期待と予想外のプロローグ
書籍化記念番外編です。3/17電子書籍(上巻)配信スタートしました。
時系列は、物語スタート直前のお話です。
──いかげん、直接動かないと気が済まないその癖はなんとかしろ。
幼い頃から共に育った男にそう呆れられながらカールは都を出て、馬車に揺られることそろそろ半日と少し。
簡素な馬車に大きな荷物を載せ、道はお世辞にも良いとはいえない状況だ。しかも道連れは面白いこと一つ言わない男、ケビ。
カールは気軽な気持ちで出立したことを、少しだけ後悔しはじめて愚痴を口にする。
「せめて、騎乗で来ればよかったな」
「ほんの半日前には、息抜きにちょうど良いと言っていたのは誰だったか……」
ケビの容赦ない返答に、カールは苦笑いするしかなかった。
王子の花嫁候補の検分、それが今回の役目。堅苦しい視察と政務に振り回され、年寄りどもと顔をつきあわせる会議、それらから一時解放されることに歓びを見い出したのは事実だ。
だが地図上では近いと思ったストークスマン男爵領が、思ったよりも遠い。とにかく、遠回りなのだ。しかも近づけば近づくほど、街道は整備されておらず硬い馬車の御者台は揺れて、辟易させられる。
カールは出発する晩に会った、ノルダール侯爵の言葉を思い出す。
『とても面白い娘ですよ、だが気をつけた方がよろしいでしょう。彼女はいわば虎の子ですから』
「ストークスマン男爵といえば、先年の男爵領のワインは、品評会でも話題になっていたな……ケビも知っているか?」
「ええ、各領地の特に優れたワインに賞が与えられるので、どこも競って出品するのですが、ストークスマン家は出荷量が足りないので賞へ参加はしていない。だがそういった品々も、献上品として会場で振る舞われる。そこで優秀と評されたものより評価が高かったという、話題性から高値がついたとか」
「確か、優秀賞三本のうち一本が、スヴォルベリ子爵領のものだったな」
カールはその時の子爵の得意げな顔が思い浮かび、クスリと笑う。
「ええ。近年ストークスマン家以上に、事業を急拡大させている子爵が……相当金をつぎ込んで作り上げ、喉から手がでるほど欲しかった称号を得たにもかかわらず、話題は見下している男爵領に持っていかれた。それはそれは憎らしいでしょう」
都で数度ほど会った、男爵家当主であるエーランド=ストークスマンを思い出して、カールは頷く。にこやかな男だった。背はさほど高くなく、痩せていて、どこか頼りなげな風貌だ。見た目こそ無害そうだが、少ない会話のなかでも酷く察しがいい。
「それを嵐に揺れる芦のようにしなやかに躱す男爵も、印象的だったな。倒れそうに見えても倒れない。あのような男ほど、敵にしたら面倒なのだろう」
「そのような人物の令嬢となれば……期待してもいいでしょうね」
ケビの言葉に、カールは返答しかねていた。
それはどういう意味での、期待なのかと。横目に見るケビは、カールをからかう様子もなく、前を向いて手綱を握っている。
すると、ケビの表情が変わった。
「どうやら、ミルド村の入り口まで来たようですね、道が変わる」
ケビが言ったのと同時に、街道が急に滑らかになった。そして雑草は見当たらなくなり、街道脇には小さな花が植えられている。そんな街道を進むと、岩場を抜けて開けた丘に出る。
「……これは、見事だな」
丘陵に連なる葡萄の畝が、今まさに収穫を待ちわびてその色を濃くしている。
ここまで、常に暗く生い茂った森を横目に進んで来ただけに、その鮮やかな景色に息をのむ。しっかりと手の入った畑や水路、それから裕福とは言い難い小さな家々ですら、よく片付けられ清潔そうだ。
カールの胸に、自然と湧き上がるのは、まさしくケビの言う通りの期待。
「面白い滞在になりそうだな」
先ほどまでの不満などすっかり忘れたようなカールの様子に、ケビは小さく口元を緩める。そして馬車を曳く馬に鞭を入れた。
そうしてストークスマン男爵家の屋敷で、カールは目当ての人物遭遇する。
期待は驚愕をもって関心へ取って代わり、そしてカール自身も予想していなかった決断をするのは、ライラ=ストークスマン令嬢と最初の別れを告げ、帰路についた馬車の上。
彼女から渡された土産を手に上機嫌なカールが、ケビへ告げる。
「次も、楽しみだな」
そうくるだろうと予感があったケビだが、一応とばかりにこう返す。
「思いつきで決めるのは、いいかげん止めてくれ。カールーアレニウスが直々に検分役として訪れたという実績なら、今回で充分なはず」
「じゃあ、私的に訪問するというのはどうだ?」
「……可哀想に」
「ずいぶん、彼女に同情的じゃないか、お前らしくもない」
「俺が同情しているのはあなただ、カール」
ケビはやれやれと、あきれ顔で続けた。
「嫌われている自覚がないとは」
「……そうか?」
純粋に「分からない」といった風に首を傾げたカール。
令嬢はきっぱりと花嫁候補になることを「否」と告げたと言ったのは自分ではないか、そう言いたいのを堪えつつ、ケビは今後の予定を組み直し始める。
恐らく、カールの言う通りになるだろうと踏んで……
カールは既に見えなくなったミルド村を振り返る。美しい村に、平凡とは言い難い令嬢。下手をすれば企みを疑われかねないほどの施設と技術。だが令嬢の純粋さが、カールにそう思わせない不思議な居心地の良さを与えていた。
行きとは違い軽くなった馬車は、カールとケビを乗せて再び悪路の街道を走り抜けて行く。
次に運ぶのは、令嬢の望まぬ知らせになるだろう。
それを知った時の彼女の豊かな表情を、カールは見たいと望み始めていた。




