28:惨敗①(マデリーン視点)
マデリーンは呆然とした表情で地面に座り込んでいた。
強行軍で僻地に向かっていたため入浴もままならなかったけれど、髪だけはなんとか綺麗に纏めていたのに、それもボサボサにほどけていた。
死ぬ気で走り回ったせいで騎士服は生地がボロボロに痛んでおり、破れている箇所もある。幸いかすり傷ばかりだったので、血の汚れは少ないが。
マデリーンの視界には、たった今討伐されたばかりの首のないグリフォンと、その巨体の上で仁王立ちするアラスターの姿があった。
上級魔法の発動を終えたアラスターは静かに手を下ろし、無言でグリフォンから降りる。
精鋭の騎士たちは、アラスターが何を言わずともグリフォンの亡骸の解体作業に入った。これから魔石や素材の採取に入るのだ。
「マデリーン」
黒い髪をサラサラと靡かせ、怒りを宿した黒い瞳でこちらを射抜くように見つめるアラスターに、マデリーンの体はビクッと大きく震えた。
「貴様、一体何をトチ狂って騎士たちのほうへ逃げ込んだ? 囮役のくせに、騎士を盾にしようとしたな? 何か私が納得出来るような申し開きはあるのか?」
「……わ、私、私は……」
こちらに近付いてくるアラスターを見上げながら、マデリーンは当時の状況を思い返す。
マデリーンだって一応、囮役らしく頑張ろうとは思ったのだ。今回はまだ、戦えと言われたわけではないし、何より自分にはルティナから奪った魔力が使えるのだから、と。
でも実際に出番がやって来ると……足がすくんで、マデリーンの体は全然動かなかった。
▼
エングルフィールド公爵領にいた頃、マデリーンが魔獣討伐に参加する必要はなかった。
本家のルティナと化物のスノウが率先して魔獣討伐に出ていたから、誰もマデリーンに魔獣討伐を期待しなかったのだ。
何度かルティナに「マデリーンも参加してみますか?」と誘われたこともあったが、「そんなの、私は怖いわ」と涙目で訴えれば、無理強いされることもなかった。
たまに領地の外へ遊びに行く時に魔獣に出くわすこともあったが、一角兎やスライムなどの弱い魔獣くらいだったので、護衛の騎士でも倒せていたし。
それに、マデリーンは心の中でずっと思っていたのだ。
本当に危険な魔獣に出くわした時には、本気を出せるだろう。何せ、自分は魔力量が多い。上級魔法だって簡単に放てるのだから、一発で討伐出来るだろう。と。
でも実際にグリフォンと対峙した瞬間、マデリーンの足は地面に縫い付けられたように動かなくなってしまった。
囮役としてどのようなルートで走るのか、あらかじめ決めてあった計画が頭から飛んでしまう。
(……そうだわ、今こそルティナの魔力を使わなくちゃ!)
マデリーンが慌てて胸元から魔石のペンダントを取り出すと――……なぜか魔石はひび割れて真っ白になっていた。
魔石は中に込められた魔力が空になると、色や透明度がなくなって、ただの真っ白な石になってしまうものだ。
つまり、奪ったはずのルティナの魔力が消えていた。
(嘘っ!!? ルティナの魔力がなくなってる!!?)
切り札がなくなったことに気付いた途端、マデリーンの頭に過ったのは〝死〟だった。
鷲の頭と翼を持ち、獅子の体を持つグリフォンは、王太子のアラスターが出陣しなければならないほど恐ろしい魔獣だ。
いくら魔力量が多くても、まともに魔獣と戦ったことのないマデリーンでは、グリフォンが攻撃を放てば一溜まりもないだろう。
『イヤ、イヤよ!! イヤぁぁぁぁ!!! こんなところで死にたくないぃぃぃ!!!』
マデリーンはがむしゃらに走り出した。予定していたルートではなく、出来るだけ自分が助かりそうな方向へ。騎士たちが待機している場所へと走っていく。
他の婚約者たちが『ハァ!? 何を考えてるのよ、あの女狐!?』『ふざけないでよ、馬鹿!!』『防御魔法を騎士たちのほうに貼り直すわ!!』などと叫んでいたけれど、マデリーンの耳には届かなかった。
グリフォンに追いつかれそうになったマデリーンが、一人の騎士を盾にしようとしたその瞬間――……上空から影が差す。
『〈我が黒炎よ、敵を屠れ〉』
高く跳躍したアラスターの手から、圧縮されて長剣のように見える黒炎が現れ、グリフォンの首を切り落とした。
圧倒的な力で討伐を成功させたアラスターは、そのままグリフォンの体の上に降り立ち、そしてマデリーンを酷く冷たい表情で睨みつけたのだった。
▽
「……た、確かに、計画通りにはいきませんでしたが、でも、グリフォンはアラスター殿下がきちんと討伐されましたし……。結果は何も変わらないかと……!」
「私は計画通りにいかなかったことを怒っているんじゃない。魔獣討伐など、計画通りにいくほうが稀だ。私が聞いているのは、貴様が騎士に被害を出そうとしたことだ」
「それ、は……」
「膨大な魔力を持って生まれた、強者である貴様が、なぜ自分より魔力の少ない弱者を盾にしようとした? 貴様の魔力は飾りか?」
「だって、私、『災害級』の魔獣なんて初めてで……」
魔獣討伐自体ほとんど参加したことはなかったが、それをアラスターの前で言ったら『高位貴族の義務を怠ったのか?』と怒られそうだったので、口には出来なかった。
「だから、逃げるだけでいい囮役を任せたのだ。エングルフィールド一族から選ばれた私の婚約者なのだから、よもや自分の身さえ守れぬなどと幼子のようなことは言わないだろう? 現にルティナは得意だった」
「……も、もちろんです……」
まさか魔力量の多い自分が、いざという時にさえ本気で魔獣と戦うことが出来ないだなんて……マデリーンは思ってもみなかった。
マデリーンは頭が悪いわけではないので、自分の敗因が痛いほどによく分かっていた。魔獣討伐の経験を積まなかったこと、地道な体力作りをしてこなかったこと、それゆえ戦う心構えが出来なかったこと。
アラスターの婚約者になる前に努力しておくべきだったことが、自分には何一つないのだった。
(でも、そんなことは口が裂けても言えないわ。アラスター殿下に軽蔑されたくないもの……)
過去は変えられない。でも、マデリーンには、今から未来を変えるために、戦う努力が出来る気もしなかった。
今後も何度も『災害級』の魔獣と戦わされるだなんて、考えただけで体がすくむ。
「あ~あ、ルティナがいれば、こんな危険な討伐にはなりませんでしたのに……」
「魔力量が多いだけのポンコツじゃない。役に立たないわ」
「殿下、水分補給をなさってください。騎士たちに被害を出さないように上級魔法を連続使用したせいで、顔色がお悪いですわよ」
アラスターの背後から他の婚約者たちが現れた。
彼女たちのこちらを責める視線と言葉に、マデリーンはカッとする。
アラスターに責められるのは恐ろしいけれど、他の婚約者たちに文句を言われるのは悔しくてならなかった。
(何よ、何よ……! 妃の一番重要な役目は、魔力量の多い王子を生むことじゃない! 魔獣討伐なんて二の次でしょ……!)
唇を噛み締めるマデリーンを見下ろし、アラスターが溜息を吐く。
「いいか、マデリーン。二度目はない」
そう言ってアラスターは立ち去り、他の婚約者たちも彼に従って歩いていく。
マデリーンは彼らの背中をキッと睨みつけた。
(絶対に、私がアラスター殿下の一番の寵愛を得てみせるんだから……)
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