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「気がついた?」
どうしてセドリック殿下の声が真上からしているのでしょうか。
「目覚めのキスはどこにしたらいい?」
「!!!!!」
一気に目が覚めました。
「ど、ど、ど、どうして?」
飛び起きます。どうして私は殿下の膝の上に頭を乗せていたのでしょうか。
「気を失っていたのだよ」
現状把握のために周囲を見ます。旦那様方とマーサさんがいません。
「十分くらいかな。もう少しゆっくり寝ていてもよかったのに。王太子の膝枕なんてレアだよ。ほら見てよ、レオポルドもうらやましくなって、真似っこしてるから」
「…………」
となりのソファで悪魔がお嬢様の頭を膝に乗せ、気だるげに背もたれに肘をついて座っています。そしてこちらのことはまるっと無視しています。もちろんお嬢様のお顔はマントに覆われていて見えません。
「伯爵夫人もかなりショックだったみたいで、となりの部屋で休まれているよ」
「……そうなのですね」
気を失った原因を思い出しました。私の大事な大事なお嬢様が命を狙われた。そしてこれからも狙われるかもしれない。そう思ったら、うまく呼吸ができなくなってしまったのです。
「ごめんね、セレナ」
殿下の手が私の髪を撫でます。その指先に意味を探してしまうのをとめることができません。
「できれば聞かせたくなかったのだけど、これからもアン嬢の身に危険が及ぶ可能性がある以上、セレナにとっても他人ごとではない。もちろんレオポルドも私もセレナを含めたアン嬢の周辺の警護を怠るつもりはないから安心してほしい」
「安心、など」
できるはずがありません。
「そんな泣きそうな顔しなくていい。いや、そんな顔をさせてしまった原因は私にもあるね。ごめんね、セレナ」
「…………」
殿下のせいではありませんと言いたいのですが、涙が喉に栓をしてしまいます。
「私は婚約が決まってからずっと、ドランから命を狙われつづけている。幾人も刺客は捕らえたが、黒幕を捕らえることができないでいる。それで今回、囮作戦を取ることになった。そのせいでセレナをこんなにも苦しめてしまったことを謝りたい」
「……そんなこと」
婚約者様の国から暗殺者をさし向けられているという事実は何を表しているのでしょう。殿下と王女様が婚姻を結ぶと不利益を被る人間がいるということなのでしょうか。それともドランについてほとんど何も知らない私には考えつかない理由があるのでしょうか。
どうして自分の命が狙われつづけているというのに、そんなに平気な顔をしていられるのですか。殿下が平然としていらっしゃるから、余計に私はつらいのです。
「でもここに誓おう。私は早急にドランとの問題を解決し、さらにアン嬢に刺客を放つなど、無駄なことだとミニダスには徹底的にわからせる。私とレオポルドが揃えばできないことなどないんだよ。だから泣くのはやめて」
殿下の指が頬を撫で、私は涙がこぼれてしまっていることに気づかされます。私はいつからこんなに涙もろくなってしまったのでしょうか。
「セレナ。もしかしてまた目をはらして、私の治癒を受けたいのかな?」
「!!」
殿下の唇が近づいてきて、私は思いきり殿下をつき飛ばしてしまいました。
「ふふ。とまったね、涙。人間は驚いても涙がとまるのだよ」
どうやらからかわれてしまったようです。
「こうやってセレナと遊んでいると面白いんだけど、時間があまりないんだ。これからのことを話すね」
私は体勢を立てなおして頷きます。
「今カインとレジナルドが魔法具で結界を張っている」
悪魔がいるのに魔法具で結界を張るなんて、悪魔は魔力枯渇の危機なのでしょうか。ちらりと盗み見ても悪魔の表情からは何もうかがい知ることはできません。
「セレナ、実はレオポルドが発熱している」
「発熱?」
そういえばとお嬢様の寝室でさわってしまった悪魔の腕が異様に熱かったことを思い出します。
「そうだよ、ねえ、レオポルド」
悪魔は無視です。そして殿下はその不敬を気にされません。
「魔力の枯渇でしょうか?」
「相変わらずの馬鹿だな。私の魔力があれくらいで枯渇など、するはずがない」
熱があっても口の悪さは健在です。
「魔法熱だよ」
殿下が教えてくださいます。
「久しぶりですね」
「ああ。アニーに出会ってからは初めてだ」
悪魔がマント越しにお嬢様を愛おしげに見つめます。悪魔はもしかして透視の魔法も開発したのでしょうか。もし悪魔が透視魔法を習得してしまったら、お嬢様が危険です。
「それほどアン嬢が刺客に狙われたことが堪えたってことだよ」
悪魔にとって、お嬢様の命の危機は、まったくのイコールで、自分の安寧の危機なのでしょう。
「それでセレナにお願いがあるんだけどね」
殿下の声のトーンが怪しいです。
「何でしょうか」
「魔法熱を下げるために、レオポルドはああやってずっとアン嬢にくっついているわけ」
この先の展開の想像がついてしまいました。殿下、そのお願いはとても聞けそうにはありません。
「だからね、セレナ」
「無理です」
「まだ何にも言っていないのだけれど」
「言われなくてもわかります」
「へえ。うれしいね、セレナ。私たちは以心伝心っていうことかな」
殿下の目が捕食者の目です。私は逃げられそうにありません。
「……違います」
「じゃあ、言い方を変えるね」
嫌な予感しかしません。黒い微笑みどころか、暗黒の微笑みです。
「アン嬢は朝まで起こさず、レオポルドと一晩一緒に寝かせることにしたから」
「いけません!!」
「セレナは見て見ぬふりをするんだよ」
「できません!!」
「セレナ」
「……はい」
「これは王太子の命令だから」
「!!」
ずるいです、殿下。こういうときばかり、王子様ぶるなんて。
「セレナ、レオポルドはひどい熱なんだ。魔法熱に治癒魔法がほとんど効かないことは知っているだろう?」
「……はい」
「それがアン嬢のそばにいると体が楽になるらしい」
そんなこと、本当かどうか確かめるすべがないではありませんか。
「レオポルドが早く回復しなければ、困るのはアン嬢だよ」
「…………」
それはわかっているのです。悪魔が万全でなければ、お嬢様の危険度が増します。そして認めたくはないのですが、悪魔が元気でないと、お嬢様も気落ちされてしまうのです。
「アン嬢を狙っている刺客がまだいるかもしれないのは、セレナもわかっているだろう?」
殿下は本当にずるい人です。お嬢様の安全とほかの何かを秤にかけることなんてできません。
「このままソファで寝かせてもいいけれど、レオポルドにとっても、アン嬢にとっても、ベッドでゆっくり休むのが一番だよね?」
厄日というのは、最後の最後まで悪いことが続いてしまうようです。
「お嬢様におかしなことなさいませんよね?」
絶対に聞こえていますよね? 無視しないでください。
「セレナ、レオポルドはこうやって座っているのもつらいくらいの高熱なんだ。とてもアン嬢を襲うことなんてできないよ」
殿下が悪魔に視線を移して微笑まれます。今日何度も目にした意地悪な微笑みです。
「というよりもレオポルドは熱の有無に関係なく、アン嬢に手を出す勇気なんてないものね」
悪魔が殿下を睨みますが、殿下はどこ吹く風です。
「いいね、セレナ」
殿下が振り返られます。
「はい。私は寝ずの番をします」
「ふふっ。レオポルドは案外信用がないのだね」
案外どころか、全然ないのですよ。
「さあ、レオポルド。セレナの許可も取れたわけだし、約束通り、治癒させてもらうよ」
魔法熱には治癒魔法は効かなかったのではないのでしょうか。
「さわるな」
殿下が悪魔の顎に手をかけますが、すぐさまその手を悪魔が叩き落してしまいます。
「さわらないでどうやって治癒するんだい?」
「さわらなくても治癒魔法くらいできるだろっ」
「私はレオポルドのように何でもできる魔法使いではないのだよ。こうしてグダグダと拒否している時間がもったいないとは思わないのかい? さあ、目を閉じて」
悪魔が渋々目をつむると、殿下は悪魔のこめかみにキスを落とします。
とても美しい光景です。
片方が悪魔だというのに、つい見惚れてしまっていることに、二人が気づきませんように。




