第17話~裏切り~
叶子のマンションの前に車が停車すると、ブランドンは彼女を抱きかかえて車から降りた。歩き始めたその時、パワーウィンドウがスルスルと下がり運転席から呼び止められた。
「なぁ、ブランドン。野暮な質問だとは思うが、一応聞いておく」
「……何?」
「その、……俺はここでこのままお前が戻るのを待ってりゃいいんだな?」
訝しげな表情でそう問いかけるビルが、本当は何を言いたいのかなどあえて聞かなくてもわかる。「お前は一体何をしようとしているのか」と言われているかのようで、内心激しく動揺していた。だが、ブランドンは決してそれを表に出すような事は無かった。
「――当たり前だろ」
そう言うと、ビルに視線を残しながらくるりと踵を返し、マンションの中へと入って行った。
意識も朦朧としている叶子に家の鍵の在処を問いただし、何とか玄関の扉を開けた。主が不在のその部屋は当然真っ暗で、玄関のライトのスイッチを探す為に、仕方なく彼女を玄関先に横たわらせた。
手探りで壁に手を這わせ、漸く明かりを点す。それでも尚、冷たい廊下の上で目を閉じている彼女をこんな所に無下に放っておくわけにもいかず、何とか目を覚まさせようと身体を何度も揺さぶった。
「おいっ! こんな所で寝るなよ!」
「ぅあぁー、……はいっ、こちらこしょ、いつもお世話になっておりまひゅ……」
「はぁ、ダメだこりゃ」
せめてベッドの上まで連れて行ってやろうと手を伸ばしたその時、さっきのビルの言葉が頭を過ぎり伸ばしていた手をピタリと止めた。
(そうだ……、俺はカナコの恋人でも何でもない。だから、俺がそこまでしてやる義理は――)
「さむっ、」
背中を丸めてそう言った叶子に後ろ髪を引かれつつも、もう俺の知ったこっちゃないと扉に手を掛けた。一度はドアノブを回したものの結局その扉が開けられることは無く、ブランドンは玄関先で横たわる叶子の前にしゃがみこむと何度も頬をはたいた。
「あ゛あ、くそっ! ――おい! ほら、さっさと起きろよ!」
怒鳴ろうが喚こうが、当の本人はスースーと寝息を立てている。「ああ、うぜぇ!」と吐き捨てるように言うと、ガバッと叶子を抱き上げた。
リビングに入ると、玄関の明かりはわずかにしか届かない。両手が塞がっているせいでリビングのスイッチを探す事が出来ないブランドンは、腕の中で気持ち良さそうに眠りこけている叶子の頭や足をぶつけてしまわないようにと部屋の中を慎重に進んでいった。
「ったく、コイツ何でこんなに重いんだよ」
ぶつくさと文句を言いながらも、ソファーの上にそっと叶子を横たわらせる。やっと役目を終えたブランドンが上体を起こそうとしたその時、いつの間にか首元に回されていた腕によってそれを阻まれた。
「? っんだよ!?」
もう一度身体を起こそうと試みるが、更に叶子の腕に力が入る。
「――おい、いい加減にしろ。寝ぼけるな」
叶子の耳元で一際冷静にそう言うと、彼女の口から思いも寄らぬ言葉が飛び出した。
「――好き」
「っ、」
囁く様に言われたその言葉に、ドクンッとブランドンの胸の音が大きく跳ね上がる。その後もドクドクドクと早いリズムを刻み始める胸の音に、こんな感じを味わうのは久し振りだと懐かしむ余裕など当然無く、瞬きするのも忘れて大きな目を更に大きく見開いた。
「い、いい加減に手を離、せっ」
「好き」
腕の力が少し緩まり、鼻先が触れ合いそうな距離で叶子と見つめ合う。無言でいる自分と相反して、叶子はうっとりとした表情でじっとブランドンを見つめながら、何度も何度も「好き」と繰り返していた。
確かに一度、キスをしてしまった過去があるが、ブランドンの中ではあれは単なる“事故の様なもの”だったのだと割り切る事にしていた。元恋人に首を絞められたり、現恋人である弟の婚約話を聞かされたりと、あの時はあまりにも叶子が不憫に思えた。
もう誰からも愛されることはないのだとでも考えていそうなその表情を見て、そうじゃないんだとついやってしまった同情からくるキスだったのだと自分に言い聞かせていた。
「おまっ、――もう、離してくれ!」
だが、これ以上こんな状態を続けていると、自分でもどうなるかわからない。いつもは命令口調なブランドンが珍しく泣き言を言った。
叶子の両手首を捕まえて巻き付かれた手をやっとのことで振り解くと、叶子は悲しそうに瞳を潤ませている。こんな表情を見せ付けられでもすれば、今までの自分だと簡単に溺れていただろう。だが、この間の一件で自分を恥じたブランドンは叶子は“弟の恋人”なのだからと必死で自分に言い聞かせ、決してその先へと進むような事はしなかった。
「好き」
「やめろ」
「行かないで」
「うるさいっ!」
「お願いだから」
「……。――っ、」
ブランドンの頬を彼女の手が包み込んだ。不自然に目を逸らしていたブランドンの視線を自分の方に向けると、甘い吐息を吐きながら叶子がポツリと呟いた。
「――ジャック」
「――」
動揺していたのが一瞬で冷静さを取り戻しす。と同時に、諦めたかのような表情に変わった。
「お願い、行か、ないで……。好き――なの、……ジャック」
「――俺は、ジャックじゃない」
ジャックと勘違いされている事実を突きつけられ、心の中で何かが崩れ落ちる音が聞こえた。そこで始めて、自分も気付かぬ内に心の奥底で淡い期待を抱いていたのだと改めて知る事となった。
何度何度も、まるで催眠術をかけられているかの様に、「好き」だの「行かないで」などと囁かれ、ブランドンの頭の中が混乱する。彼女は双子の弟ジャックと瓜二つの自分に、酒に酔ったせいで間違えているだけだとわかっていても、本能がそれを聞き入れない。
ダメだ、ダメだと言う言葉が、次第に意味の無いものへと変化を遂げた。
「好き、ジャック――」
「お、れは……ジャックじゃない。――っ! 俺を見ろ、ちゃんと俺の名前を呼べ! ――ちゃんと言えたら、お前の望むものをやるよ」
互いの唇が触れるか触れないかの距離でそう言った。
仮にこの唇が重なりあったとしても、それは自分のせいではない。叶子自身が望んでした事なのだと言い訳出来るようにと、己の保身のつもりで言っている様だった。
大事な弟の過去の女性を寝取ってきた時と同じ様に、ブランドンは叶子にも同じ事を仕向けたのであった。
こんにちは、まる。です。この度はご訪問有難う御座います。
これで第7章『確執』が終りです。次話からは最終章『運命』となっております。
最終章と銘打っておりますが、数話だったりします。
年末年始の更新の予定はまだ決めかねておりますが、更新出来そうな時は、ついったーでご報告させて頂きたいと思います。
後少しで終わりますので宜しければ最後までお付き合い下さいませ。
それでは今後とも『運命の人』を宜しくお願い致します。




