33:王太子の来訪
翌日、私は泣き疲れて昼過ぎ近くに起きた。
あれだけ泣いたので、気持ちの面ではきちんと区切りをつけることが出来た。
ただ、その副産物としてパンパンに腫れあがった自分の瞼に、鏡の前で呆然とする。顔全体もむくんでいる気がした。
これ、冷やせばなんとかなるのかしら? とりあえず、魔法で冷水を生成して、タオルを……。
私が部屋で悪戦苦闘していると、廊下のほうから騒がしい音が聞こえてくる。
「お待ちください! 義姉様はまだ……!」
「おい、入るぞ。ルティナ」
鍵の掛かっていたはずの扉が、バキバキと音を立てて強引に開けられる。
腕力だけで鍵を壊した犯人はアラスター王太子殿下だった。手には壊れたドアノブを握りしめているのに、精悍な顔つきで澄ました表情をしている。
アラスター殿下の後ろには、怒りの表情で彼を睨んでいるスノウがいた。
彼はそのままスタスタと部屋に入ってくると、私の顔を見て眉をひそめた。
「貴様、なんだか顔が太ったか?」
「アラスター殿下は相変わらずノンデリですわね」
魔獣討伐ではとても頼もしいし、王太子としての公務も完璧にこなしていて尊敬出来るのだけれど、女性の扱いが本当に壊滅的な御方だ。
「淑女の部屋に許可なく入ってはいけないと、いつも皆から言われていますでしょう? 開口一番に相手の容姿にダメ出しするのも、とても失礼ですわ。アラスター殿下、ハウスです。応接室で大人しく待っていてください」
「ああ。そうだったな。すまなかった」
私が城に上がったばかりの頃はもっと酷いやらかしをしていたアラスター殿下だけれど、他の婚約者たちと頑張って殿下をしつけたおかげで、少しは改善したのだ。
それでも時たま気を抜くと、こんなふうに配慮のない言動をするけれど。
マデリーンがアラスター殿下に寵愛されてみせるなどと言った時は、本当に訳が分からなかった。
この人が誰か一人の女性を心から愛してしまったら、たぶん相手がノイローゼになると思うわ。とんちんかんな愛情表現を向けられて。
私がアラスター殿下を追い払っていると、スノウが私たちの様子を見て、目を丸くしていた。
そういえばスノウはアラスター殿下に妙な勘違いをしていて、彼が婚約者たちを口説いたり、甘いひと時を過ごしたりしていると思っていたのだったわね。そんな器用なことが出来る御方ではないと、これでようやく分かったでしょう。
そんなことよりも、スノウに腫れた瞼を見られることのほうがよほど恥ずかしい。
アラスター殿下に失礼なことを言われても、なんとも思わないけれど、スノウに『義姉様の顔がむくんでいる』と思われることのほうが、百倍羞恥心を煽られた。
「……す、スノウも出ていってください。着替えたらすぐに応接室へ行きますから……」
「はい。分かりました」
二人を部屋から追い出すと、私は慌ててアンネロッテを呼ぶ。私一人ではこの腫れた瞼を戻せそうになかった。
▽
なんとか瞼を元に戻し、身支度を整えて応接室に入ると。スノウとアラスター殿下が向かい合ってソファーに座っていた。
父も先ほどまでいたらしく、侍女がちょうど一客のティーカップを片付けて、代わりに私の分の紅茶を用意してくれた。
「太った顔が元に戻ったが、化粧がケバくなったな」
「アラスター殿下。淑女に話しかける時は、会話の内容が相手にとって失礼ではないか頭の中で一度精査してから、口に出しましょうね」
「分かった」
たぶんアラスター殿下はまたうっかり忘れて、思ったことをそのまま口に出してしまうでしょうけれど、忠告はしておく。犬のしつけと同じで、根気強さが肝心なのだ。
ふいにスノウが横から手を伸ばして、私の前髪をそっと撫でた。
「義姉様の化粧が濃くなったわけではありませんよ、アラスター王太子殿下。これは目元の赤みが残っているだけです。色っぽくて綺麗ですよ、義姉様」
「まぁ、スノウ……」
甘い雰囲気を漂わせて微笑むスノウに、私の頬はさらに熱を持って赤くなる。
……アラスター殿下はスノウを見習ったほうがいいと思うわ。
「ルティナ、今回はマデリーンが済まなかったな」
「いえ、アラスター殿下が謝罪される必要はありません」
やはり彼女の件でやって来たらしい。
でも、マデリーンとの対決は昨日の出来事だ。王都からエングルフィールド公爵領までは馬車で三日かかるのに、どうしてアラスター殿下が今ここにいるのかしら?
私の疑問を察したアラスター殿下が答える。
……こういうところは相変わらず察しが良くて、尊敬出来る人だ。
「マデリーンが素材の保管庫から『災害級』の魔石を盗み出して城から逃走した、エングルフィールド公爵領のほうに向かったらしいと報告があってから、すぐに追いかけたのだ。マデリーンがルティナを巻き込んで魔力暴走を起こす気だったとは知らなかったが、領地に入る前に捕まえられなかったのは私の落ち度だ。巻き込んで悪かったな」
「そういうことでしたら。謝罪を受け入れますわ。それで、彼女の処罰はどうなりますか?」
「ああ、先ほどエングルフィールド公爵にも伝えたが。通常、高位貴族が犯罪を犯した場合は。魔力量の多さを考慮して、戦闘奴隷として魔獣討伐の前線に送り込むことになっている。だが、マデリーンのような実戦経験もセンスもないような奴を投入したところで、すぐに死んで終わりだ。そこで、マデリーンが発明したという『他人の魔力を奪う魔法』を、本人にかけようと思う。私が彼女の魔力を効率よく使ってやろう」
アラスター殿下はちょっとわくわくした様子で言う。
「それでは、マデリーンは魔力無しになってしまうのですね」
「その後は戒律の厳しい修道院送りになる。平民と違って生活魔法も使えないマデリーンには、地獄のような環境だ」
一緒に過ごして楽しく笑い合った記憶もあるけれど、彼女の発言に心の奥がザラリとしたことのほうが多い。最後には魔力を奪われかけてしまった。
マデリーンは優しい従妹の振りをした敵だった。
彼女がきちんと裁かれて、修道院で罪を反省してくれるといい。
「義姉様、大丈夫ですか……?」
スノウが心配そうに私の肩を抱いた。
心配しないで、と伝えたくて、肩に置かれた彼の手に自分の手を重ねる。
「もう平気ですよ、スノウ。あなたが昨日たくさん私を泣かせてくれたので」
「そうですか。良かった」
スノウと見つめ合っていると、アラスター殿下が再びノンデリ発言をする。
「ルティナの魔力量も戻ったことだ。私の婚約者に戻るといい」
「アラスター王太子殿下!? 何をおっしゃっているのですか!? 義姉様をまた殿下の婚約者にだなんて……っ」
スノウがアラスター殿下に喰ってかかる。
「だいたい、前回のパーティーで僕が『自ら婚約破棄をした相手を、後々ほしがるような真似は致しませんよね?』と殿下にお聞きした時、義姉様の婚姻は我が家の好きにせよとおっしゃっていたではありませんか!!」
「私は、ルティナの魔力がない以上は、と条件づけたはずだが?」
本気でスノウの怒りが分かっていないアラスター殿下が、不思議そうに首を傾げている。
「……王家が義姉様をほしがるのは分かります。魔力量だけじゃなく、義姉様が努力して積み重ねてきた戦闘センスや膨大な知識がオルティエ王国の役に立つことは。でも、僕にはもう耐えられない。愛する人が他の男のものになるのは」
セルリアンブルーの瞳を冷たく光らせて、スノウが宣言する。
「あなたが権力を振り翳して義姉様と婚姻を結ぼうとするのなら、僕も『英雄』となって、あなたから義姉様を奪い返します」
「スノウ……、『英雄』だなんて……」
魔力量は遺伝要素の強いと言われているが、ごくまれに、下位貴族や庶民から突出した魔力量を持つ者が現れることがある。
過去にもそういう者が、国王陛下が討伐を担当するような『伝説級』の魔獣を倒してしまったことがある。
彼ら彼女らは『英雄』として認定され、王族に匹敵するほどの権力を持つことが出来る。前に認定されたのは百年以上前のことだった。
スノウは私のために『伝説級』の討伐を達成させて、アラスター殿下と対等になってみせると宣言したのだ。
「スノウの気持ちは嬉しいですけれど、私のためにそんな危険なことはしてほしくないです」
「ですが、義姉様……!」
「ここは私に任せてください」
私はスノウを押し止めて、アラスター殿下をキッと睨みつける。
「アラスター殿下。王家といえども、一度婚約破棄した相手と再婚約を結ぶのは難しいですわよ」
「まぁ確かに、多少は時間がかかるだろう」
「そもそも、アラスター殿下は私との再婚約について、フェリシャとアダリンとクリステルと話し合ったのですか? 三人とも、殿下よりスノウのほうを応援していましたから、ものすごーく怒られますよ。フェリシャたちを説得出来たとして、その後は四人の王妃様たちに納得出来る説明が出来るのですか?」
「無理だな」
女性の扱いが苦手な殿下が、七人もの猛者を納得させるのは、魔獣討伐よりも難しいでしょう。
自分でも想像がついたらしいアラスター殿下は、あっさりと諦めた。
「次に殿下の婚約者になれる可能性があるのは、分家の十歳の少女です。せっかくエングルフィールド公爵領に来たのですから、一度お会いして行かれてはどうですか?」
「……そうだな。少しくらいなら時間も作れるだろう」
分家の令嬢とアラスター殿下は八歳差だ。政略結婚としては許容範囲の歳の差だけれど、急に自分の進路が王妃に変わるのは、彼女も大変でしょう。
令嬢の魔力量が確定するまで、あと五年ある。ゆっくりと交流を持って、心の距離を縮めてほしい。
話は無事に終わり、アラスター殿下がソファーから立ち上がる。どうやら父の執務室へ移動するつもりらしい。
「スノウよ、先ほどの話は面白かった。貴様が『英雄』になる日を楽しみにしている」
「殿下! スノウをけしかけるのはやめてくださいませ!」
私の家族に危険な道を勧めてほしくなくて、殿下を叱ろうとすると。
スノウ本人が「はい」と答えた。
「叶えてみせます。アラスター王太子殿下にも、誰にも、義姉様に手出ししてほしくないので」
▽
「せっかく殿下が私との再婚約を諦めてくださったのに、『英雄』を目指すだなんて、そんな危険なことを……」
「アラスター王太子殿下は何度でも前言撤回するタイプに見えましたので」
「うぅ……」
そう言われるとぐうの音も出ない。
アラスター殿下の対応を父に任せたあと、私とスノウは庭のガゼボに来ていた。心地よい風がガゼボを吹き抜けていく。
スノウが『英雄』を目指すなどと言い出したのは、アラスター殿下への対抗心もあるけれど、私が彼にハッキリとした返事を返していないせいだ。
私は覚悟を決めて、彼の名前を呼ぶ。
「スノウ・エングルフィールド公爵令息」
「……はい」
私の真剣な声に、スノウも居住まいを正してこちらを見つめる。
心臓がドキドキと激しく鳴っているけれど、女は度胸だ。
大丈夫。今の私はお荷物なんかじゃなくて、ちゃんとスノウと一緒に幸せになるための結婚が出来るわ。
「私もスノウのことが大好きです。その、義弟としてではなく、一人の異性として。……あなたの求婚をお受けします」
私の返事を聞くと、スノウは今まで以上に甘さの増した笑顔を浮かべた。
出戻ってからずっと彼の甘い笑みを浴びてきたけれど、まださらに甘く出来るのかと驚く。砂糖とジャムを大量に混ぜた紅茶の上にホイップクリームを乗せて、さらに蜂蜜をかけたみたいに極甘だわ。
「嬉しいです、義姉様。いえ、ルティナ」
スノウはそう言って私に顔を近付け、口付けてくる。
びっくりしたけれど、全然嫌じゃない。
むしろ、幼少期ぶりにスノウと口付けを交わしたことで、『こんなふうに他人と口付け合うことなんて、好意がなければしたくない』という当たり前のことに気が付いた。出来る出来ないではなく、したいかどうか。
以前の私は子供過ぎて分からなかったけれど、たぶん最初から異性としてスノウに惹かれていたのでしょう。
これからは大好きなエングルフィールド公爵領で、自分に役立てることをしながら生きていく。
大好きなスノウと一緒に。
これにて完結です。
お読みいただきありがとうございました!!!
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