第17話~パーソナルスペース~
(えっ……嘘でしょ? 数時間前に裸を見られたばかりだって言うのに……。ど、どんな顔してればいいのよ)
想定外にブランドンがいきなり現れて、今までの自分の失態が走馬灯の様に次から次へと頭の中を駆け巡る。朝の挨拶すらまともにすることが出来ず、餌を欲しがる雛の様に口をパクパクとさせるだけだった。
「お? もう二人は既に顔見知りか?」
ビルはそう言うとサイドブレーキを下ろし、車を発車させる準備をする。キョトンとした顔のブランドンがそれに気付き、すぐに叶子の隣の席へと乗り込んだ。
「ん? ああ。何回か会った事あるよ」
パタンとドアを閉めると車内がいい香りに包まれた。シャワーを浴びた後なのだろうかゆるやかにウェーブしたブランドンの髪は少し濡れていて、シャンプーのいい香りがした。それとは別に爽やかなフレグランスもほんのりと感じ、いくつかボタンが外されたシャツから男らしい喉仏と逞しい胸元がチラリと見え隠れしている。大人の男性の色香を惜しげもなく放出しているブランドンに、緊張で心臓がうるさく音を立て始めた。
気付いていなかなかったせいではあるが、全裸をしげしげと観察されてしまい叶子は顔もあわせたくも無いのに、彼とそっくりなブランドンがそんな様子では泰然自若でいろと言う方が土台無理な話だ。
(ああ、頭の中が混乱する……)
火照る頬を手の甲で押さえ、必死で気持ちを落ち着かせようとした。
「もしかしてカナコはジャックに置いていかれたのか?」
「は、はい」
「はは、俺と同じだな」
「俺もだよ?」
前方でビルが笑った。
「え?」
一体何の事を言っているのかと、叶子は首を捻らせた。
「今日、あいつ帰るだろ? だから、最後の打ち合わせをやるって事になっててさ。でも、あいつ時間が取れないって言うから会社に行く迄の間、車の中でやろうって話になってたんだよ。んで、あいつが六時に出るっつーから、それに合わせて朝のトレーニングもいつもより早く起きてやったってのに、……これだ」
呆れた様に言いながら、ブランドンは両手を広げながら窓の外を見た。
「トレーニング……ですか?」
だからあんな時間に鉢合わせしたのか。と、思わず納得した。
「ああ、何もしないと身体がすぐなまるからな。周辺を走ったり、マシーンで筋トレしたりね」
シャワー後で暑いのだろうか、ブランドンは車の窓を少しだけ開けた。
「しかし、あいつの彼女なんて本当よくやるよ。あいつの得意技は“人を振り回す事”だからな」
ブランドンがそう言うと、ビルも「確かに」と言わんばかりにうんうんと頷いた。
「いえ、そん、……なっ!?」
視線を少し下げていると、目の前にいきなりブランドンの横顔がぬぅっと現れた。突然の事にドクンッと大きく心臓が跳ねると同時に反射的に身体を反らす。シャンプーのいい香りとほんのり感じる体温で、一気に体中の血の巡りが活発になった様な気がした。
ブランドンは手を伸ばすと、叶子側のパワーウィンドウのスイッチに手を伸ばした。そうすることで、明らかに叶子の様子が変わった事に気付いたのか、ブランドンはそのままの姿勢で叶子の方を見た。
「あ、悪い。ちょっとだけ開けさせて?」
「は、はい、どうぞ」
そう言って窓を少し下げると、再び自分の席へと態勢を戻した。
(一言いってくれれば私が開けたのに)
人にはパーソナルスペースと言うものが存在していて、日本人はスキンシップの習慣が無い分、その距離感は広いのかもしれない。しかし、ジャックにしろブランドンにしろ、この距離感を全く関係なしに突然入ってくるもんだからどぎまぎさせられてしまう。慣れていないこちらとしては困ってしまうのだ。
何時までたっても落ち着かない頬の赤みに気付かれないことを願っていると、俯いた叶子の顔をブランドンが覗き込んできた。
「ん? どうした? 顔が赤いな。熱でもあるのか?」
不意に、額に温かい手を当てられてまた身体が固まる。
「だ、だ、だ、大丈夫です! 何でも無いですからっ!!」
「ふぅーん。――あ、わかった」
額に当てた手を叶子の肩に回し、ブランドンが再び上体を寄せながら叶子を自分の方に引き寄せた。
「どうせずっと裸だったんだろ? それで風邪引いたんじゃないのか?」
「まっ!? ちっ! な、なっ……!?」
ビルに聞かれないようにとの配慮からか、ブランドンは叶子の耳元で囁く。これでもかと言わんばかりに真っ赤な顔をしながら囁かれた耳を両手で押さえている叶子の様子が面白いのか、ブランドンはお腹を抱えて笑い出した。




