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恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。  作者: 長岡更紗


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24/26

24.ストロベリー侯爵が作ったブランコの前で。

 ラヴィーナさんと会った日から、一週間が経った。

 見た目には、シャロットはいつもと変わらず過ごしている。


 本当は……『どうするのか決めたの?』って聞きかったけど、ぐっとこらえた。

 だって、ママだって言われたら……さよならが早くなってしまう気がして。

 イシドール様も、その話には触れてない。ただ、「決まったら遠慮せず言ってくれ」と伝えてたくらいで。


 私は、庭のブランコに乗るシャロットの背中を、ゆっくりと押していた。


 九月の半ば。

 夏の熱がまだ少し残っているけれど、空気には確かに秋の気配が混じり始めていて。

 庭には、庭師が丁寧に整えてくれた花々が揺れている。


 マリーゴールドやダリア、遅咲きのバラにジニア。

 色とりどりの花たちが、陽を受けて光っていた。

 少し乾いた草の匂いと、土のあたたかさが混じるこの庭。今の季節だけの、やわらかい静けさで満たされていた。


 そんな中で、シャロットのブランコがゆっくりと揺れる。

 足先が空をかくたびに、スカートのすそがふわりと舞い上がる。


「レディアおねえちゃん。もう、おさなくてもいいよ」

「……わかったわ」


 私は望み通り、押す手を止めた。

 ブランコはゆっくりと揺れを緩やかにして、そして止まる。


「シャル、わかんないの」


 ぽつり、と漏らしたその言葉に、私は息を止めた。

 小さな後ろ姿が、震えている気がして。


 ブランコから立ち上がり、振り向いたシャロットの顔は……曇り空だった。


「……パパかママ、決められない?」


 私の問いに、シャロットはぎゅっと唇を噛んで頷いた。


 当然、よね。

 そんな簡単に答えを出せる問題じゃない。


「レディアおねえちゃん。シャル、どうすればいい?」


 真剣なシャロットの瞳。

 私は『パパを選んで』なんてことは言えなかった。

 私情は挟みたくない。誘導することもしない。

 人に決められたら、きっとシャロットは後悔する。

 自分で選んで決めなければ、きっとあとで、もっと苦しくなる。


 誰かのせいにできる選択って、心にしこりを残すから。


 だから私は、まっすぐに視線を返した。


「それはね……シャロットが、自分の気持ちで決めなきゃいけないことだと思うの」


 私はしゃがんで、シャロットの両肩に手を置く。


「パパのところにいたいのか、ママのところに行きたいのか。どっちが正しいとか、間違ってるとかじゃないよ」


 シャロットのまなざしが揺れる。

 まだ小さな子どもの目だけど、その奥には、ちゃんと真剣な悩みがある。


「でも、シャロットがどっちを選んでもね。誰も責めたりしないし、嫌ったりなんか絶対にしないから」


 言いながら、自分の言葉で涙が出そうになった。

 それでも笑ってみせた。


「パパもママも、シャロットのこと大好きなんだもの。ね?」

「……うん」


 それでも苦しそうなシャロットに、私は続ける。


「だから、シャロットは、自分の気持ちを大事にしていいの。時間をかけてもいい。答えが出るまで、そばにいる。聞いてほしいことがあったら、私でよければ話してほしいの。気持ちをためちゃ、ダメよ?」


 そう言うと、ようやくシャロットは心の中で澱みとなっていたものを口にしてくれた。


「シャル、こわいの……ここをはなれるのも、ママとくらせないのも……」

「うん……」

「ママも、パパも、だいすき。どうしてみんなといっしょに、くらしちゃだめなの?」


 きっと、何十回何百回と、その疑問がシャロットの中で繰り返されてたんだ。

 私たちは、その説明をなんとなく避けていた気がする。

 大人って、ずるいよね。ごめんね。

 子どもにはわからないとか、大人の事情だとか、そんなものでシャロットの一番の疑問を置き去りにしてた。


 このままじゃ、きっとシャロットは答えを出せない。

 私の独断で話していいことじゃないかもしれないけど……。

 それでも、一緒に暮らせない理由を知りたがっているこの子に、誤魔化す真似だけはしたくない。


 私は、シャロットの小さな手をそっと握った。


「ねえ、シャロット……ママとパパが一緒に暮らせない理由、聞いてくれる?」


 シャロットは涙をこぼしながらも、こくんと頷いた。


「パパもママも、とってもいい人よ。でも、人である以上、心のすれ違いっていうのはできるものなの」

「すれちがっちゃったの?」


 悲しい目をするシャロットに、私は続ける。


「……それで二人は、もう別々の道を歩き始めちゃったの。その道はね……もう、戻れないところまで来てしまっているの」


 シャロットは唇をきゅっと結び、そして目を伏せた。


「パパにはパパの生活がある。ママにもママの生活がある。シャロットは二人と血が繋がっているから、どちらにでもいけるのよ。でもそれ以外の人が一緒に暮らすというのは、とても難しいこと。だから……どうしても、無理なの……っ」


 私に残酷な言葉に、シャロットの目が潤んでいく。


「いっしょ、だめだから……シャルが、えらぶの?」


 揺れる言葉に、私はもう一度頷く。


「こればかりは、誰にも答えられないの。シャロットが、自分で考えて、自分で決めるしか……ないの。大人の事情に巻き込んで……そんな年で、こんな大事なことを決めさせてしまって、本当に……本当にごめんなさい……」


 泣いちゃダメ。

 シャロットが泣いてないのに、私が泣くわけにいかないもの。

 ぎゅっと息を止めるように我慢していると、シャロットが震える唇から言葉を繋げる。


「シャル、いっぱいいっぱい、かんがえたの。ママがかえってから、いっぱい……」

「うん……」

「シャルね。やっぱり、ママがだいすきなの……」

「うん……っ」


 ダメ……涙、出てこないで……

 私の涙なんかで、シャロットの決めた選択を揺るがしたくないの……!


「シャルには、おとうとがいるんだって。すごく、かわいいんだって……シャル、会ってみたい……」

「そうだね……血のつながった、弟だもんね」


 なんとか、笑えてるかな。

 シャロットがママのところに行くって言ったら、それでいいよって優しく微笑んで、それから──


「レディアおねえちゃん……どぉして?」

「え?」

「どぉして、わらうの?」


 シャロットの、言葉の意味がわからなかった。

 私はちゃんと笑えてたみたいなのに。

 シャロットの顔は、今にも降り出しそうになってる。


「レディアおねえちゃんと、はなれたくないのに……おねえちゃんはシャルなんか、いらないんだ!!」


 その言葉を言った瞬間、シャロットはざんざんと目から雨を降り注がせた。


「わぁぁああああああん!! うわああああぁぁぁぁぁあああああん!!」


 その土砂降りの雨の中で、私は頭が真っ白になる。

 私がシャロットをいらない? そんなわけないのに。

 そんな風に思わせる態度を……私が、とってしまっていた……?


「違う……違うの、シャロット!」

「う、あああぁぁあああん!! だ、だって……ひっく。パパ、も、おね、ちゃ、も……っ、シャル、いかないでって、言って、くれなかったもん……あぁぁぁぁあああああん!!」

「シャロット!!」


 何やってるの、私のバカ!!

 一番大事なシャロットを、こんなに傷つけて!!


「いてほしいわよ!! 決まってるじゃない!!」


 私はぎゅうっとシャロットを抱きしめる。

 わんわん泣いて、体中熱くなっているシャロットを、力の限り。


「私はここで、イシドール様と一緒に……あなたの成長を見守りたいって、心から思ってる!!」


 そう叫んだ瞬間、私の中で何かがほどけた気がした。

 抱きしめたシャロットの体がびくんと震える。


「……ほんとに? ほんとに……シャルのそばに、いたいの?」


 しゃくりあげながら、シャロットが私の顔を覗き込む。

 私は、こくりと頷いた。


「本当よ。あなたは私にとって、とても大切な存在。血が繋がらなくたって、あなたのことが大好きなの」


 私がそう言うと、シャロットはしばらくじっと、私の目を見つめていた。私の言葉の奥にある本当の気持ちを探ろうとするように。


「……でも」


 ひっくとしゃくりあげながら、シャロットが呟いた。


「でも……なに?」

「だって……おねえちゃん、シャルのママじゃないもん……」


 また、ぽたりと涙が頬をつたう。

 ママじゃない。

 その通りで……埋められない溝が悔しくて、胸が痛い。


「ママじゃないのに、だいすきって言ってくれても……それって、いつかおわっちゃうんじゃないかって……こわいの……」


 私は何も言えず、ただシャロットの手を取る。

 でも、彼女の言葉はまだ続いていた。


「シャルのすきだったメイドさん、どっかいっちゃった人、いるの。やさしくて、シャルのこと、だっこしてくれたりした人……でも、いまはもう、いないの……」


 ぽつぽつと語られる小さな思い出は、まるで雨粒みたいに静かに心に落ちてくる。


「だから……レディアおねえちゃんも、いつかいなくなるんでしょ? けっこんとかして……シャルのこと、わすれちゃうんでしょ……?」


 胸がぎゅっと締めつけられる。

 こんなに小さいのに、シャロットは誰かの愛が終わることを知っている。

 その事実が、苦しい。


「……終わらないよ。私のシャロットが好きな気持ちは終わらない。だから、信じて」


 私の言葉は、ただの願いに過ぎないかもしれない。でも、それでも。


「……じゃあ、じゃあ……」


 シャロットのまなざしが、少しずつ変わっていく。恐れのなかに、微かな光が差し込む。


「……あ。シャル、いいこと思いついちゃった」


 たった今まで降り続いていた雨に、急に一筋の光が差した。


「ねえ、レディアおねえちゃん、パパと結婚して!!」

「──え?」


 いえ、もう結婚はしてるんだけど。

 まさか、シャロットからそんな提案をされるとは思ってなくて、呆気に取られる。


「だって……そうすれば、かいけつするもん! パパとけっこんしたら、レディアおねえちゃんは、およめさんになるんだから……シャルのほんとのおかあさまにも、なれるでしょ?」

「シャロット……でもそうすれば、本当のママとは、別々に暮らすことになるのよ……?」


 私がそっとそう伝えると、シャロットは少し黙り込んだ。視線を下に落として、指をぎゅっと握る。


「……ママはね、『あたらしい“かぞく”ができたの』って言ったの。おうちも、遠くにあるの」


 ぽつりぽつりと、言葉をつむぐ。


「おてがみもあるって、シャルしってる。でも……会ったとき、おもったの。ママはママなんだけど、もうちがうの」

「……ちがう?」

「うん……シャルのママ……だいすき。でも、おとうとがいて。シャル、うれしいのに……うう、うまくいえない……」


 私は何となくわかった。

 シャロットとラヴィーナさんは、この二年間、それぞれの道を歩んで来ている。

 戻ることのできないその二年間が、記憶とのズレを生じさせている。

 それが、シャロットの感じた違和感の正体なんだ。


「でも……レディアおねえちゃんとパパのとなりにいたら、ちゃんと“このまま”なの」


 シャロットは顔をあげ、少し涙のにじむ瞳で、真っ直ぐ私を見た。


「だから……レディアおねえちゃんは、どっかいっちゃ、やだ! パパとけっこんして! シャルの“おかあさま”になってほしいよぉっ!」


 私はそっと、シャロットの頬を両手で包み込む。


「……いいの? 私が……あなたの母親になって」


 私の問いかけに、シャロットは小さく、こくんと頷いた。涙をいっぱいためたまま、それでも真っ直ぐに。


「ずっと、シャルのおかあさまでいてくれる?」


 その声は震えていて。だけど、心の底からの願いだってわかる。

 私はその幼い祈りを、手のひらいっぱいに受け止める。


「……約束する」


 両手で包んだ頬を、そっと撫でながらそう告げると、シャロットの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「いきなりいなくなっちゃ、やなの! シャルが泣いたら、そばにいて!」

「絶対に、どこにも行かない。あなたと、イシドール様と……三人で、家族になりたいの」


 言葉にすると、自分の心の中でそれが確かになっていくのを感じた。

 私が望んでいるのは、ただシャロットのそばにいることじゃない。

 彼女を守り、共に過ごし、そして愛していくこと。


「ほんとうに……?」


 不安と希望がないまぜになったようなその声に、私はしっかりと頷いた。


「本当よ、シャロット。あなたが大人になるその日まで、そしてその先も、ずっと──私があなたの母親でいる。何があっても、離れたりしない」


 シャロットは言葉にならない声をもらしながら、私の胸に飛び込んできた。私はその小さな背中を、ぎゅっと抱きしめる。


「レディアおねえちゃん、だいすきぃ……」

「うん、私もよ。シャロット、あなたが大好き」


 暖かなぬくもりが、胸の奥に灯る。

 私の腕の中で泣きながら笑うシャロットはまるで──虹がさす、雨上がりのようだった。


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