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 安政元年正月。私、帆立屋栄子は『摩耶布製造方法の献上』の報奨として、江戸城に登城した上で、幕府から一〇〇両と永代の『帆立屋』の苗字と帯刀の権利を承った。

 永代の苗字帯刀はかなりの名誉な上、日本国内どこでも通じる身分証でもある。摩耶布製造方法を教えただけにしては過分な報奨だ。幕府としてはそんなに出費がない報奨だけれど、滅多に出せない報奨だ。

 噂によると大奥からの圧力があってのこと、らしい。……何が起こるのか、ちょっと怖い。


 まあそんな訳で江戸に年末から年始の一か月程度滞在し。

 帰路でも商談をしつつ。無事平内に帰って来られたのは、津軽に梅の花が咲く頃だった。

「で、色んな藩のお偉いさんと面会して養殖やってくれ、って言われたんだけどさあ。冥加金に五割六割要求してくるから断っちゃった」

「それは高いですね。断って正解ですね」

 良子はウンウンと頷いている。

「それは分かりましたが、そちらの方はどなたですか?」

 桑子はジト目で私を見た。

「ん? この子は藤子。手紙とか書類の担当に()()()()()の」

 私の斜め右後方に立つ、右目すら覆った風呂敷形の黒頭巾を被る少女を示すと、彼女は深々と頭を下げた。

 すると桑子と良子の二人は私に背を向けてヒソヒソと話をする。

「まさか栄子さん、ってそんな趣味?」

「かもしれませんね。買ってくる程とは思いませんでした」

「聞こえてるぞー」

 二人は悪びれずにこちらを向いた。

「で、どこから買ってきたのですか?」

 良子が尋ねる。

「吉原。花魁候補として教育を受けてたんだってさ」

「花魁候補なら、何で顔を隠しているのですか?」

「うん、桑子さんの疑問は当然だね。藤子さん、顔見せてあげて?」

 藤子はスルスルと頭巾を取る。頭の天辺から右目を通り、唇にかからないギリギリを通って服で見えないところまで、藤子の体はケロイドになっていた。右目があるはずの瞼は眼球が潰れているのか平らで、右耳もなかった。

「……すみません」

 桑子は申し訳なさそうに謝る。

「痛くありませんか?」

 良子が尋ねると、藤子は少しだけ首を振った。

「頭巾被って良いよ。……まあそういう訳で、かなりの教育受けてるのに酷い火傷跡と声が出ないから、って理由で三〇両って格安で買えたから買ったの。待望の、大名とか幕府とかと手紙のやりとりが出来る人材だよ。ついでに蘭語の心得もあるんだってさ」

「「おー」」

 桑子と良子はパチパチと手を叩いた。

「花子さん困ってましたからねえ」

「そうなんだよ桑子さん。帆立屋の内側しかやらせてない今でも花子さん仕事に溺れかけてるし。私もお偉いさん方とのやり取りは分かんないから、藤子さんに任せようかな、って」

「なるほど」

「うん? 花魁教育受けてたなら、字が綺麗だったりします?」

 良子が尋ねると、藤子は頷いた。

「なら養鶏部門の私含む何人かに書き方教えて欲しいです。私達、元が漁民と農民なんで字が汚くて。報告書が後から読めなかったりしてたんですよ」

 任せて、と言わんばかりに藤子は胸元で拳を握った。




「ところで、カピタンとの面会はどうだったんですか?」

 ここ夏泊工房の案内に良子と藤子は出かけ。桑子と私は紡績工場の工場長の書類選考をしながら雑談に興じていた。

「品質にもよるけど、生糸を買ってやる、って明言されたよ。仮の契約書も書いてもらったし、大勝利だね」

「確かにそれは大勝利ですね」

「うん。生糸の品質もかなり上がってきてるし。来年からはカピタンに売れそうだね」

「その割には嬉しくなさそうですね」

 桑子の指摘は正しかった。

「うん。……黒船の艦隊が今度は横浜沖に来てね。幕府も江戸も大騒ぎしてたから、たぶんメリケンに開国することになりそうなんだよ。そしたら生糸も干貝も相場が変動するだろうし、頭が痛いよ」

「噂は聞いてました。とうとう開国ですか」

「うん。それを見越してだろうね。開港予定の函館で生糸を受け取れないか、ってカピタンに言われてさあ」

「函館が開港されるんですか?」

「分かんないけど、そうなるんじゃないかなあ?」


 未来知識がこの後の安政五か国条約で開港するのは、函館・長崎・神奈川・新潟・兵庫だ、と訴えている。本州の北の端の方に位置する津軽から関係するのは、函館・神奈川・新潟ぐらいでほぼ函館だけだろう。

 とすると函館に滞在する欧米商人向けに何か売るべき? ……若鶏と干し桑の実で十分な気がするけど、考えておかないと。


「で、会談を監視してたらしい幕府の役人が怒鳴り込んできて。あと少しで牢獄に入れられるところだったよ」

「うわあ。大変でしたねえ」

「全くだよ。まあ函館での取引については有耶無耶に出来たから良いけどね」

 有耶無耶に出来た、ということは別に取引しても構わない、ということだ。大々的にやらなければ、幕府の役人も取り締まらないだろうし。

 その裏に気付いたのか、桑子は言った。

「函館なら、大きい方の漁船で行けますね」

「だねえ。商売になるようなら用意しようかな?」

「その時にならないと分かりませんが、準備だけはしておいた方が良いのでは?」

「だねえ。造船所に唾付けとこうかな?」

「ホタテ養殖場でも船は使いますからね。良いと思います」

 桑子との話し合いは熱を帯び、本格的なものになっていった。

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