第34話 惨劇
“天馬遊撃隊”第一分隊の一同はクラリッサの転移と、“天馬”の分隊長として帰還用に持たされていたセシルの『転移の符』でハーデ・ベルへ帰還した。
王国騎士達は使徒の残党がいないか一通り周囲を巡回してから戻るらしく、ロバートは騎士団の部隊に合流していった。
するとハーデ・ベル正門前に退却した“天馬”本隊の狼狽ぶりにセシル達は困惑する。
隊員達は恐怖に顔が歪み、泣き叫ぶ者や嘔吐する者さえいる。
演習だったはずが間近で使徒の精鋭に遭遇することになったのだ。仕方ないかもしれないとセシルは思った。
「あんたら第一分隊だろ? 街、街をなんとかしてくれよ!」
本隊の隊員が駆け寄ってきて叫ぶ様に言った。
想定外の発言に呆気にとられる分隊員達。
「死んでるんだよ! みんな!」
セシル達は返事をする時間さえ惜しく、正門前まで駆け寄った。
(まだ使徒がいたのか!?)
そして彼らが門から街の様子を見ると、想定しうる最悪の状況をさらに超えた惨劇の後が広がっていた。
市民達は皆、人間だと辛うじて判別できる絶妙な形に膨れ上がり、腹が裂けて死んでいた。
内蔵が飛び出ても腹が膨らんだままなのは、身体の構造自体を作り変えられたのか。なんにせよ見るに堪えないものだった。
「……生き残りがいるか、確かめないと」
ヘンリーが死体の散らばった街から顔をそらしながら言った。
だが、セシルにはこの規模の惨劇を引き起こしておいて、生存者を残す様な手ぬるい真似を使徒がするとは思えなかった。
「まだ使徒が内部にいるかもしれない。不用意な行動を取れば、死ぬぞ」
恐る恐る街に足を踏み入れようとしているヘンリーに警告するセシル。
「でも……!」
「ゴーレムにいかせる。人間の生体反応を見つけたら保護する。それでいいだろ?」
アレキサンダーが進言する。結果、彼が召喚した六体のゴーレムが手分けして街中を探索することになった。
この事態を引き起こしたのは、死亡したルイスに代わる新たな上級使徒“ナンバーズ”第十位、ワリード。
ルイスの様に特異な魔術を扱えるわけではない。専門は付呪で、元々は使徒の計画の一部に研究員として携わっていた人物。
彼の扱う術式は人間への付呪。住民に燃焼の属性を与えれば街中が火の海になっているだろうし、枯渇の属性を与えていれば街の住民は皮と骨になって死ぬ。
今回彼が与えたのは増幅の属性。街中の人間に増幅の付呪を施し、死に至るまで身体中を膨張させた。
増幅の属性を選んだのは、第三位リヒャルトに「王都中を恐怖に陥れろ」という命令を受けていたため。
二度とこの街を再利用する気になれないような最悪な眺めを想定して、数多の属性の中から選んだのだ。
彼は特異な魔術を扱えるわけではなかったが、「魔眼」という特異な体質を持っていた。
その魔眼が為すのは術式範囲の拡大。彼は視界の中の一定の範囲であれば、術式をその範囲全体に適用することができた。
彼の魔眼は結界で防がれてしまうという欠点はあったものの、今回の様な任務にはうってつけの人物だった。
今回の任務の目的は王都に混乱を引き起こすこと。
“奴隷人形部隊”によって騎士団の戦力を削り、演習の妨害という形で騎士団の顔に泥を塗るのはそのついでだった。
「それにしても、付呪をこの様な形で使うのは本意ではないのですがね……」
ワリードは自身に施した上昇の付呪で空高く飛び上がり、固定の付呪でハーデ・ベル上空に滞空、内部に潜ませた工作員に結界を破壊させると、街全域に付呪を施した。
そして退却してきた“天馬遊撃隊”本隊の姿を見つけると『ゲート』を作成し、消えていったのだ。
王国騎士団本隊が合流すると、部隊長ジョバンニの指示で速やかに街の出入り口に暗幕の様な結界が張られた。確かにあの光景をそのままにしておくわけにもいかないだろう。
街には非常線が張られていた。最早無人となった街を守る意味はない。目撃者を増やさないためだろう。アレキサンダーの探索では生存者はいなかった。
「ジョバンニ隊長、お話があります」
「ああ、お前は“天馬”の……どうした?」
セシルはジョバンニに話しかける。彼は厳めしい口ひげを生やした四十代半ばほどの男。
地位もそれなりに高い様子で勲章がいくつか胸に付いている。
「特務本部に転移術師の隊員を派遣しました。しばらく経てば応援が来ると思います」
「特務だと? この件は我々王国騎士団と異端審問官で対処する! 勝手なことをするな!」
過去に何があったかはわからないが、特務と騎士団の仲は険悪だ。だが今はそれどころではない。セシルは説得に移る。
「しかし、騎士団の皆さんは今回の戦闘で疲弊しているはずです。それに異端審問官も個々人が独自に動く組織の性質上、数は期待できないでしょう」
「当然、騎士団員達は王都の部隊と入れ替える。そして異端審問官に数を期待しているわけではない。対異端のプロフェッショナルとしてこの事態を分析できる者を呼ぶつもりだ!」
ジョバンニは頑として特務の応援を拒むつもりらしい。どれだけ手の空いた異端審問官がいるのかもわからないはずなのに。
「ならば王都の守護はどうなるのです。王都の治安維持にあたっていた“天馬”の本隊は壊滅状態。王都には疲弊し切った部隊が戻ってくるわけです。また使徒による攻撃が無いとは言い切れません。それに特務は“対異端”ではなく“対使徒”のプロフェッショナルです。彼らの方が適任ではないでしょうか?」
「知ったような口を……!」
「ジョバンニ隊長、そこまで意地を張らなくてもいいでしょう。これは国家の危機ですよ」
口を挟んだのは第一分隊と共闘した騎士団員、ロバート。
「それにもう到着したようです」
ジョバンニが振り向くと数名の特務騎士がクラリッサと共に転移してきたのが見えた。
「初めまして、私はベネディクト。特務騎士団の司令官です。以後よろしく」
「ふん、“黒犬”の司令官殿が前線に何用でいらしたので?」
今回、特務はこの未曽有の事態に全力で対処するつもりだった。
「犬だからこそ使徒に対して鼻が利くのですよ。では早速ですが、指揮権を特務に移譲していただきたい。教王府の許可も下りています」
「教王府の許可? この短時間で? 王国騎士団を謀るのも大概にして頂きたい!」
「直前まで私は教王府に呼び出されていたのですよ。この合同演習を企画立案した騎士団員を吊し上げる会議の一員としてね。そして私を頼って議事堂まで転移してきた“天馬”の隊員の証言で私が枢機卿達直々に対処を命じられたのです」
「そういうことだ。さっさと騎士団員を引き上げて失せるんだな」
いつの間にか眼帯をした副官グレースと共に転移してきた、異端審問官のランドルフが言い放つ。
「ランドルフ殿!? 異端審問官”が我々騎士団ではなく特務側に付くということなのですか!?」
「付く付かないの話ではない。敵の術式を解析、王都に被害が及ばない様に対策を練る。それは所属を問わず最優先で行われるべきことだろう。何度も言わせるな、さっさと失せろ」
ジョバンニの苦虫を噛み潰したような表情はオットーのするそれとそっくりだ。
「そういうわけで以降は我々特務騎士団が仕切らせていただく。少人数で来たものですから、護衛の為に小部隊をお貸しいただけるとありがたいのですが」
「では私の部隊が任に当たりましょう」
ロバートが自ら名乗り出た。
「それと“天馬遊撃隊”の第一分隊。彼らもお借りしたい」
「好きにしろ!」
ジョバンニは怒り心頭の様子でその場を去り撤退の準備に入る。
「第一分隊の諸君。ボロボロのところ大変申し訳ないが、フレデリカの治療を受けてもらえないかい? その後、騎士団の彼の部隊と共に護衛に当たって欲しい。頼めるかな?」
「わかりました。でもどうして司令官が自らここに?」
セシルが分隊を代表して尋ねる。
「魔術の解析は私の得意分野だからね」
ベネディクトは得意げに答えたのだった。




