29:惨敗②(マデリーン視点)
グリフォン討伐が終わり、マデリーンたちは一番近くにある村まで戻って宿泊することとなった。
歓迎の食事会に参加し、それが終わると、いの一番にアラスターが部屋へと戻っていく。
他の婚約者たちもそれぞれの部屋へ引き上げていくのを見届けてから、マデリーンはそっと動き出した。
アラスターの泊る部屋は、婚約者たちとは離れた場所にあり、廊下は静かだった。
扉の前には二人の騎士が立っていたが、マデリーンが涙を浮かべて「アラスター殿下に今日のことを謝罪したいのです」と伝えれば、同情した様子でアラスターに取り次いでくれた。
(こういう時にしおらしい態度をしていれば、男ってコロッと騙されるのよね)
アラスターの許可を得て室内に入ると、彼はまだ騎士服から着替えもせずに書類作業をしていた。マデリーンが近付いてくる足音を聞いてチラリと顔をあげたが、黙したままだった。
「失礼いたします、アラスター殿下。私、今日のことを謝罪させていただきたくて……」
「別にそんなものは要らない。口先だけの言葉など、なんの価値もない。無駄なだけだ」
「口先だけではありませんわ! 私、殿下にご迷惑をおかけしたことを本当に申し訳なく思っておりますの!」
マデリーンはアラスターの前に立つと、胸元のリボンをシュルシュルと緩める。
彼女は宿に着くと早々に入浴を済ませて室内着に着替えていたので、抜けるように白い谷間が現れた。
「どうか、アラスター殿下のお気の済むまで私を罰してください。恥ずかしいですけれど……、それが私なりの反省ですわ」
マデリーンはそう言いつつ、計算し尽くした恥じらいの表情を浮かべてみせた。
(ふふふ。こんなに可憐な私の体を好きに出来るとなったら、アラスター殿下だって手を出すに決まっているわ。これで他の女たちから一歩リード出来るし、妊娠している可能性がある以上、魔獣討伐になんか参加しなくてもいいはずよ。完璧な計画だわ!)
我ながら素晴らしい策略だと思いつつ、マデリーンはチラリとアラスターを見上げると。
何故かアラスターは無表情で、引き出しから鞭を取り出していた。
マデリーンは思わずギョッとした。
「で、殿下っ!? その鞭はなんですの!? まさか嗜虐趣味が……!?」
「嗜虐趣味があるのは貴様ではないのか? 私の気が済むまで罰を受けたいと言って、脱ぎ始めただろう?」
「そういう意味ではありません!!」
マデリーンはアラスターの手から鞭が離れるようにと、慌てて彼の体に抱き着いて胸元を押し付ける。
「私はっ! アラスター殿下をお慰めしたいと申しているのです!」
「つまり、私に抱かれることが貴様にとっての罰なのか? 私も嫌われたものだな」
「そっ、そういうわけでは……っ! 私はただ、アラスター殿下に寵愛されたくて……っ」
「貴様の言いたいことはよく分からんが、私は誰か一人に肩入れするつもりはない」
アラスターはマデリーンの肩を押し、距離を取った。
「婚約者たちは全員、それぞれの一族の利権や思惑を背負っている。私は誰も不利益を被らなくて済むように、四人を平等に扱うことにしている。このことはフェリシャもクリステルもアダリンも、そしてルティナも承知していたことだ。……マデリーンよ、これ以上和を乱すな。私からの寵愛などと馬鹿なことを言っていないで、魔獣から国民を守ることに専念しろ。分かったな?」
マデリーンは目の前が真っ暗になり、アラスターの言葉に答えることが出来なかった。
(……何よそれ。こんなに頑張ってアラスター殿下の婚約者になったのに、愛のない結婚をしろということなの?)
長年想い続けて、ルティナの魔力を奪ってまで彼の隣に立ったのに、冷淡な表情で拒絶されるなど、あってはならないことだった。
マデリーンが身動き一つ出来ないでいる間に、アラスターはさっさと彼女のリボンを結び直した。
「さぁ、出ていけ。今日の討伐のことは、あとで反省文を提出しろ」
アラスターに部屋から追い出されたマデリーンは、フラフラと自分の部屋へ戻った。
▽
王都の城に戻ると、マデリーンには十日ほどの休暇が与えられた。
アラスターや他の婚約者たちは『災害級』の魔獣討伐に慣れているから、という理由で、城で一日休んだ後は次の魔獣討伐の要請に向かっていった。
マデリーンは与えられた自室から出て、人目を避けて城内を歩く。
アラスターに拒絶された夜のショックはまだ胸の内にあったが、十五歳の時にルティナに婚約者の座を奪われた時の悔しさを思い出せば、『その時よりはマシよ』と自分に言い聞かせられるくらいには冷静さを取り戻していた。
(あぁ、可哀想な私。きっとアラスター殿下は愛を知らないのだわ)
思い返せば、彼は昔から魔獣討伐に来たついでに自分やルティナと面会をしていた。
きっと子供の頃から魔獣討伐や訓練に忙しくて、女性に興味を向ける暇もなかったのだろう。
そのまま青年へと成長し、四人の婚約者が出来たと思ったら、ルティナのような鈍感や、脳筋の女どもがやって来てしまった。ますます恋愛に興味をなくしてしまったのだろう。
(私がアラスター殿下に愛を教えてあげなくちゃいけないわ)
まずはマデリーンに興味を持ってもらわなくてはならない。
そのためには結局、魔獣討伐で成果を上げて、役に立つところを見せつけるしかないのだ。
マデリーンがポケットを漁ると、壊れて真っ白になった魔石のペンダントが出てくる。
(きっと、奪った魔力はすでにルティナのもとに戻っているはず。もう一度奪い取らないといけないわ)
今回ルティナの魔力を完全に自分のものに出来なかったのは、魔石のランクが足りなかったせいだろう。
ルティナほどの魔力量の多い相手から魔力を奪いつくすには、きっと『災害級』の魔獣の魔石が必要だったのだ。
マデリーンがしばらく歩いていると、ようやく目的の建物が見えてきた。
扉前に立っている騎士に、マデリーンはにっこりと笑いかける。
「お仕事ご苦労様。少し中を見たいのだけれど、いいかしら?」
「マデリーン様、ご機嫌麗しく。ここは『災害級』の魔獣から取れた素材の保管庫でして、許可証がないと……」
「お願い、少しだけよ。私もアラスター殿下の婚約者として『災害級』の魔獣と戦わなくてはいけないわ。勉強のために魔獣を見たいの。……先日の初陣は散々だったから」
「マデリーン様……」
城内では、先日のグリフォン討伐でマデリーンが失態を犯したことが、あちらこちらで噂されていた。
『やはりルティナ様のほうがお強くて良かったよなぁ』『ルティナ様は魔獣の生態についても熟知されていて、参謀役も出来たからな』『官吏たちもルティナ様のアイディアにはかなり助けられていたから、今は悲鳴を上げているらしいしな』などと、どこへ行ってもルティナと比較する声が聞こえてきて、マデリーンはうんざりしていた。
今はその噂を逆手に取り、挽回しようと頑張っている健気な婚約者を演じる。
「……少しの時間だけですよ。素材には絶対に触れないでください」
「分かったわ」
神妙な顔つきでマデリーンは頷き、騎士に扉を開けさせる。
(ふふふ。上手く入り込めたわ。あとは『災害級』の魔獣の、空になっている魔石を手に入れるだけ)
『災害級』の魔獣の魔石なら、ルティナの魔力を奪い尽くせるだろう。
先日討伐したばかりのグリフォンの魔石はまだグリフォンの魔力がたっぷり入っているので向いていないが、魔力の充填を待っている空の魔石もたくさんあるはずだ。
ルティナの魔力を完全に自分のものにして、次こそ魔獣討伐を成功させる。
そしてアラスターの興味を引き、彼に愛を教えて、寵愛を勝ち取る。
誰のことも愛するつもりがない男が、自分に愛を懇願する姿を想像すると、マデリーンの胸の奥は甘くうずいた。
(可哀想な私が国一番の男に愛されて、ようやく幸せになれるんだわ)
マデリーンは不敵な笑みを浮かべた。




