できない」
「なぜです」
「セレナが好きだからだよ」
「嘘です」
もう乱さないでください、殿下。そう殿下を見つめると、殿下は切なそうに微笑まれます。
「セレナ、私の気持ちは私に決めさせて」
そういう微笑みに女性が弱いことをきっとご存知なのでしょうね。
「殿下、私は近いうちにラウルと結婚します」
ラウルのいる日常が私の幸せなのです。
「セレナに未来視ができないことは知っているよ」
カイン様が咳払いをなさり、殿下が苦笑を浮かべられます。カイン様の表情は変わりません。
「セレナのガードが固いことはよくわかったから、本題に入ろう」
「……はい」
殿下は気持ちの切り替えが早くて、上手でいらっしゃいます。
「セレナにアルビン嬢の身支度を手伝ってほしい」
アルビン嬢とは昨日の舞踏会で肌をさらけ出してしまわれた火種嬢です。
「なぜ、私が?」
「昨日、私はこの部屋に泊まった、ことになっている」
「はい?」
「ここに泊まると宣言して、レオポルドが開発したネズミ捕りを仕掛けたんだ」
ネズミ捕りとは悪魔が侵入者を捕らえるために、お嬢様のお邸に設置されている魔法具のことです。外からはまったくわからないのですが、そこに入ってしまうと自動的に結界が張られて、もう出られないのです。しかもその結界の中で攻撃魔法を放つと、撃った本人にはね返ってくるという恐ろしい魔法具です。
「私は王宮へこっそり帰って、朝方またこっそり戻ってきたんだが、ネズミ捕りにかかっていたのはドランの刺客ではなく、アルビン嬢だった」
話の流れでわかってはいましたが、アグレッシブな令嬢ですね、本当に。
「アルビン嬢は寮全体の結界が張られる前に寮内へ侵入し、一階の娯楽室に潜んでいた。そして深夜、私が泊まっているはずの部屋へ侵入した。アルビン嬢は下着姿だったので、着替えをさし入れたが、どうやら一人でドレスを着たことがないらしい。髪も結えない」
どうやら私は殿下の貞操を狙った刺客のお相手をしなければいけないようです。
「では失礼します」
「頼んだよ、セレナ」
殿下が投げキッスをされたので、私が殿下に礼をするのも忘れて歩き始めてしまったことを先導のカイン様には気づかれておりません。




