25 ずっと一緒
「ヴィラント殿下、抜け駆けはおやめください」
王女としての威厳と風格を瞬時に纏ったエレノアは、悠然と言葉を続ける。
「ルイーズとジークヴァルド様は、学園を卒業後我がグレオメール王国にお連れする予定ですのよ」
思いがけないその言葉に、私とジークは思わず顔を見合わせる。
……そんな話、一度も聞いたことないんだけど……?
「ほう、グレオメールに?」
「当然ですわ。ルイーズは王太女である私の窮地を救ってくれた大恩人というだけでなく、裏社会にはびこる悪党を追い詰め残虐非道と恐れられていた第一王子の排除に貢献した、いわば英雄なのです。なんとしてでも我が国にお迎えし、叙爵すべきとの声もありますのよ?」
得意げなエレノアの表情に、私とジークは無言で目をぱちくりさせる。
いやいや、ちょっと待って。初耳なんだけど。なんだそれ。そういう大事なことは、ぜひとも前もって言ってほしいものである。びっくりするじゃないの。
「いまやグレオメールでは、ルイーズ・アルダ伯爵令嬢の名を知らぬ者などおりません。ルイーズをモデルにした『救国の乙女は諦めない』なる小説が出版されて大流行しておりますし、近々舞台化することも決まっておりまして」
「へっ……!?」
つい声を上げると、エレノアは私を見返しながらゆったりと微笑む。
「そういえば、話してなかったわね?」
「そういうことは真っ先に言ってよ……!」
「バタバタしていたからすっかり忘れていたのよ。でも大丈夫。小説はだいぶ面白いし、演劇も私が監修することになっているから」
「問題はそこじゃなくない……!?」
あとでエレノアから聞いた話だけど、グレオメールに帰国後、エレノアは連れ去り事件に関して私の勇気ある行動を褒めたたえ、どんなふうに活躍したのかを事細かく力説というか宣伝して歩いたそうである。
その話を聞きつけたグレオメールの人気作家が「小説にしたい」とか言い出して、エレノアはあっさり許可しただけでなく、自ら広告塔として小説の売り上げ拡大に協力したんだとか。え、王女って意外に暇なの?
「そういうわけですから、ルイーズとジークヴァルド様が学園卒業後もラングリッジに残るなどということはありません。諦めてください」
「いやいや、ちょっと待ってよ。こっちにだって交渉の余地はあるだろう?」
「いいえ、ございません。グレオメールのすべての人間が『救国の乙女』本人の登場を待ちわびているのですよ? 殿下はグレオメール王国を敵に回すおつもりなのですか?」
「そんな、大袈裟すぎない? うちだって『タフレディ』の力を借りたいんだから、ここは譲ってくれても――」
「嫌です」
なぜか当事者である私を放ったらかしにして、押し問答を続ける二人。唖然とした顔で見入ってしまうのも、仕方がないと思う。
後日、レンナルト様が苦笑しながらこっそり教えてくれたところによると、エレノアの話は驚くことにすべて事実らしい。私とジークがグレオメールに来てくれるなら、なんと侯爵の地位までもが用意されているんだとか。どうなってんの? グレオメール。
「小説のほうも多少脚色はされているようですが、ほぼ事実そのままということですよ。個人的にはルイーズ嬢がエルになりすまし、尊大な王女を熱演した辺りが大変興味深かったですね」
あれが文字になって数多くの人たちに読まれているなんて、なんだか急に頭痛がしてきた。ちょっと想像したくない。調子に乗るんじゃなかったと、後悔してももう遅い。
ただ、『勇猛果敢なタフレディ』よりは『救国の乙女』のほうが、格好いいとは思った。
◇・◇・◇
夕食後。
いつものようにサロンでまったりとお茶でも飲もうと思ったら、ジークの距離が近い。
近いなんてものじゃない。ありのままを描写するなら、がっちりと抱き寄せられている。
「先に言っておくけど」
ジークは真剣そのものといった目をして、私の顔を覗き込む。
「ルイーズがどこで何をすることになっても、俺はずっと一緒だから。絶対に離れないから」
じっと私の目を見つめる翡翠色の瞳に、甘やかな熱がよぎる。
「ラングリッジに残るにしてもグレオメールに行くにしても、俺はルイーズを手放さないよ」
そう言ってジークは私の手を取り、指先にちゅ、と口づける。
「ちょ、ジ、ジーク……!」
「なに?」
「いきなりはやめてよ……!」
「なんで?」
「は、恥ずかしいから……」
つい目を逸らした私の耳元に顔を近づけて、ジークはそっとささやく。
「もう婚約してるんだし、いいでしょ?」
こ、声がやばすぎるのよ……!
唐突にお色気大魔王を召喚するの、ほんとやめてほしい……!!
「ルイーズって、意外に恥ずかしがり屋だよね?」
「え?」
ジークが柔らかく微笑んだのを見返して、私はふと考える。
そういえば、オズヴァルド様を好きだった頃は「恥ずかしい」と思う瞬間なんてほとんどなかった気がする。
オズヴァルド様は私がどれだけ好き好きと叫んでも、余裕のある笑みを浮かべるばかりで艶っぽく迫ってくることなどなかったから。
そもそも私だって、自分の恋心をアピールすることにさほど恥ずかしさを感じていなかった。
臆面もなく、堂々と、これでもかというほど、あり余る恋情を一方的に押しつけていた。
でも今思えば、あれって本当に、『恋』と呼べる代物だったのだろうか?
だって今、私はジークに見つめられただけで一気に心臓が暴れ出して、収拾がつかなくなるんだもの。恥ずかしいし、どうしていいかわからない。「好きだよ」と言われて、「私も」と言いたいのにドキドキしすぎて声が出ない。
「好き」の重さが全然違う。
多分、ジークに優しくされて、大事にされて、嫌と言うほど甘やかされて、私は気づいてしまったのだ。心から愛されるということが、どういうことなのか。そして心から誰かを愛するということが、どういうことなのか。
あの頃の私は、オズヴァルド様への恋情をこれ見よがしに主張することばかり考えていて、本当はオズヴァルド様のことなんて何一つ考えていなかったように思う。オズヴァルド様の事情とか意見とか感情とかを、思いやる気持ちに欠けていた。オズヴァルド様への恋心は、ただただ不躾で、軽率で、独りよがりなものだった。
でも今は、ジークのことが何より大事だし、ジークを気持ちを優先したい。ジークを悲しませたくないし、不安にさせたくない。ジークが何を思い、どんなふうに考えているのかを知りたいし、ジークの望みは全部叶えてあげたい。ジークがいつも笑顔でいられるように、心を尽くしたい。
誰かを想うということは、そういうことなんじゃないかという気がしている。
「ルイーズ?」
どこか不貞腐れたような渋い顔をして、ジークが尋ねる。
「今、何考えてた?」
「え?」
「せっかく二人きりなのにさ。俺以外のこと考えてたでしょ」
「そんなこと――」
「もう俺以外のこと考えるの禁止」
「え」
不満げな声で言ったと思ったら、ずい、と顔を近づけるジーク。
「……ルイーズの頭の中が、俺のことだけでいっぱいになればいいのに」
真面目な顔でそんなことをつぶやくジークに、またしてもどぎまぎしてしまう。もう。この人は、いったい一日に何回私をきゅんとさせれば気が済むの……!?
「……心配しなくても、とっくにジークのことだけで頭がいっぱいなんだけど……」
「ほんとに?」
「……ほんとに」
「ふうん」
全然納得していないというような顔つきで私を見下ろすジークの視線が、急に蠱惑的な色気を纏う。
「じゃあ、キスしてよ」
「はい!?」
「言葉だけじゃ足りないから」
「そ、それは……」
「早く」
「いや、無理だってば」
「なんで」
「だ、だって、いくらなんでもそういうのは、難易度が高すぎだと……」
「でも、俺がいきなりそういうことするのはダメなんだろ?」
「あ……」
加速度的に熱を帯びる頬を持て余し、きょろきょろと挙動不審になってしまう。
しどろもどろになりながら「あー……」とか「うぅ」とか変なうめき声をもらしていたら、不意に唇が優しく塞がれる。
「え……?」
「ごめん。ルイーズが可愛すぎて、つい」
「ちょっ……」
「もう一回していい?」
「えっ!?」
「だって、もっとキスしたい」
「なっ!?」
「いきなりじゃなきゃ、いいんでしょ?」
そう言って悪戯っぽく微笑むお色気大魔王に、私なんかが到底敵うはずもなく。
大好きな幼馴染の貪るような口づけに、息も絶え絶えになったのは言うまでもない。
無事に完結です!
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました!




