ジークヴァルドの暗躍①
「ジークにも目立った活躍がほしかった」との声をいただきましたので、番外編を書きました。
お楽しみいただければ幸いです!
「たまには本気を出してみようかと思っただけなんだけどさ」
目の前の婚約者が、ちょっと恥ずかしそうな顔をした。
「まさかこんなことになるとは、思わなくて」
ははは、と軽く笑う婚約者を、まじまじと見つめてしまう。正直言って、二の句が継げない。
ジークが差し出した封書には、こう書かれていた。
『ジークヴァルド・ソルウェイグ侯爵令息殿
貴殿に宰相補佐室勤務を命ずる
以上』
◇・◇・◇
私とジークがこのラングリッジ王国に留学してきて、すでに二年と半年以上が経った。
留学してきてすぐ、私は友だちになったエレノアと一緒に連れ去られるという信じられない事件に巻き込まれた。そこでエレノアのまさかの正体を知ったり、悪党に利用されていた純真無垢な真面目青年アントンたちと協力して逆にその悪党を追い詰めたり、なんだかんだあって予想外に有名になってしまった。
『勇猛果敢な肝っ玉令嬢』なんて、あまりうれしくない二つ名がついたのはこのころである。
その後一緒に留学してきた幼馴染のジークに告白され、元婚約者のオズヴァルド様が会いに来て復縁をせがまれ、またすったもんだとあったけれど、ジークと想いを交わして婚約がすんなり決まってからは比較的穏やかな学園生活を送っていた。
お色気大魔王ことジークには、ひたすら、とことん、もうこれ以上ないくらい、甘やかされ続けた。
もちろん、それは今も続いている。
そして先日、私たちは無事に学園を卒業した。
学園の卒業にあたり、私には二つ、いや、一応三つの選択肢があった。
一つは、この国に残るという選択肢。
第二王子のヴィラント殿下に、「ラングリッジに残って自分の側近かつ婚約者の補佐役を引き受けてほしい」と頼まれたのは、ジークとの婚約が決まってしばらくしてからのこと。
でも同時に、エレノアことグレオメール王国王太女エレオノーラ殿下からも卒業したらグレオメールに来てほしいと請われていた。エレノアが連れ去り事件のことを大々的に宣伝しまくったおかげで、私は彼の国で『救国の乙女』として人気があるらしく。小説やら演劇やらも大ヒット連発中なんだとか。もう、「ひえぇ……」という変な声しか出ない。
それが、第二の選択肢。
三つ目は、母国モルニエ王国に帰るという選択肢である。でもまあ、これに関しては、はっきり言うと最初からあまり気乗りがしなかった。せっかく留学したのだし、すぐに帰ってしまうのはもったいないなあとか、もう少し見聞を広めて経験値を上げてから帰国したいなあとか思っていて。
決して、オズヴァルド様に会いたくないから、というわけではない。
いや、ちょっとはあるか。気まずいといえば気まずい。復縁を突っぱねたあと、さっさとジークと婚約しちゃったし。
ちなみに、オズヴァルド様は王太子の側近として忙しく飛び回っているそうだけれど、いまだに婚約が決まっていないらしい。ソルウェイグ侯爵家としてはすぐにでも嫡男の縁談を調えたいというのに、当の本人がどういうわけか首を縦に振らないんだとか。
オズヴァルド様といえば、パウラ様のその後についてもこの前偶然耳にした。
もともと、オズヴァルド様と出会う前から隣国の貴族令息との婚約が決まっていたという、パウラ様。
私とオズヴァルド様との婚約が解消になった途端、二人の邪な関係も破綻した。それだけでなく、他人の婚約を台無しにしたことが明るみに出て『誰もが憧れる才色兼備なクールビューティー』という評判も地に落ちたらしい。
その後、パウラ様はひっそりと身を隠すように学園生活を送ったという。あれだけみんなの注目を集め、煌びやかなオーラを纏っていたというのに、見る影もない凋落ぶりだったらしい。
しかも、オズヴァルド様とのことが隣国の婚約相手にも知られることになり、結局は破談になってしまったという。
学園を卒業後、改めてパウラ様とオズヴァルド様との婚約話が浮上したり、でもオズヴァルド様のほうが「それはマジで無理」と足蹴にしたことでパウラ様に同情する声が高まったり、いろいろあったそうだけれど、最終的にパウラ様は別の近隣国に嫁いだという話である(オズヴァルド様の婚約がなかなか決まらないのは、こういうごたごたのおかげでまともな令嬢たちに敬遠されているという背景もあるっぽい)。
そんなわけで、母国に帰るという選択肢以外の二つの選択肢を前に、私はずいぶんと迷っていた。
でも私たちの一つ年上であるヴィラント殿下が学園を卒業したあと、状況は一変する。
卒業の直前、ヴィラント殿下が実はローダム公国のフレドリカ公女と婚約していたこと、そして殿下の卒業後まもなく公女が輿入れする予定であることが大々的に発表された。
その降って湧いたようなニュースに、この国の社交界は意外なほど冷ややかだった。いや、予想通りといったほうが、正しいのかもしれない。
そうなることが懸念されたからこそ、公女との婚約は長いこと伏せられていたのだ。
それほどまでに、ローダム公国との関係は冷え切っていたらしい。
もともと、ラングリッジとローダム公国は表面上の友好関係を築いていながらも、水面下ではさまざまな小競り合いを繰り返していたという。多くは、外交交渉とか資源問題とかに関して、ローダム公国がラングリッジ側に食ってかかるとか挑発してくるとかそういうことのようだけれど。要するに、ラングリッジにとってローダム公国とは、「なんか知らんけど妙に突っかかってくる面倒くさい相手」なのである。
そして先代の大公時代、その敵対関係は一層深刻化した。しかも先代大公は、ラングリッジだけではなく身の程知らずにも大陸の覇者ベレガノア帝国にまで牙をむこうとしたらしい。その結果、あっけなく失脚してしまったのである。
次の大公の座を継いだのは先代大公の嫡男、フレドリカ公女の兄君にあたる方だった。
その現大公が両国の関係修復を模索する中で、ヴィラント殿下とフレドリカ公女の婚約が決まったらしい。
学園時代は『チャラ王子』としてその名を馳せていたヴィラント殿下だけど、実は余計な縁談を阻止するために自ら噂を流してそれっぽく演技していたらしく、フレドリカ公女もそれを承知していたというから驚きである。二人は頻繁に手紙のやり取りをしながら関係を深めてきたそうで、本当はびっくりするほど仲睦まじいんだとか。
なぜそんなことを知っているのかというと、ヴィラント殿下がわざわざ教えに来るからである。
「見て見て。これ、フリッカがくれたハンカチなんだけど、プロ並みの刺繍じゃない? 僕のために寝る間も惜しんで作ってくれたんだって」
第二王子って、そんなに暇なの? というくらい、頻繁に現れては無駄に長い惚気話を披露するヴィラント殿下。なんなんだ。そして、しれっと妻を愛称呼びである。いや、いいんだけど。
「でも王城の人間たちは、なんかみんなフリッカに冷たいんだよね」
そう言って、ヴィラント殿下はこれ見よがしにため息をつく。愛する人を妃として迎え、ようやく一緒に過ごせるようになったのに、フレドリカ妃殿下を取り巻く状況は思った以上に厳しいらしい。
「特に文官たちはさ、これまでローダムにあれこれ難癖をつけられたり煮え湯を飲まされたりしてきたからさ。フリッカに対しても、いい印象が持てないみたいで」
もちろん、両国の関係が悪化したのはフレデリカ妃殿下のせいではない。むしろ妃殿下は、関係改善のために遠路はるばる国境を超えて、嫁いできてくれた人である。文官にしても、女官や侍女にしても、そんな相手にあからさまな悪意をぶつけることはさすがにしない。
ただ、どことなく、なんとなく、やり取りに温度を感じない。物言いは丁寧だけれども、はっきりとした距離を感じてしまう。
そんなよそよそしい空気の中で、フレドリカ妃殿下は日に日に生来の朗らかさを失っているという。
「なんとかしてあげたいんだけど、僕一人の力ではどうにもならなくてね。フリッカは気丈に『大丈夫』って言うんだけどさ……」
そんな話を、数か月間に渡って事あるごとに聞かされてみてほしい。
なんとかしてあげたい!! と思ってしまうのは、人情というものじゃない!?
「それがヴィラント殿下の策略だったと思うけどね」
冷静なジークは苦笑していたけれども。
「まあ、困っている人が目の前にいたら、放っておけないわよね」
「それがルイーズ嬢のルイーズ嬢たる所以ですから」
エレノアとレンナルト様も、私の気持ちを尊重してくれた。
というわけで、最終的に、私は卒業後もこのラングリッジ王国に残ることにしたのだ。
「あ、でもラングリッジに飽きたら、いつでもグレオメールに来てね。待ってるから」
エレノアはちゃっかりそう言い残して、レンナルト様とともに母国へと帰っていった。
卒業と同時に、私とジークはラングリッジの文官試験を受けた。ヴィラント殿下に声をかけられているとはいえ、試験を受けないのはフェアじゃないと思ったからだ。
「俺は殿下に声をかけられてるわけじゃないから、ちゃんと受からないと」
そう言って、私と一緒に試験を受けたジークは――――
なんと、文官試験史上最高得点を叩き出したのである!!
「いや、だってさ、ルイーズがヴィラント殿下やフレドリカ妃殿下の補佐役になるなら、俺もそれに釣り合うくらいの立場にならないとと思ってさ」
にしても、文官試験史上最高得点って何!?
『知の国』と呼ばれるラングリッジ出身の名だたる猛者たちを押し退けて、頂点に躍り出るなんて!!
もちろん、ジークの秘めた実力というか、本気を出したら誰にも負けない才学非凡な力を隠しているらしいことは知っていた。
でもまさか、ここまでとは思わないじゃない……!!
幼馴染の人並外れた桁違いの優秀な頭脳にただただ驚愕していると、ジークの伯母で学園の教師でもある(そして時々宰相の特別臨時補佐官にもなる)マイラ様がこう言った。
「あら、私は昔から、ジークのほうがオズヴァルドよりも優秀だと思っていたわよ?」
自信満々に、ドヤ顔を決めるマイラ様。
「確かに、オズヴァルドは小さい頃から賢くて有能だなんだともてはやされていたし、社交的でなんでもそつなくこなすタイプだったけどね。でもあの子、いざというときの状況認識力に欠けるのよね」
「あー……」
それについてはもう。何も言えないですね。
「ジークはずっと、自分の実力を隠していたんじゃない? 本気を出せば、オズヴァルドが霞んでしまうのは目に見えていたもの」
「そんなつもりはなかったけど、でもなんとなく、がんばろうとか本気を出そうとか思えなかったんだよね。がんばったって、見てほしい人は俺を見てくれないってわかってたからさ」
不貞腐れたようなジークの視線が、痛い。ごめん、本当にそうだった。あの頃の私は、オズヴァルド様しか見ていなかったから。
「私はね、モルニエにいてもジークは自分の実力を発揮できずにくすぶったまま生きていくんじゃないかって、ずっと心配していたの。だからラングリッジに留学しない? って誘っていたのよ」
「え、あれってもしかして、俺にしか言ってない? 兄上にも言ってたんじゃないの?」
「言ってないわよ」
ふふんとほくそ笑むマイラ様。きっとマイラ様にとって、こんな未来はとっくにお見通しだったに違いない。
そうして、何度も言うけど文官試験史上最高得点を叩き出したジークの配属先というのが、あの超エリートコースと言われる宰相補佐室だったのだ。




