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 安政二年夏。

 物価の上がり方がえげつない。

 昨年も今年も地震が頻発しており。その影響で特に木材が値上がりし、江戸幕府の基準通貨である米の価格も上がっている。下手をすると、蝦夷の開拓地から予定以上の米を要求された時に、送れないかもしれない。

 花子からの手紙によると蝦夷地の開拓は順調そのもので、焼畑した畑の作物は、豊作は見込めないがそこそこの収穫は見込めそうだ、とのことだ。

 特にジャガイモは一回目の栽培を終えて二回目の栽培を始めたそうで。少し前に発酵鶏ふんと貝殻肥料を要求通りに送ったから、二回目のジャガイモ栽培も何とかなるだろう。

 オビラシベのホタテ養殖場の建設も産卵期より前に終わり。再来年からは干貝四〇斤を生産出来そうだという。

 ただ、ホタテ養殖場は波の関係でこれ以上拡大出来ない、とのことだ。またタコが多数いるので、その食害も不安だという。耳吊りではなくカゴで育てる形式にしたけど、品質はどうなるやら。

 そのタコは蛸壺漁で釣って干しダコにしたり開拓民が食べたりするから、邪魔という訳でもないのが難しいところ。




 夏泊半島の養蚕の拡大に伴って、養鶏場も増やしている。

 今あるのは三か所で、卵用雌鶏が計六〇〇匹、若鶏が計二四〇匹、ノビノビと桑畑牧場で育っている。規格外の生糸を使った防鳥ネットもモノになったので、本当にノビノビしている。

 若鶏は中抜きされた丸鳥(羽根むしって内臓抜いたもの)ひとつ一五匁で。解体したものを二〇匁で売っていて。弘前城の城下町外れの帆立屋支店『鶏屋』まで生きた状態で運び。注文を受けたその場で解体するようにしているのだけれど。これがちょっとした見世物になっている。流石ギロチンが娯楽な時代の人間、場所が違えど残酷だ。

 鶏屋では、その日解体した鶏のヒラギモ・ココロ・ズリ・サガリ・ボンジリを塩の串焼きの焼き鳥にして売っているのだけれど、これも大人気。一本一〇文でご馳走が食べられると流行っている。

 ニワトリから出る羽根の方は、半纏の詰め物として使っている。針仕事が出来る人も多いので、雨覆羽とその他に分けて専用の袋を用意して詰め放題一〇〇文にしたところ、売れる売れる。売れ過ぎて常に在庫切れ状態だ。

 ニワトリの骨は砕いて肉骨粉として、脳やらその他内臓やらは腐らせて、双方共に肥料にしている。

『ニワトリに捨てる場所無し!』

 ニワトリ様々である。




 生糸価格は帆立屋のものの質が高いこと、まだ捕鯨船の補給としてしか開港していない下田と函館の港で欧米の船乗り達が生糸を『お土産』として買い漁っていることもあって高騰し、一斤七両になっている。

 養蚕場は夏泊山地南の麓のモノは広さ的に限界になったので、広大な桑畑が育ちつつある東岳に帆立屋二号養蚕場を建てているところ。紡績工場と養鶏場も隣接させる予定で建築していて。

 弘前藩の武士達から『帆立屋は山という山を桑畑にするつもりか?』と揶揄されたりしている。君たちが治山の仕事をちゃんとしてくれたらしないで済むのに。

 なお、生糸生産の拡大に伴い、生理用品『摩耶布』となるボロ真綿の生産量も増えている。それでも、やっと弘前藩中の希望者が買える程度の量でしかない。

 綿を使った摩耶布の研究も始めたけれど、まだまだ時間がかかりそう。研究中の試作品は私も使っているのだけれど、この人体実験が中々辛い。こんなことなら、生理用品についてもっと勉強しておけば良かった。

 大奥では普通の真綿から作った摩耶布を使っているそうで、その出費に幕府が困っており。女官の削減で対応したら摩耶布で圧迫された以上に財政が良くなった、とか。どれだけ贅沢してたの……?


 なお、生糸がこんなにも高いのは、生糸を織った絹織物の『肌触りが良い』『しなやか』『光沢が美しい』からだけではない。その『防御力が高い』からでもある。

『唐突にRPGかファンタジー要素を入れるな!』

 そう言われそうだけれど、これは単なる事実である。

 生糸はとても丈夫な糸で、それを編んだ絹織物も丈夫だ。未来では生糸を防弾チョッキに出来ないか軍が研究している、なんて噂が出回る程度には丈夫だ。

 そんな絹織物は、

・モンゴル帝国が西暦1207年の西夏との最初の戦いの後には、絹のシャツを着て矢を防ごうとした。

・日本では870年頃から絹製の母衣という矢を防ぐ装備を身に付けた。

 未来知識にはなるけれど、

・1901年に作られた絹織物を何層にも重ねたベストは、スペイン王アルフォンソ十三世を銃弾から救った。

 等々、その防御力を誇る話がある。

 ……アルフォンソ十三世のエピソードが衝撃的だったので、絹の防御力のことはよく覚えていた。

 つまりはまあ、絹織物は鎧、それも王侯貴族や金持ちが日常使い出来るだけの格と質があり、なおかつ生活の負担にならない鎧なのである。

 戦争の多いこの時代に求められる訳だ。

 絹織物の衰退は化学繊維の登場も大きいけれど、絹織物という鎧程度では銃弾を防げなくなった、という点も重要だったりする。


 絹織物の衰退後、養蚕業をソフトランディングさせるため、蚕のサナギから冬虫夏草を育てる研究は行っている。これは、私の孫の代までに出来ればいいや、程度の扱いで窓際部署扱いされている。

 今は生糸生産で忙しいし、出来たならとんでもない騒ぎになるし、期待されても困るので、その程度の扱いで良いのだ。







~~蛇足~~

・アルフォンソ十三世のエピソード

絹のベストが作られたのは1901年。

それが彼を助けたのがいつかは不明。暗殺未遂・襲撃事件の頻度から見て、恐らく第一次世界大戦後から1931年に亡命する間のスペインの社会情勢が不安定だった時期だと思われる。


なお、絹織物を使った防弾チョッキは1900年頃まで、アメリカのギャングの偉い人が本当に着ていた。

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