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入学祝いの舞踏会は大ホールで開かれます。広いホール内はすでに着飾った学園生たちで賑わっています。淡い色のドレスが多いのは、社交界デビュー前のご令嬢が大半なのと、季節が春だからでしょうね。かわいらしいご令嬢がたくさんいらっしゃいますが、どう考えてもうちのお嬢様が一番でございます。
お嬢様は悪魔にエスコートされてホールの中へ、私は旦那様たちと一緒にホールを見下ろせる二階席へ移動します。カーター伯爵家は全貴族のちょうど真ん中辺りの家格なので、真ん中ら辺にまとまって座ります。最前列に旦那様と奥様、そして兄様が並ぶのは、兄様が魔法映像を撮るためです。その後ろに私はラインハート様と並ばせていただきます。そして舞踏会の間、少しゆっくりしようと思っていましたのに、声をかけられてしまいました。旦那様が。
「カーター伯爵、こんなところにいらっしゃらないで、前のほうでご一緒しましょうよ」
エリーゼ様です。そしてエリーゼ様のおっしゃる前のほうとは、王族席にほかなりません。緊張するので断ってください、旦那様。
「これは、これは、サターニー公爵夫人、ご無沙汰しております。私どもはここでけっこうですので」
旦那様に思いが通じたようです。
「まあ、伯爵、そんなつれないことおっしゃらないで。今日は兄の代わりに一人で来ているのです。あちらには私のほかにセドリックしかいませんから、席がたくさん空いていますの。それにアンちゃんは学園では準王族扱いですもの。ご家族も準王族扱いになりますわ」
王族席はたいていスカスカなものです。一般席のようにとなりと肩ふれ合って観覧とかあるわけないではありませんか、旦那様断ってくれますよね?
「そう、ですかね」
旦那様は長いものには巻かれるタイプでした。
「それに記録映像を撮るなら、空いているところで撮ったほうがいいわ」
エリーゼ様の満面の笑みのお誘いを旦那様がもう躱しきれません。
王族席にドナドナされました。旦那様方、兄様に続いて、セドリック殿下にご挨拶します。小さい頃から何度もお会いしていますが、一国の王太子殿下とご一緒するなんて、畏れ多いにもほどがあります。緊張します。それ以上に面倒です。気を遣って話すのがひたすらに面倒くさいです。今日は早朝からフル稼働なのです。ラウルとの一時の逢瀬以外は休憩も取れなかったのです。だから、この観覧タイムを休憩時間として楽しみにしていたのです。それなのに。
「セレナは話し相手に残ってくれる?」
なぜですか、殿下。私も旦那様方と一緒にエリーゼ様のおそばへ行きたいです。殿下のそばより断然エリーゼ様のそばですよ。幸い王族席は広いので殿下とエリーゼ様の席、それなりに距離ありますし。王族席に座らせていただくのはもう覚悟しましたが、殿下と一緒とか、一生覚悟決められませんから。
「レジナルドもここで記録映像を撮るといいよ。私が挨拶で会場に下りたら、こちら側は無人になるからね」
そういえば殿下、なぜ、舞踏会開始前からここにいらっしゃるのです? 普通、王族の方々って、豪華な控え室を用意されていますよね。
「ありがとうございます、殿下。ところで殿下はなぜこちらに? 控え室のほうが警護もしやすいのでは?」
兄様が私の心の声を代弁してくれました。
「刺客は神出鬼没だよ。控え室にいようが観覧席にいようが関係ない。それに控え室には、捕まえられない類の刺客がいてね」
殿下が妖しい微笑みを浮かべられます。二十歳の殿下は大人の魅力もお持ちです。金髪碧眼の美丈夫の色気とか、私は持て余しますのでしまっておいてくださいませ。
「学園長のご息女は大変見目麗しいと聞いておりますよ」
「私には婚約者がいる」
殿下の婚約者は小国ながら魔石の保有量、産出量共に世界一と言われているドラン国の王女様です。殿下より少し年下で、まだ成人前だと聞いています。
「我が国は側室、愛妾もおけますからね」
「成婚前に火種はごめんだ。それに女性には困っていない」
こういう会話は私が聞いていてもよいものでしょうか。殿下には秘密の恋人がいらっしゃるということでしょうか。噂でも聞いたことがありませんし、できれば知りたくないです。殿下の秘密とか、私が抱えるには重すぎます。
「殿下の好みではなかったと?」
「私はね、ああいうゆるい女が嫌いなのだよ」
「学園長のご息女は頭のネジのゆるんだ方でしたか?」
「頭も股も」
「それは、それは。火種にしかならない女性ですね。でも手駒にして、政敵に送りこむには最適なタイプかと」
「送りこむ前に王城が炎上するだろうよ」
「それは失礼いたしました。では私は機材の設置がありますので、これで」
兄様がいなくなってしまいました。
それにしても殿下って意外と腹黒いタイプだったのですね。普通に王子様キャラだと思っておりました。微笑みの王太子殿下の異名をお持ちですし。王子様など物語の中にしかいないということでしょうか。ギルバード殿下も王子様キャラからはほど遠い、わんこ系ですし。
「ねえ、セレナ」
セドリック殿下は気さくな方です。そしていつも麗しい笑顔を浮かべられています。遠くから見る分にはよいのですが、近くで見るのは心臓に悪いです。殿下のような麗人は観賞用なのですよ。
「はい、殿下」
私の笑みが引きつっていませんように。
「相変わらずセレナは緊張しいだね」
殿下は相変わらずのキラキラですね、とは口に出せません。
「レオポルドみたいに扱ってくれてかまわないんだよ」
無理です。即不敬罪で逮捕です。それにたとえ殿下が許してくださっても、距離をおいて後ろに控えられている護衛騎士の方々は許してくれませんよ。今だって、こいつ誰だ感満載の目で見られています。特に魔法騎士の方の視線が鋭いです。わかりますよ、怪しいですよね、私。侍女服着た平凡な顔の女が殿下と並んで談笑しているのですから。でも私だって不本意なのですよ。できることならご遠慮したいのですから。
「セレナは昔から私たちと一緒にいるのに、誰とも恋仲にならないから、男嫌いなのかと思っていたら、美形の騎士と婚約しているのだってね」
殿下方と恋愛など考えたこともございません。短時間ご一緒するだけでも疲れますのに、ずっと一緒にいたら、神経がすり減ってなくなってしまいそうですよ。
それにしても私のような末端貴族の婚約までご存知なんて、殿下は記憶力がお化けなのでしょうか。それともたまたまお聞きになったばかりなのでしょうか。
「恐れ入ります」
「うーん。堅いなー。婚約者の前ではもっとやわらかいのだろうね」
当たり前です。ふにゃふにゃですよ。
「申し訳ありません。殿下のような高貴な方にお会いすると、どうしても緊張でこうなってしまうのです」
「ふうん。口はよく回るね。普通は緊張すると、口も動かなくなるものだけれど」
正論攻撃を受けました。おっしゃる通りでございます。緊張はすでに薄まって、今は普通に面倒なだけですから。
とりあえず笑っておきましょう。都合の悪いことを笑って流せるのは大人の特権ですよね。
「気になることがあるのだけれど」
「……何でしょうか」
「今日のレオポルドは何かおかしいよね?」
悪魔がおかしいのはいつものことですけど。
「そうでしょうか」
としか答えようがありませんよね。
「アン嬢へのマーキングがすごいよ」
マーキング。たしかにいつにもまして、かもしれません。首輪が外れた猛犬ですね。お嬢様、噛まれないようご注意ください。
「いつものレオポルドなら、恥ずかしがって、アン嬢をエスコートするのがやっとなのに、今日のレオポルドはべったりだよ、ほら」
殿下に促されてホールに目を向けますと、お嬢様の腰に手を回して艶然と微笑む悪魔がいました。思い通りにベタベタできるせいか、威圧していませんね。ただ普通に笑顔で牽制しています。
「……お嬢様が学園生になられたので、レオポルド様も大人の対応をなさるみたいですよ」
兄様の弁を借りますと。
「そう、にしても、おかしいよね。まるで昔のレオみたいだ」
殿下、無意識に悪魔をレオ呼びに戻っていますね。
昔はみんな悪魔のことをレオと呼んでいました。私もレオ様呼びでした。しかしお嬢様がレオ様と呼ぶようになられると、お嬢様だけの特別な呼び方にしたいという、至極単純明快な理由で、お嬢様以外にレオと呼ぶことを禁じたのです。
「あれが本来のお二人の距離なのかもしれませんよ」
「ほう。セレナはレオポルドの敵かと思っていたのだが、意外だね」
「敵も味方もありませんわ」
人が悪魔に敵うわけがないのですよ、殿下。
「そう。それにしてもうちのギルがかわいそうだと思わないかい?」
答えづらい質問です。
「私のようなものには、殿下方のお気持ちを計ることなどできませんわ」
「ねえ、セレナ。私は温厚だけれど、愚鈍ではないつもりだよ」
今日は黒い笑みを向けられやすい日のようです。
「もちろんでございます、殿下」
「さあ、レオポルドの秘密を吐くんだ」
「秘密など……」
殿下の青い瞳がキラキラしくではなく、ギラギラと輝いて見えます。
「セレナ」
「はい……」
「セレナはレオと私、どちらの味方なのかな?」
貧乏子爵の娘の私は、悪魔と王太子、どちらの敵にも味方にもなれませんよ。そんな目で見られても困ってしまうだけですから、勘弁してください。
誰か助けてください!! と心の中で叫んでも、誰も気づいてはくれません。




