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恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。  作者: 長岡更紗


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26/26

最終話.ストロベリー侯爵と、スミレの花。

挿絵(By みてみん)

イラスト/澳 加純さん

 ラヴィーナさんには、あの後、シャロットと一緒に手紙を書いた。


『シャルは、パパとくらすね。でもママだいすき』


 シャロットが、ぷるぷる手を震わせながら、ひらがなで一生懸命に書いたその一文が、私はたまらなくて、泣きそうになるのを堪えながら見てた。


 どうしてイシドール様と暮らすことを選んだのか。

 シャロットがどれほど迷って、どれほど悩んで、出した答えだったのか。

 その経緯を伝えなければいけないと、私は自分の手で手紙を綴った。


 そして──


『私は、シャロットのもう一人の母になります』


 そう結んで、最後に、私の名を添えた。


 手紙を封筒に入れて、そっと封をする。

 私たちの気持ちをすべて託した便りを、ラヴィーナさん宛に送った。




 * * *





 中庭に面した部屋。

 やわらかな日差しが入る窓辺で、クラリーチェが静かに座っていた。


 こうして陽の当たる場所に、彼女がいる。それだけで胸がじんわりする。

 前みたいに、どこを見ているかわからない顔じゃない。

 今はちゃんと、しっかりと景色を見ている。


 私はそっと彼女に近づいて、できるだけやさしく声をかけた。


「調子、どう?」


 クラリーチェは窓の外を見つめたまま、小さく笑った。


「……だいぶ慣れてきました。まだ……外に出るのは、ちょっと怖いですけど」


 その言葉に、思わず微笑んでしまう。

 よかった。本当によかった。

 少しずつでも、前に進んでくれて。


「無理しなくていいのよ。ゆっくりで、大丈夫だから」


 そう言ったとたん、遠くから小さな足音がパタパタと近づいてくる。あの足音……って思った瞬間、案の定。


「クラリーチェ!」


 勢いよく扉が開いて、シャロットが元気に顔をのぞかせた。


 クラリーチェの姿を見たシャロットは、ぱっと顔を輝かせて、そのまままっすぐ駆け寄ってくる。

 小さな手でクラリーチェの膝にぽんと触れて、にっこり笑った。


「きょうもいた! よかったぁ! もう、いきなりきえちゃ、ダメなんだからね?」


 そのまっすぐ過ぎる言い方が、本当にシャロットなのよね。

 だけどそこが、本当に愛おしいの。


 クラリーチェはその言葉にふっと目を伏せて、なんだか照れたような笑みを浮かべた。


「……はい、シャロットお嬢様……」

「ふふー!」


 満面の笑顔で笑うシャロット。

 本当に太陽なのよ。

 ただそこにいるだけで、周りの空気がパッと明るくなる。


 クラリーチェは壊れてしまう前、罪滅ぼしの気持ちもあって、シャロットと仲良くしてたって聞いた。

 シャロットが言ってた“いなくなったメイドさん”って、クラリーチェのことだったんだ。


 クラリーチェが地下室から出てきて、シャロットと再開した時は、本当に喜んで……でもその姿に心配もして。

 今では毎日、クラリーチェを探すのが日課になってる。

 そしてシャロットと触れ合うたび、彼女はどんどん元気になっていくのが見てとれた。


「クラリーチェいなくなったときねー、シャル、けっこんしたのかとおもってたのよ」

「私にそんな相手なんて……」


 困った顔を見せるクラリーチェを気にもせず、シャロットは続ける。


「また会えてうれしいの! げんきになったら、またシャルとあそぶのよ!」


 そんなことを屈託なく言ってのける彼女に、クラリーチェは優しくうなずく。


「はい、必ず……シャロット様」


 ……ほんと。こうして笑ってる姿を見てると、信じられなくなる。

 地下から聞こえた声が、まるで夢だったみたい。


 と、そのとき。

 控えめなノックの音。扉が開いて、家礼のエミリオが姿を現した。


「……クラリーチェさん。今日はもう、このくらいにしておきましょう」


 やわらかい声でそう言うエミリオに、クラリーチェは素直にうなずく。


「ええ。ありがとう、エミリオさん」


 柔らかく返したクラリーチェの声に、エミリオはわずかに安堵の色を見せた。


 地下から出てきた時から、ずっとクラリーチェに寄り添っているエミリオ。

 彼女の回復を、誰よりも気にかけてるのはこの人なんだと思う。

 地下でも彼女の様子を誰よりも見にいっていたと、イシドール様が言っていたし。

 今もエミリオは、優しい視線を彼女に向けている。


 そんなふたりの様子を、シャロットはきょとんとしながら見上げて、私に振り向いた。


「クラリーチェとエミリオって、なかよしさんなの?」


 やっぱり、そう思うわよね?

 少なくとも、エミリオの方は。でもクラリーチェは?


 一瞬だけクラリーチェの方を窺うと、彼女はほんのりと頬を染めながら、視線を伏せていて。


 あら。これは確かに、そういう気配があるかも。


 なんだかにっこりしてしまった。


「ふふ、そうね。仲良くなれるって素敵なことよ」


 あくまでさりげなく、やわらかく答えると、シャロットは嬉しそうに頷く。

 エミリオは私たちの話を聞いて、そっと懐中時計を確認して微笑む。


「シャロット様は、家庭教師が来られるお時間では?」


 エミリオが穏やかな声で問いかけると、シャロットは「えーっ」って。

 だけど、小さく口をとがらせながらも、ちゃんと切り替えしてる。シャロット、本当に偉い。


「じゃあまたくるね、クラリーチェ!」


 ぱっと駆け出しながら、エミリオにも手を振る。


「エミリオも、ばいばーい!」

「はい、お嬢様。お勉強がんばってください」


 にこやかに答える彼に満足したように笑って、シャロットは軽やかに走っていく。


 静けさが戻ると、エミリオがクラリーチェに歩み寄った。

 彼女はまだ、体が思うように動かないみたいで。

 エミリオはそんなクラリーチェの前で黙って膝をつくと、ごく自然に彼女の腕を取った。

 迷いもためらいもない、だけど、どこまでも丁寧でやさしい動作。

 ……きゃ。どうしよ、ニマニマしちゃいそう!


「……お願いします」


 クラリーチェの声は小さくて、動けない自分が悔しそうで──でも、信頼こもった言葉が、聞いていて心地いい。


「はい。無理せず、ゆっくりで」


 そう答えてエミリオは彼女を支えると、ゆっくりと立ち上がらせた。

 一歩ずつ、確かめるように足を運ぶクラリーチェ。

 その隣ではエミリオが寄り添っている。


 なんだか……愛がだだ漏れじゃない?

 ちょっと見ていて恥ずかしいんだけど。


 エミリオは、地下にいた彼女の様子を見ていたって聞いたけど……

 ううん、きっとクラリーチェがそう(・・)なる前から。


 ふたりの間に流れる、言葉にならない空気がやさしくて、胸の奥があたたかくなる。


 私はそっと微笑んで、クラリーチェに声をかけた。


「ねえ、クラリーチェ。今度、一緒にお茶でもしましょう。気分転換に、気持ちのいい日を選んで」


 クラリーチェは、驚いたように一瞬目を丸くして、それから嬉しそうに頷いた。


「……はい、ぜひ」

「そのときは、エミリオ。またお願いね?」


 二人に視線を向けながら、なるべくさりげなく言った、つもり。

 エミリオは特に驚く様子も見せず、ほんの少しだけ表情をゆるめて──それから、静かに頷いた。


「承知しました。いつでも、お呼びください」


 エミリオの調子は変わらないけど、ちょっとやわらかい気がするのは……私だけ?

 でもそれを聞いたクラリーチェの頬が、ふわりと色づいていくのが、なんとなく目に入った。


 ……あら。まぁまぁ。

 嬉しいわよね、いつでも駆けつけるって言ってくれたようなものだもの。


 ニマッて笑いたい。でも、がんばってこらえた私、偉い。


 エミリオはクラリーチェを優しく支えたまま、静かに目を伏せて、少しだけ微笑んでいて。

 見ている私の胸まで、あったかくなってしまう。


 私はもう何も言わず、目を細めて。

 二人が去っていく後ろ姿を見つめていた。




 ***




 ラヴィーナさんに手紙を出してから、数日後。


「おかあさまーっ!」


 シャロットがぱたぱた駆けてきて、そのまま私に飛びついた。


「ママからおへんじ、とどいたの!」


 満面の笑みで、声もわくわく弾けてる。


 私は「ほんと?」って笑って、シャロットの手を取った。ふたりで一緒に、封筒をそっと開ける。


 中には、ラヴィーナさんの美しくも優しい字で書かれた手紙が入ってた。


『シャルへ。

 離れていても、あなたのことをずーっと愛してる。

 どこにいてもシャルが幸せでいてくれたら、それだけで、ママは嬉しいの。

 いつでも遊びにきてね。

 だいすきなシャルへ。ママより』


 シャロットは声に出して読みながら、目をきらきらさせて顔を上げる。


「ママ、シャルのこと、ずっとだいすきって!」

「ふふ、そうね。シャロットが頑張って書いたお手紙、ちゃんと届いたのよ」


 私はそっと彼女の頭をなでた。ふわふわの髪が指に気持ちいい。


「ねぇ、シャロット。今度、会いに行ってみようか。ママのところに」

「──ほんとう!? いく! いきたーい!」


 目をまんまるにして、パッと花が咲いたみたいに笑う。

 シャロットの天使っぷりは変わらない。


「シャルねぇ、ママにおてがみかいて、おみやげもって……それでね、それでね──!」


 もううれしさがあふれて止まらないって感じで、シャロットはぴょんぴょん跳ねながらしゃべり続けた。


 私はただ、黙ってその姿を見つめる。


 なんだろう。

 ありがとうって、唐突にそう思った。


 誰に、とはうまく言えないけど──この幸せをつないでくれた、すべてに。

 可愛い娘を抱きしめられる、この時間に──。




 ***




 夜の部屋に、ランプの淡い灯りがゆれていた。


 シャロットにお母様と呼ばれるようになってから、イシドール様と夜に二人きりになるのは、これが初めて。

 イシドール様が仕事に追われていたり、シャロットが一緒に寝てって言ったりして、夜の時間を取れなかったから。


 でも今夜は、ようやく……私たちだけの、時間。


 私の肩に、イシドール様の手がそっと置かれた。

 それだけで、ピクッとしちゃう。


「緊張しているな」

「……少し、はい」

「本当に少しか?」


 ふっと笑うイシドール様。

 もう、意地悪だ。


「本当は、めちゃくちゃ、緊張してます……」


 私の言葉に、イシドール様は優しく目を細めた。


「大丈夫だ。君のことは大事にする。……優しく、する」


 するって……言葉がもう、生々しくて。

 どぎまぎしている私へと、ゆっくりと顔が近づいてくる。


 キス、されるんだ。


 もう止める必要なんてどこにもない。

 ただもう、心臓が破裂しそうで、ぎゅっと目を瞑った。


「レディア……」


 イシドール様の甘い声が聞こえると、ふっと力が抜けて──


 その瞬間、唇が、触れた。


 優しく、ためらいがちで、それでも確かに私を想ってくれるキス。

 それが、こんなにも胸を熱くするなんて、知らなかった。


 イシドール様の手が私の頬を包んでる。

 そのまま、そっと──口づけが、深くなった。


 感じるのは、彼の体温と、唇の温もりだけ。


 離れたくない。

 ずっとこうしていたい。

 初めてのキスなのに、私はもう、虜になってる。


 まだして欲しいのに、唇が離れていく。

 そっと目を開けると、イシドール様は目を細めて私を見つめていた。


「ようやく、キスができたな」

「……はい」


 感慨無量って言うのかな。

 私は、そしてきっとイシドール様も、胸がいっぱいになって。

 何だか、涙がこぼれそうになった。


「イシドール様とキスができて……嬉しいです」

「俺もだ……」


 イシドール様の吐息を感じて。自然と、また距離が近づく。

 二度目のキスは、最初から深くて。


「イシ、ド……」

「レディア……ッ」


 イシドール様の手が、私の背中をなぞる。

 頭の中が弾けそうになる。

 身体中が熱くて、とろけちゃうかもしれない。


 二度目のキスが終わると、その息は乱れていて。

 そんなイシドール様も……かっこいい。


「その顔……俺を煽っているのか?」

「そんなことは……ただ、イシドール様のキスが、気持ちよくって……キスって、こんなに気持ちがいいものなんですね……」

「今からもっと、よくなっていく」


 これ以上、よくなっちゃうとか……

 私、おかしくなってしまうんじゃ?


 期待と不安が入り混じって……


 イシドール様の指先が、私の唇を掠めた。


「レディア、愛している。今夜は、もう……」

「……はい」


 その言葉に、私の鼓動は限界まで高鳴った。

 目を閉じた。身を任せる覚悟も、もうできてる。


 イシドール様の手が、そっと私の髪を撫でていく。

 その指先ひとつひとつが、私を優しく包み込むようで──胸が、ぎゅうっと苦しくなった。


 でも、それは痛みじゃない。

 こんなにも誰かを好きになることが、嬉しくて、幸せで。

 涙がこぼれそうになる。


 イシドール様の手が私の頬をすくい、唇が、また重なった。

 今度は、熱く、深く、私の奥へと気持ちを注ぎ込むようなキスで。


「レディア……」


 名前を呼ばれるだけで、身体が甘く反応する。

 知らなかった。私はこんなにも、彼に触れて欲しいと思っていただなんて。


 イシドール様の手が、私の背に回る。

 私はただ、彼の胸に手を添えて──そのぬくもりを、確かめていた。


 そして、そのまま──ふたりで、そっとベッドに倒れ込む。


 これから、夫婦としての一夜が始まる。


 そう、思った……そのとき。




「おかあさまぁーーーっ!!」




 けたたましい足音が、廊下の奥から近づいてくる。


 ちょ、今!?


 がちゃりと扉が開いて、小さな影が飛び込んできた。


「シャロット!?」


 パジャマ姿に、ぬいぐるみをしっかり抱きしめてる。

 うるんだ瞳……一体何があったの?


「やぁなの……! こわいゆめ、みたの……おかあさまと、いっしょがいいの!」


 私は飛び起きて、ベッドの端で固まったままの愛娘を抱きしめる。


「大丈夫よ、シャル。来てくれていいのよ、ほら」


 手を広げると、ぴったりと私に抱きついてくる小さな体。

 私はそのぬくもりを受け止めながら、そっとイシドール様に視線を送る。


 彼はというと、ゆっくりと体を起こして──やれやれ、というように小さく息を吐いていた。


「……まったく、完璧なタイミングだな」


 声に怒りはなかった。むしろ、微笑ましげな、それでいて少し悔しそうな響き。

 ふふ、なんだか笑ってしまう。

 本当に、完璧なタイミング。

 でもやっぱり、申し訳なくて。


「ごめんなさい……」

「謝る必要はない。妻と娘の仲がいいのは、嬉しいんだ」


 そう言って、イシドール様は、私たちの額にひとつずつ、そっとキスを落とした。


「今夜は……ここまでだな」

「……はい」


 ベッドに入ったシャロットが、すぐに安心したように眠り始める。

 私はその寝顔を見つめながら、くすっと息をついた。


 イシドール様の手が、私の手をそっと包んでくれる。


「……まあ、長い人生だ。初夜の一つや二つ、延期されるくらいはな」


 そんなイシドール様の言葉に、私もふっと笑ってしまった。


 幾度目の初夜を迎えても、きっとこんな風に優しく愛してくれる。


 その確信が、胸の奥にそっと灯ったとき。


 私はふと、イシドール様の書斎の引き出しにしまわれている、あの栞のことを思い出した。


「イシドール様……スミレの花言葉知ってますか?」

「ああ、調べたことがある。確か、“謙虚”、“誠実”、それと──“小さな幸せ”、か」


 そう。スミレの花言葉は、“小さな幸せ”。


 それはきっと、手をつないで笑い合える夜のこと。

 愛する娘が「おかあさま」と呼んでくれる日々のこと。

 そして、夫がそっと額に口づけてくれる、こんな時間のこと。


「イシドール様。これからも小さな幸せを、いっぱい咲かせていきましょうね」

「ああ……咲かせよう。君と一緒に、毎日を、小さな花でいっぱいに」


 イシドール様のその言葉だけでもう、私の心の中に、スミレの花がひとつ──そっと、咲くのを感じた。



お読みくださりありがとうございました。

★★★★★評価を本当にありがとうございます♪


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『行方知れずを望んだ王子と、その結末 〜王子、なぜ溺愛をするのですか!?〜』

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