23 褒めてる?
「……なんてことがあったのよ」
一部始終を報告すると、向かい側に座るグレオメール王国の第一王女は楽しげにくすくすと笑い出す。
「あなたの元婚約者、まだあなたが自分のことを好きでいてくれていると思い込んでいたのでしょうね」
ちょっと呆れたような顔をしながら、エレノアはゆったりとティーカップを口に運ぶ。
オズヴァルド様たちモルニエ王国の一行が次の外遊先に向けて出発したのを見計らったかのように、エレノアは戻ってきた。
今度はグレオメール王国の王太女、エレオノーラ殿下としてである。
「でもあなたには、これまで通りエレノアと呼んでほしいのよ」
次期女王の風格を携えて戻ってきた友だちは、まぶしいほどの笑顔でそう言った。
「ルイーズは私にとって、一番で唯一の親友だもの」
窮地をともに乗り切った相手にそこまで言われたら、私だって嫌な気はしない。というか、とてもうれしい。
ラングリッジに改めて留学してきたエレノアとレンナルト様は、グレオメール王国が用意した宮殿のような屋敷に住むことになった。ラングリッジ王都の一等地に何やら豪奢な建物が建ったなあと思っていたら、まさかの親友宅だったとは。
さすがは次期女王。いろいろと規格外である。
その大邸宅に招待された私は、エレノアが一時帰国していた間のことを面白おかしく報告していたわけだけど。
エレノアったら、自分の恋がうまくいって順風満帆だからって、私の恋バナまで要求してくるんだもの。
仕方なく、私は「元婚約者が突撃してきた件」について話す羽目になったのだ。
「婚約が解消されてからもうだいぶ経つのでしょう? それなのにいまだにそんな勘違いをしていたなんて、ちょっとおめでたい人なのかしら」
「うーん、私もそんな人だとは思ってなかったんだけど。というか、何度も言うけどそこまで好かれてるっていう自覚がなかったのよね」
思い返してみると、私はオズヴァルド様に「好き」という言葉を言われたことがなかったような気がする。
私のほうはオズヴァルド様が大好きで、あり余る恋情をこれでもかと主張しては無駄に追いかけ回していたけど。そのたびに「ルイーズはしょうがないなあ」とか「ほんとに可愛いよね」とか言われていた記憶はある。家族に向けるような穏やかな笑顔で。熱情の欠片もない温かなまなざしで。
だから、本当はちゃんと愛されていただなんて、今でもちょっと信じられない。
あの頃は、たとえオズヴァルド様に愛されていなくても私の強すぎる愛ですべてをカバーすればいい、なんて思っていたのだ。
でも、カバーしきれないものもあると知った。
そしてオズヴァルド様と再会し、話しているうちに気づいてしまった。
オズヴァルド様の語る「愛」とジークの示す「愛」には、決定的な違いがあるということに。
誰かを愛するということの、その本質的な意味に。
「でも元婚約者が乗り込んできたおかげで、あなたはようやく自分の気持ちがわかったわけでしょう?」
少し揶揄うような目つきをしながら、エレノアがズバッと切り込んでくる。これ、いつぞやのお返しかしら? 痛いところを突かれて、ちょっと返す言葉がないんだけど。
あのとき。
隣で不安げに目を伏せるジークを、見ていられなかった。こんな顔をさせたくない、傷つけたくないし安心させてあげたい、いつも私の隣でうれしそうに笑っていてほしい。そう思う自分に気づいたら、何かがすとんと腑に落ちたのだ。
そして、やっとわかった。
だから、オズヴァルド様にはっきりと告げた。
「ほかにお慕いする方がおります」と。
私の気持ちがすでに自分にはないと知り、オズヴァルド様はがっくりと項垂れた。
表情からはすべての感情がごっそりと抜け落ちて、もともとは精悍な顔つきのはずなのに見る影もない。
なんだかすごく後ろめたい気持ちにはなるけれど、残念ながらどうにもできない。
完全に打ちひしがれたオズヴァルド様は、そのまま意味のある言葉を発することもできずによろよろとした足取りで帰っていった。
応接室に残された私とジークが口を開いたのは、ほぼ同時だった。
「ジーク、あのね」
「ほかに好きな人って――」
私が「待って。先に言わせて」と言うと、ジークは眉根を寄せて押し黙る。
少しだけ前のめりになって、ジークの目をじっと見つめて、私は微笑んだ。
「ジークが好き」
「え?」
「すげぇ好き。めっちゃ好き。大好き」
初めてジークに告白されたときのセリフをそっくりそのまま繰り返すと、ジークは一瞬何を言われたのかわからなかったのか呆けたような顔をして、それから「えっ!?」と素っ頓狂な声で叫ぶ。なんか可愛い。
「ほ、ほんとに?」
「……ごめんね。たくさん待たせちゃって」
「いや、でも、もう誰のことも好きにならないって……」
「そう思っていたのは事実よ。でもその気持ちが強すぎて、とっくにジークを好きになっていたことに気づかなかったの。馬鹿みたいでしょ。ほんとにごめんなさい」
そこまで言ったらなんだかわからないけれど、急に涙があふれてくる。
ずっと大事なことに気づかずジークを待たせてしまった不甲斐なさや申し訳なさ、また誰か好きになれたうれしさと同時に襲われる言いようのない不安、その他もろもろの言葉にできない感情がないまぜになって、涙が止まらない。
「ルイーズ……」
ジークの腕が当たり前のように伸びてきて、私をすっぽりと包んでしまう。
「謝ることなんてないよ」
ジークは私の頬に優しく触れて、涙に濡れたまぶたをそっと拭う。
「ルイーズがやっと俺のことを好きになってくれたんだから。うれしいしかない」
「……うん……」
「これからはこうやって、ルイーズの涙を拭いてやることもできるし」
言いながら近づいてきたジークの顔が切なげに微笑んだかと思うと、涙の滲む私のまぶたにちゅ、と口づける。
「え、ちょっ……!!」
「こういうこともしていいってことだろ?」
「それはそう、だけど……!」
「ルイーズ、赤くなってる。可愛い」
「い、いきなりお色気大魔王に変身するのやめてよ!!」
「お色気大魔王? 何それ。褒めてる?」
「褒めてない!!」
そうだった。忘れてた。この人、唐突に色気だだ漏れ男になるんだった。やばいやばい。油断できない……!!
それから私たちは、すぐさま双方の実家に婚約したい旨の書簡を送った。両家とも驚いたようではあったけれど、概ね好意的に受け入れてくれたらしい。正式な婚約の手続きはモルニエ王国に帰国してからということになったものの、送られてきた書類で仮婚約の手続きは済ませてある。
「余計な横槍が入る前に、ほんとは全部済ませたいんだけどな」
ジークはいまだに、オズヴァルド様のことを警戒しているらしい。でもオズヴァルド様だって、あそこまではっきり言われたらさすがに諦めると思うんだけど。そこまで馬鹿じゃないわよ。多分。そうであってほしい。頼む。
「兄上だけじゃないよ」
「え?」
「ルイーズを狙ってるのは兄上だけじゃない。エレノア殿下の事件のあとだって、何人もの令息が言い寄ってきたじゃないか」
「あんなの、ちょっとした気の迷いでしょう? あっという間に全員いなくなったし、みなさんそれぞれ別の令嬢と婚約したって聞いたわよ」
「そりゃそうさ。うるさい羽虫は全部俺が追い払ったんだから」
「……はい?」
「ルイーズは、もうちょっといろいろ自覚したほうがいいと思うよ」
「な、なにを……?」
「昔からすごく可愛かったけど、最近はまわりの生徒が振り返るくらいどんどんきれいになってるんだから。鬱陶しい羽虫を追い払う俺の身にもなってよ」
「それは、いくらなんでも、過大評価が過ぎるというものよ……?」
なんて、言っていたら。
想定外のとんでもない相手に、目をつけられていたのである。
明日は残りの二話を投稿して完結する予定です。
よろしくお願いします……!




