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安政三年初夏。
弘前藩が江戸に持っていった反本丸は好評だったらしい。好評過ぎて余計なモノが付いてきた程だ。
「千代子です」
弘前城に呼び出されたら、そう名乗る女性を雇えとパワハラを受けた。
「どうも、帆立屋栄子です」
弘前藩の家老大道寺順正に連れられてやって来た千代子は、近江彦根藩主であり大老でもある井伊直弼の家臣の傍系出身だという。
「ちょーっと大道寺さんと話があるから、千代子さんは待っててね?」
「分かりました」
ということで、少し離れてパワハラしてきた順正と話し合い。
「で、どうして彼女を雇えと?」
「お前が反本丸を作ったからだ」
頭が痛そうな順正曰く。
幕府公認で牛の屠殺・加工を許されているのは近江彦根藩のみ。なのにエタ階級の人を雇ってそれを行うという、トンチみたいな方法でその特権に抜け穴を作られた近江彦根藩藩主井伊直弼は激怒。
しかし弘前藩主津軽順承はこう譲らなかった。
『欧米人は牛や豚の肉を好むと言う。ならばそれを売り付け、その金で西洋の技術を購入し対抗出来る力を付けよう、ということが我々の意図である』
攘夷とも開国とも取れる発言に、多くの幕臣は混乱したが井伊直弼は違った。
『それは尤もな意見だが、牛の屠殺を公に行って良いのは我が彦根藩のみである。それに鞍や鐙の材料となる牛の革を勝手に作るのは、幕府に叛意があるのではないか?』
それに順承は答える。
『牛の革の作り方は分からぬので、腐らせて肥料にしておる。叛意など抱く訳がない』
この時、微妙な空気が流れたという。皮の加工方法が分からずに腐らせてしまったのは事実だけどさあ、幕府の中枢でバラさないでよ。
話し合いは長々と続き、結論としてはこうなった。
・主に函館の異人居留地へ牛肉を供給するため、弘前藩に牛の屠殺と加工を許す。
・ただし無駄が出るのはもったいないので、彦根藩から牛の専門家を派遣する。
・屠殺した牛の革の半分は冥加として幕府に納める。
彦根藩と弘前藩の裏の協定として。
・帆立屋を御用商人として彦根藩に出店させる。
・帆立屋は養蚕と養鶏を彦根藩にて行う。
・帆立屋は琵琶湖を使った新たな産業を考える。
これらのことが決められ。千代子はそんな彦根藩からの人員のとりまとめ役だという。何でも、薙刀と短刀の達人で旦那を尻に敷いているらしい。そこは牛の専門家じゃないの?
千代子に向き直り、話をする。
「……大体の話は聞きました。牛の畜産については手探りだったので助かります」
「ええ。私はともかく共に来た人達は助けになると思います」
その言い方に疑問を抱く。
「そうですか。では千代子さんは何が出来ますか?」
「私は、こちらに派遣された人員の監視役ですので」
「そんな意識で働かれては困ります」
「大丈夫です。与えられた仕事はしますので」
「ちゃんと働いてくださいよ?」
「それはもちろん」
ということで。帆立屋は彦根藩に拡大。また彦根藩から牛の畜産の専門家がやって来た。
彦根藩の方では、とりあえず指定された場所に桑畑を作らせつつ、琵琶湖すぐ側の村と契約してホンモロコ養殖を、とりあえず研究レベルで行うことにする。
ホンモロコは深めの田んぼ程度の池で育つし、餌は大豆絞りカスと米ぬか、そして池で勝手に増えるミジンコを使える。
また水菜等の野菜の水耕栽培と合わせれば水質の悪化も防ぐことが出来る。ただその野菜が売れるレベルで育つかは謎。駄目でも自家消費出来るだろうから気にしない。
前世で友人が家庭用ホンモロコ養殖機を買った騒動がここで生きるとは。
で、彦根藩から帆立屋に入社したうち一〇人は本土の牛畜産部門に、一人とその家族(妻と息子一人娘二人)はマシュケ開拓地に放り込んだ。
本土の乳牛用雌牛だけで二〇頭、種牛が四頭、去勢雄牛が二頭と増えてきており、人員を増やす必要があったので助かった。
また、カピタンから習得した種痘も彼らにやらせる。
蝦夷地の方ではアイヌが積極的に受けているからか、和人の種痘も順調なんだけれど、本土の方では『牛になる!』って迷信のせいであんまり進んでいない。それを彼らにやらせるのは、ちょっとだけ嫌がらせ込みではあるけれど。彼らは『大事を任された!』と気合いを入れていたので良しとする。
帆立屋が安心して牛の畜産に取りかかれるようになった裏(表?)で。七月二一日付で、下田に駐日本アメリカ大使のタウンゼント・ハリスが着任した。
とりあえず大きな問題となっている、金貨・銀貨の交換比率について話し合っているようだ。
この通貨問題について、反本丸騒動で許可を貰えたことで大手を振って出店した函館支店では、既に対策を取っていた。
それが『ドル、ポンド、ギルダー、ルーブルでの取引』である。アメリカ、イギリス、オランダ、ロシアの貨幣での取引を行う訳だ。
それ幕府が禁止してないか? という疑問は尤もだ。だけれどそこは考えてある。
建前としては、函館支店はカピタンが経営している形だ。つまりオランダ人が居留地で欧米人相手に商売している形になる。
そして帆立屋はカピタン(函館支店)の要請した商品を納品して、銅貨もしくは金貨で纏めて支払いして貰う。
窓口となるオランダ商人に多少の手間賃を支払う必要はあるけれど、これによって帆立屋から欧米人に流出する金を抑えることが出来る。
また、弘前『藩』の商品の函館での販売代行も引き受けたので、弘前藩からの金流出も防げる。
またもやトンチだなあと、帆立屋上層部は苦笑していたり。




