第5話 本物の“悪”との遭遇
ある日曜日、僕はいつものように『極悪人クラブ』に顔を出した。
すでにおなじみのメンバーが揃っていたが、なぜかみんな顔が青ざめている。
「どうしたんですか?」
不安になった僕はたまらず問いかける。
すると、岩見さんが代表して答えてくれた。
「リサちゃんが、リサちゃんが……」
「リサ……いやリサさんがどうかしたんですか」
「黒田に……連れていかれた!」
「!」
久しぶりに聞いた名前である。
まさかまた黒田の名を耳にすることになるとは。
「黒田さんが……どういうことです!?」
僕も声を荒げてしまう。
「それが、大勢取り巻きを連れていきなりこの部屋にやってきてリサちゃんを無理矢理連れていったんだ。そして、片桐さんが来たらこれを渡せと……」
岩見さんが手紙を渡してくれた。
さっそく読んでみる。内容は以下のようなものだった。
『俺は前々からリサに惚れていて、自分のものにすることにした。返して欲しければ“ディアボロス”という店に一人で来い。もし警察に知らせたりしたら二度とリサに会えないと思え』
黒田がこんな強硬手段に出るとは。頭の中が混乱する。
「やはり警察に連絡した方が……」
鬼塚さんの言葉に僕は首を振った。
「いえ、それはやめておきましょう」
黒田の手紙からは“本気”を感じることができた。警察に知らせたら本当に二度とリサに会えない気がした。
「じゃあ、どうするんだい?」と岩見さん。
「話をつけてきますよ」
「話って……」
「大丈夫。黒田さんだって『極悪人クラブ』の仲間だったんです。きっと話せば分かってくれますよ!」
もちろん虚勢だ。
女性を拉致するような相手が「話せば分かる」わけがない。
黒田の待つ店で一体何が待ち受けているのか……想像すらつかなかった。
***
指定された店『ディアボロス』は、繁華街の中心地にあった。
ディアボロスとは“悪魔”を意味するギリシア語。人をさらって連れ込むにはいかにも相応しいといったような名前だ。
地下に伸びている階段を見て、僕はごくりと唾を飲み込む。
おそらくこの先に黒田とリサ、それに大勢の黒田の仲間がいる。
一方の僕は悪の組織のボスごっこが好きなだけの普通の会社員。リサを取り戻す算段なんてまるでついていない。
しかし、行くしかなかった。
僕が行かなければリサが助からないのは確実なのだから。
階段を下りる。
下りているのに、まるで死刑台への階段を昇っているような気分になる。
一段下りるたびに心臓の高鳴りが激しくなっているのが分かる。もちろん悪い意味で。
僕はディアボロスの扉を開けた――
扉を開けると、まさに別世界のような部屋があった。
真っ赤なカーペットが敷かれ、天井にはシャンデリア、大きなピアノも置いてある。
VIP御用達、なんてフレーズが頭に浮かんだ。
そして、その中央に黒田がふんぞり返るように座っていた。
「よう、よく一人で来たな」
しかし、今までのチンピラのような服装ではない。
黒スーツを着て、髪型もしっかり整え、別人のようだ。
周囲には大勢の黒服がいるが、彼らに頼ってるようには見えない。それほどの風格が漂っていた。
「黒田……!」
「黒田? ああ、そういやそんな名前を名乗ってったな」
黒田は“黒田”ではなかった。偽名だったようだ。
「お前……何者だ?」
「そうだな……。“悪の組織のボス”ってところさ」
悪の組織のボス。僕が長年憧れ、なりきっていたボスの“本物”に出会ってしまった。
「日本における裏社会の大半を牛耳らせてもらってる。もちろん警察も俺らの敵にはならねえ。もし通報したり、仲間を連れてきてたらリサは確実に助からなかった。とりあえずここまでのお前の行動は正解だぜ」
ハッタリとは思えない。黒田は本当に悪の組織のボスで、僕では想像もつかない権力を持っているのだろう。
こんな高級そうな店を私物化してるところからもそれは分かる。
しかも、現実では黒田を倒してくれるヒーローなど存在しない。僕が挑むしかないのだ。ただのサラリーマンである僕が。
僕は気を強く保つため、黒田に尋ねる。
「なんでそんなボスが……『極悪人クラブ』に通ってたんだ?」
「悪の組織のボスってのはこう見えて結構ストレスが溜まる。だからそのストレス解消や息抜きのためにあのクラブに入ってたわけだ」
プロスポーツ選手が息抜きのためにアマチュアに混じって遊ぶようなものだろうか。
僕が日頃のストレスを悪の組織のボスごっこで晴らしていたように、黒田も日頃のストレスをチンピラごっこで晴らしていたというわけか。
「だが、それも今日で終わる」
黒田が指を鳴らすと、手下たちにリサが連れてこられた。
「リ、リサさん!」
「優作さん……!」
リサは青ざめてはいるが、黒田たちに何かされたという様子はない。不幸中の幸いだった。
といっても状況が最悪なことに変わりはないが。
「頼む、リサさんを返してくれ!」
「もちろん返してやるよ」
黒田がニヤリと笑う。
「ただし、お前がケジメをつけたらな」
「ケジメ?」
「俺はあのクラブでお前に啖呵を切られて、大恥をかかされた。仮にも俺は悪の組織のボスだ。こういう世界はメンツが大事でね。あの借りを返さねえと、女を返すわけにはいかねえ」
リサに言い寄った黒田を追い払った時のことか。
黒田にとっては息抜きで通ってるごっこ遊びクラブで冴えないサラリーマンの僕に一喝されるなど、屈辱もいいところだろう。
しかし、ケジメをつければリサを返してもらえるなら安いものだ。この『ディアボロス』に乗り込んだ時点で、ボコボコにされるぐらいの覚悟はできている。
「ケジメって、どうやってつければいいんだ?」
「俺らの世界にはいい方法がある。これだ」
テーブルにワイングラスが二つ置かれた。
この瞬間、僕は猛烈に嫌な予感がした。
「ま、まさか……」
「そう、裏社会マニアの野間が教えてくれてたよな。生きるか死ぬかの二分の一『ワンハーフ』ってやつだ」
ある犯罪組織で行われるというケジメの付け方。
酒が入った二つのグラスがある。片方には猛毒が入っており、無毒の方を飲めば助かり、許してもらえる。だが、猛毒の方を飲めば……。
あれをこの僕がやるはめになってしまった――




