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荘園経営に夢中なので、花嫁候補からは除外してください。  作者: 小津 カヲル
四章 あなたは誰?

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21.人気商品は身を助く

 悪意ある手紙の件はすぐさまお父様に知らされ、工事の視察を終えると昼過ぎにはいったん戻ってきてくれた。

 公表されれば噂にはなるだろうと考えていたけれど、ここまで早く嫌がらせなどの行動に出る者がでてくるのは、さすがにお父様にも予想外だったみたい。

 例えば私が社交界に姿を見せて、階級の不足を補うほどの美貌や知性で男性の話題になっているならともかく、どんな人物かも分からない者に陰湿なけん制をするものなのだろうか。そして手口もある意味、子供じみている。

 これが本来上流社会での牽制だったなら、もっと具体的に行動を起こすだろうとお父様が言う。


「具体的ってどんなことを?」

「そうだな……私の顧客に手を回して、事業を潰そうとするとか」

「なんですって?!」

「いやいや、例えばの話で、そんなことにはならないから」


 まだお父様の事業からの現金収入に頼っている部分があるというのに、邪魔されたら困るのは私たち親子だけではない。


「どうしてそんな事が言えるの?」


 私が青ざめていると、お父様はいつもの調子でへらっと笑う。


「ほら、二年前から出してる『リヨン』が大人気だろう? あれがある限り大丈夫」


 お父様が言うリヨンとは、貴族の御婦人たちに大人気の商品。薬として認識されているけれど、その実は健康食品。どこでどういう話が膨らんだのかは分からないけれど、食べる美肌のお薬として陰で大流行している。我が男爵家の営む事業のなかでは、稼ぎ頭に踊り出ようとしているものだった。


「リヨン? でもあれはまだ生産が追い付かなくて」

「数に限りがあるからこそ、その人気を一時的に利用できるんだよ」


 お父様が言いたいのは、こういうことだった。

 『リヨン』と呼ばれる商品は、最初に売り出したときの三倍の値がついているにもかかわらず、次の出荷を待つ予約が殺到している。王族に次ぐ地位の公爵家から、同じく末端の男爵家、それから爵位はないものの商売敵でもある商家の奥さん方からも問い合わせがあるらしい。貴族の御婦人方の美容に対する執念は夫をも動かすものだと、お父様が苦笑いを浮かべながら太鼓判を押す。


「だからストークスマン男爵家(うち)を排除しようとしても完全には無理だから、ライラは何も心配することはない。商品を人質のようにするのは忍びないけれど、一時的にそういう伝手を利用するのも、世を渡る術だからね」


 お父様は私に安心させるようにそう言うけれど、嫌がらせが絶対ないとは言い切れないだろう。そのときはお父様が矢面に立つことになる、それがとても心苦しかった。

 そんな私の心配をさっぱり分かっていないのか、お父様は執事から渡された封筒を見て、にこにこと笑っている。


「これはまた、可愛らしい細工だ」


 執事はことのほか心配していたけれど、指を刺した針はとても小さく、傷口などもう跡形もない。

 その理由は、仕込まれた針そのものにある。

 お父様ががさがさと封を開けて分解すると、ポロリといくつも落ちてくるのは裁縫に使うまち針。しかも幼い令嬢が最初に揃えてもらうような、持ち手にあたる部分に花型の飾りがついた可愛らしいものばかり。


「なんだか指に刺してしまった私の方が、間抜けというか……申し訳ないくらいですわ」

「とんでもありませんライラ様。例え拙い道具での細工であろうとも、名を騙ってこのような悪意を贈ったという時点で、庇いようがありません」

「まあまあ、シュテファンの気持ちは分かってるから」


 憤慨する執事を諫めるのは、お父様。

 どちらがお父様か分からないくらいだけれど、有能で忠誠心厚い執事なのはいつものこと。


「既にホルムグレン子爵には手紙を出したところだから、何かしら反応はあるだろう。ライラのところにも今度こそエルザ嬢から連絡があるかもしれない。街道にはしばらく監視を置くようにこれから手配することになるから心配はいらない」

「そんな大げさな……街道に監視って、誰かを雇うのですか?」


 お父様の言う通りの対策をするには、人手がいる。今は灌漑水路と溜池のための人員で、そうそう空いている人はいない。


「いいや、都から派遣されてくるから大丈夫」

「はあ?」


 ついあんぐりと口を開けて、驚きを声に出していた。

 執事の視線に気づき、手のひらで口元を覆う。


「実はライラには言ってなかったのだけれど、花嫁候補のための護衛兵を派遣してくれることになっているんだ。申請すれば、だけど。ほら、うちって田舎だから犯罪も少ないし、自警団くらいしかないんだよねって言ったことがあって。ヘンリクが覚えていてくれて、先日会ったときに、何かあったら派遣するよ~って」

「はあ……宰相補佐のノルダール侯爵様が」

「そう、だから安心してていいよ」


 なんだか大ごとになってきたような気もするけれど、いつまでも屋敷に閉じこもっているよりはマシかと、気持ちを切り替えることにした。

 そもそも、これからが『リヨン』収穫の最盛期。じっとしてなんていられないのだから。



 ということで、私の平安はすぐに戻ってきそうなのだけれど、過保護な執事の指示でその後三日、お屋敷で大人しくさせられる。

 しかし都の対応は素早く、十人ほどの兵士が大きな荷車を引いてやってきた。村に入るための街道入口付近に簡素な監視小屋を建てたかと思えば、そこに三人が残り監視役として常駐するという。もちろん入口となるのはそこだけではないので、見回りつきだそうで。ご苦労様ですと、美味しい果物の差し入れなども抜かりない。

 そして今日、ようやく始められる『リヨン』の収穫。

 十二月も半ばにさしかかり、ぐっと冷え込むこの冬の時期に、辛いけれどやらねばならない最後の仕事。朝には薄く霜が降りて、水が凍りつく前のほんの一時が勝負。

 私は新調した巨大カワウソの毛皮でできた、胴付き長靴を着込む。この時ばかりは村の半分の人間が刈りだされる。そのための賃金を用意してでも、価値があるものになるから。

 準備ができた村長のヴァーイとともに、見下ろすのは山から湧き水が流れ込む、泥畑。泥にも見えるここは男爵家所有のれっきとした畑。泥といえどもヘドロとは違い綺麗なものだけれど、それなりに深さがあって収穫も一苦労。


「さあ、始めましょうか」


 今日から一週間かけて沼から引き抜くのは、リヨンと呼ばれる蓮のような植物。

 夏には涼し気な美しい花を咲かせるところなど、かつて住んでいた世界と同じだけれど、その根が食用として仕えるところもよく似ている。リヨンは昔からミルド村では冬の作物不足の時期に食べられていて、食物繊維などを含み、とても栄養価が高い。

 つまりこれを干して粉にしたものが、美肌の効能がある商品として人気の『リヨン』。料理に混ぜると少々の粘り気を持ち、ソースやスープに使いやすい。そして多く含まれる繊維質が便通を良くすると、ご婦人たちに好評となった。

 大っぴらに便秘薬と言えないので、通称「美肌にいい薬」と呼ばれている。結果として間違ってはいないけれど、貴族のご婦人方は運動をしないので、色々と不都合を抱える人が多いのだと察してあげたい。


「ライラお嬢さん、あんまり入ると冷えるんで、ほどほどにして下さいよ」


 男性たちとともに泥に入る私を、ヴァーイは心配してそう声をかけてくる。


「大丈夫よ、新調したカワウソの胴付き長靴は温かいもの。高いだけはあるわね、活躍させなきゃ元が取れないわ」

「俺たちの分も確保できて本当に助かるけど、そんなに高く売れるんだな、こんなものが」


 ヴァーイはずぶずぶと泥の中にリヨン専用のすきを差し込み、節の連なった根を引き上げている。彼らが来ている胴付きも、私が用意させたカワウソの皮でできている。交代で使っていけるよう、用意した。

 私はもう少し浅い場所でその根を受け取り、浮かせた桶に積んでは岸で待つ女性陣に渡していく。受け取った泥まみれのリヨンを、女性たちがこれまた湧き水で洗い流すのだけれど、あちらも相当冷えて大変な作業となる。


「本当、何が流行るかなんて分からないものね。私は粉にしたものより、そのままスープで煮込んだものが好きなのに」

「ははは、違いない」


 蓮根よりもきめが細かく、煮ると里芋のようにまろやかになるリヨン。本来は余らせたリヨンを保存するために粉にしたにすぎないのに、それを食べたイクセル様が、薬に流用できると助言してくれたことから商品にできた。


「ところでお嬢さん、あのカールとかいう、美丈夫な青年はもう来ないんですか?」


 ヴァーイの言葉に、受け取った根を泥に落としそうになった。


「な、なあに突然!」

「いやほら、葡萄踏みのときすごい嬉しそうだったから、泥んこも好きそうだなあって」

「ああ……たしかに」


 作業していると、いくら胴長を着ているとはいえ、泥が跳ねて顔やら髪やら泥まみれになってくる。

 彼ならきっと泥にだって目を輝かせて「やらせてくれ」と言うに違いない。


「馬追いだって、普通に参加したろ、列に並んで俺たちと一緒にクジ引いてさ」


 側にいた若い村人たちが賛同してくる。


「そうそう、結局落馬して負けたのだって、不正があったの知らされてたんだろう? なのに文句ひとつ言わなかった」

「良い人だったよな」

「死んだみたいに言うのやめろって」

「俺の女房なんて、ため息つきながら見てたんだぞ。殴りにいきたかった」

「やめておけ、返り討ちだ」


 笑い声が泥畑にこだまする。


「来たら美味いリヨン食べさせてやるのにな」


 ヴァーイの言葉には、彼への好意が透けて見えて、なんだか私まで嬉しくなる。


「残念だけれど、きっと彼は来ないわ。もうすぐ都は社交シーズンが始まるもの、各地の領地から人が集まるし、警護官だから忙しいのよ」

「そりゃあ、残念……じゃあ、おいおまえたち交代するぞ」


 カールのことはそれで話を切り上げることにしたのか、ヴァーイは作業している男性たちに、交代の指示を出す。氷のように冷える沼での作業は、長時間はきついので、三グループの交代制になっている。特にカワウソの毛皮ではない胴付きを着ている者には、かなりの負担だ。

 みんな顔や手足を蒼白にさせながら沼を出て、湯気が立つ簡易水場に飛び込む。温室と同じ源泉が近いため、そちらから湯を誘導して、土を掘って風呂のように溜めている。畑に入る沢の水で温度調節もしながら、泥を落として身体を温められるようにしてある。リヨンの売れ行きが良くなったため、畑を拡大したときに作っておいたのだけれど、これのおかげで作業はとても楽になった。


「ライラお嬢さんも、上がってください」


 岸からロリがそう言うけれど、私は毛皮の胴付きだからまだもう少し大丈夫、そう伝えたのだけれど。


「ダメです、女性が身体を冷やすのは良くないんですから」

「でもせっかくの胴長があるのに、もったいないわ」

「ダメですってば」


 手を腰に組んだロリ。逆光で表情は見えないけれど、どうやらひいてはくれなさそう。

 しかたなく出ることにして、泥をかき分けて岸に向かうと。

 ロリの向こうに大きな人影が重なり、私の元に影が届いた。

 誰だろう、そう目をこらすと。


「なんで毎回毎回、面白いことになってるんだよライラは。俺にもやらせろ」


 噂をすれば影。

 カールがそこに立っていた。


「……またあなたは、報せも寄こさないで」


 まだ会いにきてくれるんだとか、何事もなかったかのように変わらないとか。月夜の告白(こと)はやっぱり夢だったのねと、言いたいことはいくつもあったけれど、出た言葉はそんなことで。


「報せを送る余裕がなくて。でも一応出したから明日には届くと思う」

「手紙が後に届いても意味がないって、前にも言いましたけれど」


 彼はブーツが汚れることを気にせず、一歩足を踏み入れて、泥の中からゆっくり歩いて出てくる私に、手を差し出した。

 どこまでいっても、優雅でスマートなところが、憎らしい。

 そう思いながら手を取って、にっこりと微笑みつつ、彼を思い切り引きずり込んだ。

 驚きながらバランスを崩して、泥を巻き上げながら手をつくカールに、私は一番言いたいことを思い出した。


「ねえカール? どうして私の名前を残してくださったのかしら、今度こそ納得のいく説明をしていただかないと、街道の兵士にお願いして叩き出してさしあげましてよ」


 このくらいの仕返しは、当然受けてもらいますから。

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