ジークヴァルドの暗躍④
「どうした? そんな難しい顔して」
労わりを乗せた落ち着いた声に顔を上げると、スヴァンテ先輩が目の前に立っていた。
「悩み事か?」
「あ、いや……」
「仕事に関係することか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
答えに窮する俺を見て、スヴァンテ先輩は心なしか表情を緩める。
「珍しいな。お前がそんな反応するなんて」
「そうですか……?」
強面の先輩は、愛想がなくて人使いは荒いけど実は面倒見がいい。そのことに薄っすら気づいていた俺は、思い切ってスヴァンテ先輩に相談してみようと思い立つ。
「まあ、確かにな……」
フレドリカ妃殿下にまつわる根も葉もない噂がはびこる現状の不可解さを訴えると、スヴァンテ先輩は渋い顔をしてうんうんと頷いた。
「大半の人間は、半信半疑といったところだろうがな。それでも、フレドリカ妃殿下に関する陰湿な噂がなくならないのは事実だ」
「これまで、こういう状況が問題にはならなかったのですか?」
「いや。王城の職員全体に対して、何度か注意喚起を促すような通達はあったよ。でもはっきり言って、あまり効果はなかったんだ。この国の文官の多くは、ローダム公国に対して複雑な感情を抱いているからな。みんな、どこかで鬱憤を晴らしたい気持ちがあるんだろう」
「根が深いですね……」
「そうだな。戦争とか武力衝突とかのわかりやすい対立がなくても、国同士の思惑やら利害関係やらがぶつかって、それが長い間続けばぎくしゃくとした関係になるのは仕方ないさ」
そう言いながらも、先輩の声にはどこかやりきれなさが滲む。
「どうにかならないんでしょうか……?」
「うーん……」
「俺、噂の発信源を特定したくてあちこち話を聞いて回ったんです。でもいろんな噂が飛び交っているせいか、どこから聞いた話なのか誰も覚えてないような状態になっていて」
「だろうな。妃殿下が輿入れしてきてもう一年以上たつけど、その前からいろいろと噂になっていたしな」
「そうなんですか?」
「ああ。どこの誰が仕入れてきた情報なのか、妙に具体的で――」
「なんだなんだ? やばい密談でもしてんのか?」
強張った顔を突き合わせていた俺たちとは対照的に、笑顔のイェスタ先輩が軽い調子で割り込んでくる。
「面白い話なら、俺も交ぜろよ」
「残念ながら、楽しい話じゃないぞ」
「じゃあ、やばい話か?」
「フレドリカ妃殿下のことだよ」
スヴァンテ先輩が答えると、イェスタ先輩はちょっと興味深そうな顔つきになって身を乗り出す。
「なんだ? またやらかしたのか?」
「いや、そうじゃない。どうして妃殿下についての間違った情報が、ここまで広まってるのかって話だ」
「間違った情報……?」
「妃殿下は、噂されているような悪辣な人じゃないと思うんです。妃殿下の補佐役をしている俺の婚約者は噂を真っ向から否定しているし、噂通りの性悪な人間だったらヴィラント殿下が気づかないはずありませんし」
俺の説明に、イェスタ先輩は一瞬つまらなそうな顔をした。
でもすぐに鼻で笑って、勝ち誇ったように話し出す。
「どうせ、ルイーズ嬢やヴィラント殿下の前では猫を被って本性を隠してるんじゃないか? それくらいのこと、ローダムの人間ならやりかねないだろ」
「いや、でも……」
「知ってるか? フレドリカ妃殿下はローダム公国で『忌み子』とされていたって」
「……『忌み子』……?」
突然投げ込まれた衝撃的なパワーワードに、俺もスヴァンテ先輩も動揺を隠せない。
「なんだよ、それ……?」
「誰かが言ってたんだけどさ。妃殿下が生まれた夜、空には赤い月が出ていたらしいんだ。ローダム公国では、赤い月の下に生まれた子どもは不吉な『忌み子』と言われてるんだってさ」
「え……」
「不吉な運命の下に生まれた公女は、その言い伝えの通りまわりの人間に害をなす忌まわしき存在になったってことだろう? ローダムの人間なんて信用できないし、フレドリカ妃殿下だって噂の通り性格のねじ曲がった下劣な人間なんだよ」
◆・◆・◆
それから、数日後。
俺は王城の一室で、少し改まった正装をしていた。
「やあやあ! よく来てくれたね」
久しぶりのヴィラント殿下が、満面の笑みを見せる。
その横に立つのは、件の王子妃、フレドリカ妃殿下である。確かに、ルイーズの言う通り小柄で華奢で、可愛らしいと言えば可愛らしい。
「本日は、私のためにありがとうございます」
そう言ってうれしそうに微笑むルイーズは、俺の隣で黒い刺繍の施されたシンプルな翡翠色のドレスを纏っている。第二王子の補佐室がルイーズのためにウェルカムパーティーを開いてくれることになり、すぐさま俺が用意して贈ったものだ。
箱を開けた瞬間、たまたま一緒にいた伯母上が「ジークの独占欲が炸裂しすぎてて怖いんだけど」とつぶやいたのは聞こえないふりをしたが。
それにしても、俺の色だけを纏うルイーズの神々しい美しさは筆舌に尽くし難く、世界中に自慢したい反面誰にも見られないよう閉じ込めてしまいたい衝動にも駆られる。なんかやばいな、俺。ルイーズが可愛すぎて好きすぎて、もう仕方がないんだが。
ウェルカムパーティーは婚約者や配偶者を伴って参加してもいいということになり、側近の人たち(ルイーズが言うところの『側近ズ』)もそれぞれのパートナーとともににこやかな笑顔を振りまいている。
全体的に、とても和やかというかアットホームというか、くつろげる雰囲気で俺としてはだいぶ戸惑ってしまう。宰相補佐室のピリピリした雰囲気とは真逆すぎないか? 職場環境って、こんなにも違うもの? ちょっと複雑な気分だ。
パーティーの間、俺は密かに、それとなくフレドリカ妃殿下を観察し続けた。
もちろんルイーズの言うことは全面的に信じていたし、尻尾をつかもうとか化けの皮を剥がそうとか、そういう意図があったわけではない。
そうしてヴィラント殿下とフレドリカ妃殿下が側近ズと少し離れた頃合いを見計らい、俺はルイーズを伴いつつすっと近づいた。
「妃殿下」
呼ばれたフレドリカ妃殿下は、俺の顔を見てにっこりと微笑む。
「あら、何かしら?」
「恐れながら、失礼を承知のうえでお伺いしたいことが二つほどございます」
パーティーの楽しげな雰囲気にそぐわない無機質な声に、ヴィラント殿下が警戒心を露わにする。
それを目で制し、妃殿下は静かに話の続きを促す。
俺は極力感情を押し殺し、努めて冷静に尋ねた。
「……妃殿下は、ご自身にまつわる悪質な噂が王城中に広まっていることを、どのように捉えていらっしゃるのでしょうか?」
驚いたように目を見開く妃殿下。まさか面と向かってそれを尋ねる不躾な人間がいるなんて、思いもしなかったのだろう。
でも次の瞬間、その目に熱のこもった確固たる意志が宿る。
「ラングリッジとローダムの長きに渡る確執を思えば、致し方ないことだと思っています。ローダムがこの国に与えた不信感はそれほどまでに根深いものなのでしょうし、その矛先がわたくしに向いている間は甘んじて受け入れるつもりです。ただ、今すぐにお互いを許し合い、理解し合うのは難しいことだとしても、長い時間をかけて少しずつ歩み寄ることはできると思っています」
「希望はあると?」
「ええ。そのために、私は嫁いできたのですから」
妃殿下の穏やかな笑みに、不動の覚悟が垣間見える。
可愛らしい見た目に反し、想像以上に聡明で肝の据わっている妃殿下に畏敬の念すら覚えてしまう。ルイーズが入れ込むのも、無理はない。
だからこそ、俺はすぐさま二本目の矢を放つ。
「では、もう一つ。ローダム公国には『赤い月の下に生まれた子どもは不吉な忌み子とされる』という言い伝えがあるそうですが、それは本当でしょうか?」




