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愛は窓の向こうに

作者: 木山花名美

 

 いい夫だったわ……今世も前世もその前も。


 生まれて死んでまた生まれ変わる。

 そうして過ごした数十回もの人生を、いつも最期に思い出しては後悔していた。

 頭が薦める『いい夫になりそうな男性ひと』ではなく、心のままに『恋』を選んでみたかったと。


 何故『いい夫』ばかりを選んでしまうのか。それは遥か昔のどこかの世界に遡る。自分の全てを捧げて愛した夫に、こっぴどく裏切られた最初の人生を。

 財産を奪われ、浮気され、しまいには懸賞金目当てに魔女として突き出されてしまう。

 十字架に張り付けられた身体。肌を伝っては暴れゆく炎の中で、私は誓った。

 もう『恋』は選ばないと──


 生まれ変わった私は、『恋』を避けた。

 誰かに胸がときめくと、あの炎みたいな熱と恐怖に襲われ、呼吸いきが出来なくなるから。

 穏やかでぬるい。そんな楽な男性ひとを夫に選んだ。


 家庭第一の真面目な夫。毎日決まった時間に起きて、ほとんど同じ時間に帰って来ては、手付かずの給金を丸ごと妻へ手渡す。

 挨拶のような営みを何度か経て、子どもを授かってからは良き父親になる。育児にも家事にも、『手伝う』のではなく自らの喜びのように関わり、子どもが成長してからはまた良き夫として妻の為だけに働く。

 そしてある日、突然亡くなってしまう。健康で医者要らずだったのに……誰にも迷惑を掛けず、まるで眠るように。


 何度生まれ変わっても同じような男性ひとを選び続け、穏やかすぎる夫の人生を見送ってきた。そして遺された私は、いつも最期に今までの人生を思い出しては、この選択が正しかったのか、幸せだったのかと自問自答する。

 ときめく胸を抑え、せつない恋から目を逸らし、『結婚』の為に『いい夫になりそうな男性ひと』を選ぶ。

 それを繰り返す内に、私の最初の人生が不幸だったのかもよく分からなくなっていった。たとえ裏切られて死んだとしても……誰かに恋し、身を焦がすほど愛せたのなら、幸せだったのではないかと。



 そうして迎えた何十回目かの今世。

 今までとは違い、物心がついた時から前世の記憶が残っていた。

 華やかな西洋風の世界。下級貴族だけど裕福な家の令嬢として生まれた私は、年頃になるとドレスで着飾り、出逢いを求めてたくさんのパーティーへ繰り出した。

 両親からは、家柄も品行も良い……『いい夫になりそうな男性ひと』との縁談を勧められるが、固く断り、『恋』を探し続けた。


 十八歳になった時、ずっと待っていた出逢いが私に訪れた。パーティーでも誰かの紹介でもなく、街中まちなかのとある雑貨店で。

 買い物に夢中になるあまり、スリに遭いかけていたところを助けてくれた青年。取り返した財布を握らせてくれる熱い手に、すぐに『恋』だと分かった。

 ときめく胸。激しい熱と恐怖に、呼吸いきが出来なくなる。別れがたいのは向こうも同じだったのか、お礼にとお茶へ誘えば、眩しい笑みを浮かべてくれた。


 荒々しく粗野な顔立ちの中で、瞳だけがしっとりと繊細な色を帯びている彼。決して整っている訳ではないのに、その表情の一つ一つに惹かれるのは……太陽を纏った月のような、不思議な引力を感じたからかもしれない。

 私達はどちらからともなく自然に次の約束をし、その約束を果たした日には恋人同士となった。

 彼は平民だが裕福な商家の次男で、出逢ったあの雑貨店は彼が任されている店舗らしい。跡取りの長男に比べ、奔放で女遊びも激しいと噂で聞いたが、全く気にならなかった。だって私は、『いい夫』ではなく、『恋』を選びたいんだもの。


 それは呪文のように私を支配する。やがて両親の反対を押し切り、私達は身分差婚をした。



 恋した夫は、私を自由に愛でた。気まぐれに口付け、気まぐれに抱き、気まぐれに家を空ける。彼の店も、最近ではほとんど私が管理していた。

 それでも……私は彼に恋をしている。ずっとずっと恋をしている。気まぐれだろうがなんだろうが、彼が私を忘れないでいてくれれば良かった。どんなに他所見をされても、私は彼にとって揺るがない居場所であろうと。


 子どもは要らないと、お互いそう決めていた。跡取りをと急かされる重圧も、育児の不安もなく、ただ恋の快楽に身を委ねられる。だけど、たまに思い出してしまう。この行為の先にある、命が芽生えた時の喜びと、それを胎内で慈しんだ日々を。そして……それを大切に守ってくれた、かつての夫達の姿を。


 夜、一人きりのベッドで目を瞑れば、一つ前の夫が瞼に浮かんだ。月のもので苦しむ私の腰を、温かい手でずっと擦り続けてくれた姿が。

 搔き消すように瞼を手で覆えば、今度は二つ前の夫が浮かぶ。真夜中だというのに、年老いた私の母を背負い、病院まで走ってくれた姿が……


 次々と浮かぶ夫達に、何故か涙が止まらない。

『恋』ではないのに。『いい夫』だっただけなのに。


 もしかしたら、私の何十回もの人生は物凄く幸せだったのではないかと、毎晩枕を濡らしながら考えていた。



 しばらくして、今世の夫は大怪我をして家に帰ってきた。手を出してはいけない女性と関わり、彼女の婚約者から、顔に毒薬を掛けられてしまったのだ。私の心を奪ったあの瞳は、どんなに頑張っても、もう一生開くことはないらしい。


 目に包帯を巻かれた夫は、久しぶりのベッドで呟く。

「何も見えない。だけど何かが見えた気がする」と──


 続いて夫の口から語られたのは、驚くべき話だった。なんと彼も私と同じように何度も生まれ変わっており、物心がついた時から、前世の全ての記憶を持っていたのだと言う。


「僕は『いい妻になりそうな女性ひと』ではなく、『恋』を選んできたんだ。一番最初の結婚では、良妻賢母だった女性に束縛され、無理心中で命を落としたから。仕事なのに浮気を疑われ、友人や両親に会うことも許されず……。浴槽で踠きながら誓ったんだ。もう『いい妻』は選ばないと」


 自分とは逆のそっくりな人生に驚き、静かに耳を傾ける。


「次からは、良家の令嬢や、賢く控えめな娘ではなく、ときめく胸が導くままに『恋』を選んだ。だけど、溺れては踠く苦しい人生を繰り返す内に、すっかり疲れ果てて。僕の最初の人生が不幸だったのかもよく分からなくなっていったんだ。たとえ束縛されて死んだとしても……そこまで誰かに愛されたのなら幸せだったのではないかと。だから今世は『いい妻になりそうな女性ひと』を選んだんだ」


「……私は、そんな女性でしたか?」


「うん。親切で愛情深い貴族令嬢。何の疑いもなく平民の自分を愛し、敬い、生涯文句も言わず寄り添ってくれるのだと思ったよ。僕も今世はそんな君を大切にしようとした。でも……やっぱり怖かったんだ。君の愛が。僕に向けられる愛が」


 ああ、やっぱり同じだと、私は頷く。


「だから僕は逃げた。いつか君から僕を捨ててくれたらいいと。その代償がこのザマだ」


 包帯を指差し苦笑する夫に、私も複雑な笑みを浮かべる。


「どうして私の元へ帰って来てくれたのですか? 私が『いい妻』で、どんな貴方でも見捨てないと思ったからですか? それとも逆に、捨てて欲しかったからですか?」


「……違う。ただ、君に会いたくなったんだ。もう見えなくなると思ったら無性に。……結局何も見えなかったけどな。今、君がどんな顔をしているかも、もう……」


 何もない宙へ伸ばされた手を取り、自分の頬に当てる。私の表情を感じ取った夫は、冷たい指をピクリと震わせた。


「……泣いてくれるんだな。こんなどうしようもない夫の為に」


「『いい妻』ですからね。それに……本当は私もどうしようもないんですよ」


 ポツリポツリと語る私の人生に、夫は驚きながらも「同じだ」と共感してくれる。

 前世も今世も、全てを共有した私達の顔には、よく似た愚かな笑みが浮かんでいた。


「僕達は、少しも相手を見ていなかったんだね。『恋した妻』のことも、『いい夫』のことも」


「ええ。『恋』でも『良い』でもなく、本当はちゃんと愛していたのに」


「一体君は、僕のどこを愛したんだ?」


「そうね。寂しそうな瞳に恋して……もっと寂しい内面に触れたからかしら。貴方は?」


「僕は……」



 どこからか差し込む冷気に、ぶるっと背中を震わせる。毛布を夫の胸元まで掛けると、私は立ち上がり、暗いはずの窓を覗いた。

 そこに広がっていたのは、真っ白な世界。地面も草木も遠い屋根も。初恋のように明るく輝いては、迷子の夜を照らしていた。


 ──なんとなく分かった。

『愛』に向き合ったこれが、きっと最後の人生だと。



ありがとうございました。

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拝読させていただきました。 今日もネットを開ければ、どこかで「恋愛」と「結婚」についての考え方が議論されていることでしょう。 そして、人の「業」についても。 読ませていただき、ありがとうございます。
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