第39話 黒幕
夢を見ていたのか、不意に過去に思いを馳せていたのかわからない。きっとそれは自分がまだ弱い証拠だとルキウスは思った。
笑顔なのに何を考えているのかわからないベネディクト、ベネディクトの親友で仏頂面のヴァルター、特異な才能を持っているのにどこか引っ込み思案なフレデリカ、“アカデミー”首席なのに騎士団ではなく技術局行きを志望した変わり者のハインリヒ、そして彼らを裏切った自分。
彼は“アカデミー”卒業時に成績上位者へ贈られた、記念品の懐中時計を見る。
ルキウスは数名の“奴隷人形部隊”の隊員を呼びつけて、それを待っている最中だった。
彼が呼びつけた使徒は、“血の四姉妹”ミカエラ、“槍撃ち”ウルバン、“箱屋”ヒューゴー、“剣鬼”ガニメデ。
「何も聞くな。何も言うな。俺の指示したタイミングで遊んでこい」
ルキウスは座標を設定済みの「転移の符」をミカエラに投げて寄越す。
「……ガニメデの出撃は許可しないことにする。以上だ」
「話が違うぜ大将! 『原石』のガキと遊んでいいって話だったじゃねえか!」
ガニメデの抗議に他の三人は興味が無い様子で、早々に退室する。
「義手だ」
ルキウスは一言だけガニメデに告げた。
セシルに切り落とされた腕を補うガニメデの義手への魔力の流れが悪い。まだ調整不足であることを一目で看破するルキウス。
ガニメデはルキウスに抗弁する術を持たない。わざとらしく舌打ちをして立ち去った。
ルキウスには生まれつき鋭敏に魔力の流れを感じ取ることが出来る。
魔眼とも違う。目をつぶっていても魔力の流れを感知できる。
この生まれ持った力でルキウスは相手の術式を発動前に潰したり、発動された術式を破壊することができた。
故にその力は特務騎士時代、使徒相手に遺憾なく発揮された。
「最強はアーサーかルキウスか」
そう呼ばれた時代もあった。特務を裏切って使徒になったのは自身の力を確かめるため。それだけだった。それだけで十分だった。
「やっとだ……」
やっと彼が力を試すときが来た。それを許されるときが来た。
ルキウスは使徒に身を落としてから初めて笑った気がした。
騎士団との合同演習から立て続けに使徒と交戦することになり、疲弊しきった“天馬遊撃隊”の隊員達。
ハーデ・ベルの奇病は教王府の配った“護符”で収まったこととなり、奇病から生き延びた市民は街を放棄し、辺境方面の街に受け入れられたという虚偽の報道がなされた。
そしてミラ・ダージュへの攻撃を防いだことと、“天馬遊撃隊”と使徒の交戦は隠蔽された。
最初の攻撃を奇病としていた以上、不自然に使徒が王都近郊にまで迫っていたことになる事実を公表するわけにはいかない。
一方でミラ・ダージュへの攻撃が失敗してからというもの、不自然なまでに使徒の動きがなくなってしまった。
とはいえ使徒は何を目的とし、どういった動きをするかなどはブレンダの様な末端の使徒に聞いても理解できない。
その為、特務騎士団や“天馬遊撃隊”といった対使徒戦力は気の休まる暇がなかった。
かと言って、その間に使徒への対策を講じていなかったわけではない。ヘンリーも時間を作ってはフレデリカの元で使い魔作成の為に猛特訓を受けている。
ロバートの案で王都近郊の街だけではなく、以前“天馬”とルイスが戦闘したドモア村の様な辺境にある中規模の街、村に王国騎士を駐在させ、常にその座標に転移ができる様に「転移の符」を特務の中央指令室に常備することとなった。
単純な策ではあるが、人員不足の特務だと不可能として見送られていたものだった。しかし、王国騎士団所属のロバートが本隊に助力を求め実現化することに成功した。
険悪な仲であった特務と王国騎士団を取り持ったロバートの功績は計り知れない。
王国騎士団と特務騎士団の関係性の悪さは、ベネディクトの父であった前司令官が使徒の脅威を危険視し、半ば強引に騎士団から人員を引き抜き特務を成立させたという背景があった。
ベネディクトの父がルキウスに殺されてしまった以上、ベネディクト側から働きかけても、彼を“親の七光りの若造”として扱う王国騎士団との関係性が改善されることはなかったのだ。
ベネディクトが特務を存続させる為、どれだけの犠牲を払ったかも知らずに。
かくして王国騎士団と特務騎士団の関係性は、ロバートによって改善された様に思えた。
使徒が動きを止めたのも突然だったが、動き始めるのも突然だった。
自室待機していた“天馬遊撃隊”は急遽ロバートの放った使い魔によって呼び出された。
「急に済まない。かつて君達が戦ったドモア村にまた使徒が現れた。現地の王国騎士が転移して事態を伝えに来た。おそらく以前君達が遭遇した“血の四姉妹”のミカエラがいる。非情に危険な相手だが、準備してある『転移の符』だと少人数しか転移できない。君達にしか頼めない任務だ。いいかな?」
急な事態に流石のロバートも焦っている様に見えた。
「ドモア村に“血の四姉妹”? いくら何でもあからさま過ぎではなくて?」
“天馬遊撃隊”が名を挙げた場所に、因縁のあるミカエラ。
そう、誘っているにしては狙いが余りにもわかりやすい。
「でもオレ……はあんまり活躍してないけど、せっかくオレ達が守った村を、敵の罠だからって放置するんですか!?」
「ヘンリー君。そうは言っていない。だが君達を狙っているのは明らかだ。十分に気を付けて欲しい」
ヘンリーをなだめるロバート。
「俺達に妹を殺された“血の四姉妹”の復讐心は強い。死に物狂いで向かってくるはずだ。前回の様な分断をされない様に心がけよう」
セシルが隊員達に呼びかけると皆がうなずいた。
「時間が惜しい。すぐに装備を確認して転移の準備に入ってくれ」
ロバートに促され、装備を整える“天馬”の隊員達。
シャーリーが一通り武器を格納し終えると、ロバートが『ゲート』を発生させ、“天馬遊撃隊”が転移する。
ドモア村で起こっていたこと。それはある意味では彼らの想像を超えたものだった。
ドモア村の女は子どもを引き連れて逃げ、武装した男達がミカエラに対峙していた。だがミカエラは男達に興味を示していない様子。
村の男達も下手に攻撃して反撃されることを警戒し、武器を構え距離を取った状態で牽制するに留める。
そして村にいたのは“血の四姉妹”ではなかった。男達に囲まれているミカエラと家屋の屋根に上って事態を静観している小太りの男。それだけだった。
「やっときたぜえ。それにしてもこいつらの血はいらないのかい? “吸血騎”の姉ちゃんよう」
ミカエラに語りかけるのは屋根の上の男。
“吸血騎”はミカエラの妹達が彼女の操血魔術を後追いし、使徒になる前のミカエラの異名。それを知っている小太りの男は使徒の中でも古株の人物だった。
「弱き者の血など啜ってもな」
(妹達がいない? 俺達に復讐をする為に、わざわざドモア村を選んだんじゃないのか?)
「来るよ!」
セシルが思案していると、既に上空で村を監視していたヨナの警告が響く。
飛来するのは魔弾とは思えないほどの大きさと鋭さを備えた魔力の塊。“槍撃ち”ウルバンによる狙撃だった。
幸運にも狙われていたのは、遠距離攻撃に対処可能なクラリッサとアンだ。
アンは透過、クラリッサは転移空間へ退避することで魔弾を回避する。避けられた魔弾は轟音と共に地面に穴を開け激しい土煙を上げた。
ヘンリーは急いで魔力を発する囮の使い魔を複数放つ。
「姉妹達はいない! 結界のある気配もない! 建物を盾にして散開しろ!」
狙撃に備えて散開する“天馬”の隊員達。ヨナも撃ち落とされることを警戒して地上へ降り、走る。
「走るだなんて、いつぶり、かなあ!」
そして、遂に“吸血騎”が動き出す。血液で兜を作り上げ、さらに鎧から血で構成された深紅の翼が伸び、飛翔する。
ミカエラは家屋を突き破りながら飛び、最短距離でセシルに向かう。
そのままの勢いで彼女はセシルにぶつかり、家屋の壁に叩きつけた。
「ガッ……!」
衝撃で呼吸が止まるセシル。ミカエラは彼の両腕を掴み、拘束する。
セシルは後のことは考えずに全力で第五元素を放出して振り解こうとするが、相手は微動だにしない。
ミカエラはセシルを引きずる様に、村の中央の通りに連れていく。
「離せ! 復讐が目的なら、戦え!」
「貴様らは順に殺す。貴様はやつらの長なのだろう? ならば最後に殺そう」
セシルを押しとどめるミカエラの元に、小太りの男が見た目に反した軽快な動きでやってきた。
「結界がないって? そりゃそうさ。これから作るんだからよっと!」
やってきたのは“箱屋”ヒューゴー。
彼は防壁結界、術式の妨害結界、収縮し敵を押しつぶす伸縮結界といった様々な結界を使い分ける事ができる結界術師だった。
そして今回ヒューゴーが構築するのは転移結界。立方体の形状をした、「ゲート」と同じ黒と紫が混じり合った色をした箱の様な結界が二人を包み込む。
ルキウスが三人に出した「遊んでこい」という指示。
それはセシル捕縛の命を受けたヒューゴーが、目的を達成する為の時間稼ぎをしろという意味だった。
「“ボス”によろしくな」
ヒューゴーがそう言うと、ミカエラに両腕を掴まれたままセシルは転移させられたのだった。
「セシルと女の使徒が消えたぞ!」
家屋ごと貫くウルバンの魔弾を避けながら、ゴーレムを差し向けセシルを救出しようとしていたアレキサンダーが叫ぶ。
「おっとお、怖い怖い。俺もお暇させてもらうぜえ」
自身も結界で転移していくヒューゴー。ウルバンもそれを見届け『ゲート』を発生させ消えていく。
残されたのは破壊された家屋とセシルを除いた“天馬遊撃隊”の隊員達。
ガニメデや“血の四姉妹”様な荒くれ達をルキウスが統率する気がないだけで、ヨロイ達によるセシル誘拐未遂の事件から一貫して使徒はセシルを狙っていた。
そして今回、遂に使徒の手はセシルに届いたのだった。
セシルが飛ばされたのは、じめじめとした暗い場所だった。
使徒の本拠地、聖ヴァルデマール城の地下。薄っすら見えるのは、セシルが王都で文字を学ぶために買った絵物語に出てくる豪奢な玉座の様な椅子。
そして暗い中でその椅子に誰かが座っていた。
「陛下の御前だ、頭を下げろ」
ミカエラに肩を手で押さえつけられ、無理やり膝を付かされるセシル。相手は高位の使徒なのだろうか。
椅子に座った人物が指を鳴らすと、その頭上に明かりが点いた。
そこで黒一色の玉座に座った人物の姿を見たセシルは言葉を失う。
初めて遭遇した使徒。
ガニメデと行動していた少女。
そう、セシルを襲撃した帽子の少女、ドロシーだったのだ。




