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「マーサさんはどれにします?」


 マーサさんは兄様を見ます。先に選んでよいのかと迷われていらっしゃるのでしょう。


「レディファーストですよ」


 兄様は空気が読める人間です。私の自慢の兄様です。


「では、アンバーを」


 マーサさんはアクアマリンを選ばれるかと思っていましたので意外です。女性はたいてい琥珀色や黒色より、空色が好きですから。


「夫の瞳の色なのです」


 マーサさんも乙女なのですね。あれ? 四十すぎても乙女って適用範囲内でしょうか?


「では兄様がこっちで、私はこっちね」


 兄様にはアクアマリンを渡して、私はブラックトルマリンを手にします。


「セレナ、私はそちらのほうがいいんだけど」

「どうして? アクアマリンは兄様の瞳の色じゃない?」

「それはセレナも同じだろ」


 私と兄様は揃って、茶色いくせ毛に、空色の瞳をしています。


「だって、黒はラウルの色だもの」


 私はラウルの髪色である黒が大好きなのです。譲れません。


「兄妹喧嘩はあとにしろ」


 悪魔が冷たい声を出したので、私たちは口を噤みます。そして私はブラックトルマリンを死守しました。


「使い方はわかるね?」


 悪魔はお嬢様だけに問いかけます。マーサさんが不安そうにされていますね。


「レオポルド様、万が一間違えた使い方をして、お嬢様の緊急事態に対応できなかったら困りますので、簡単でいいのでご説明願えますか」


 悪魔は私の言葉を受けて、お嬢様の目を見て説明を始めました。まあ悪魔に見つめられて話を聴くとか、拷問ですからいいですけど。


「イヤーカフに魔力を流しながら、通信したい相手の名前を呼ぶんだ。呼ばれた相手はイヤーカフが震えるから、通信に応じるときは自分の魔力を流せばいい。するとイヤーカフを通じて会話ができる。通信中、聞こえてくる声が外部にもれないように、イヤーカフをつけた側の顔半分だけは防音結界が自動で張られる。ただ話す声は普通に周囲に聞こえているから気をつけてほしい。それから音量はアップとダウンの声で調整できるようになっているから、状況に合わせて使ってほしい。切るときはただ魔力をとめればいい」


 通信具は昔からありましたがたくさんの魔力が必要で、魔力が少ない人は高価な魔石に頼らなければ使えないという代物でした。しかし悪魔が改良した新型は私たちのような微量しか魔力を持たない一般人でも使える優れものです。魔力量がそれほど多くないお嬢様が、高価な魔石を使うのを躊躇したために、悪魔が作り上げたのですから、お嬢様のおかげで今の新型通信具があるといっても過言ではありません。それにしても防音結界搭載とか、知らない間に新機能が増えていますね。


「この通信具の新しい点は、複数の相手と同時につながれるところなのだ。たとえば私がアニーとレジナルドと話したいときは、魔力を流して、二人の名前を呼べばいい。二人が応対してくれた場合、三人で話すことになる。そんなふうに五人同時通信までが可能だ」


 やっぱり悪魔は天才でした。一つの通信具で複数通信なんて聞いたことがありません。今までは複数で通信したい場合はその人数分だけの通信具を用意しなければならなかったのです。


「どういうときに複数通信を使うかというと、基本的には業務連絡、行動確認などだ。たとえば私が夜間寮に戻ってこられないときなどは連絡を入れるし、あと、たとえばそうだな、セレナがアニーに熱があることに気がついたとする。そういうとき、一人でどうにかしようとせず、アニー以外の三人全員に連絡しなければならない」


 私を名指しとか、本当に嫌な性格をしていますね。


「ただ、私はセドリックやギルバートたちとの通信具も身につけているし、大変多忙だ」


 そう言って悪魔は長い髪を耳にかけ、左耳につけたイヤーカフをお嬢様に見せます。私たちのもの同様金の台座に、宝石はダイヤモンドがついています。


「だから、緊急のとき以外は、私に直接通信せずに、まずレジナルドに通信してほしい。それでレジナルドが必要だと判断したときのみ、私へ通信をつなげてほしい。もちろん、アニーの身に何かあったときは、直接つないでくれてかまわない」


 何で私を見ながら話すのですか。緊急のときは迷わず悪魔を呼ぶに決まっているでしょう。悔しいですが、悪魔以上にお嬢様を守れる存在を知りませんからね。それに、連絡を怠って、あとからネチネチ言われるのもごめんですし。


「アニー」


 出ました。悪魔の甘い声。耳を塞ぎたくなります。


「はい、レオ様」


 お嬢様、簡単にうっとりしないでください。マーサさん、そのまま通信具を見ていてくださいね。お嬢様のメロメロ攻撃を受けますから。


「さあ、アニー」


 そう言って、悪魔はお嬢様の左耳にイヤーカフをつけました。私も無心で自分の耳に装着します。となりの兄様を見ると、左耳にすでに悪魔とお揃いのダイヤのイヤーカフがついています。その下にアクアマリンのイヤーカフを重ねづけしました。複数通信のできる通信具の重ねづけとか、悪魔より兄様が多忙になるのではありませんか?


「ありがとうございます、レオ様」

「アニーは用事がなくても、毎晩寝る前に、これまでみたいに私に通信するんだよ」

「はい、レオ様」


 そうなのです。お嬢様は悪魔におやすみコールをさせられているのです。そして悪魔は、お嬢様が通信を切ってベッドにもぐられたあと、気配を消してお嬢様の部屋へ転移してくるくせに、お嬢様には指一本ふれられないドヘタレなストーカーなのです。もちろんふれてほしいわけではありませんけど。


「アニーのおやすみがないと、眠れないからね」


 吐き気がするのはどうしてでしょう。砂糖を入れていないミルクティーがひどく甘く感じます。悪魔のせいで味覚障害まで起きてしまいました。


「私もレオ様のお声を聞かないと、一日が終わりませんわ」


 見つめ合う二人。悪魔がお嬢様の髪をもてあそびます。もうお二人には私たちの姿が見えていらっしゃらないのでしょうね。でも、お二人とも気づいていらっしゃらないのですか? これからは生のおやすみを言い合える環境ですよ。


「レオポルド様、アン様のお召し替えの時間がなくなります」


 兄様、ナイスです。


「ああ、少々脱線してしまったな。もう少しで話は終わりだ。アニーの食事だが、朝と晩は基本的にここで私と食べることになる」


 悪魔が勝手に決めたことですよね。用意するのは私たちですよね。かわいいお嬢様のお食事の用意は苦になりませんが、悪魔の食事とかつい毒とか入れたくなりますよ。まあ、毒なんて持っていないのですが。


「まあ、レオ様と毎日一緒にお食事ができますの?」


 お嬢様は喜んでいらっしゃいますね。奇特なことで。


「ああ。アニーは嫌?」


 だから、その茶番を私の前で演じないでください。


「まさか!! とってもうれしいですわ。夢みたいです」


 お嬢様、言いすぎです。悪魔とお嬢様が毎日一緒の食事とか、できれば夢であってほしいですが。


「なら、よかった。アニーに拒否されたらどうしようかと思っていたんだよ」


 まだ続ける気ですか?


「拒否だなんて、ありえませんわ」

「そうか、アニーはかわいいな」


 悪魔の手がお嬢様の清らかな頬を撫でます。穢れるのでやめてください。それかせめて私がいないときにお願いします。


「レオ様」


 お嬢様がついに悪魔に抱きついてしまいました。悪魔がフリーズします。悪魔はいつの間にか自分自身にも氷結魔法をかけられるようになったのでしょうか。


「アン様、そのままでいいので聞いていてください」


 兄様はさすがです。侍従の鏡ですね。


「昼食は学園でとられることになります。こちらの食堂室でお弁当を作ってもらうことも可能ですし、学園内の食堂で食べられてもかまいませんし、売店で購入することもできます。休日は基本的にはタウンハウスへ戻られるのでしょうが、寮に残る場合は自室でお願いします。お客様はここまでは入ってくることができません。ご友人、ご家族と会われるには一階まで下りていただきます。食事等も食堂室、喫茶室で、一緒に召し上がっていただくことができます。それから、自室でお茶をされる場合、アン様のご要望があれば、マーサさんかセレナに限り、同席を許されるそうです。一人では淋しいだろうというレオポルド様のお心遣いですので、ご遠慮なさらずにどうぞ。以上になります。さあ、セレナ、急いで夜会の準備を」


 お嬢様を悪魔から剥がし、マーサさんと一緒に寝室まで移動します。


 応接室に残った悪魔の解凍を兄様がじっと待っていることを、お嬢様はお気づきにはなりません。


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